人間兵器と凡人 オープニングアクト
結局のところ、コロナウィルスに抗えなかった私は凡人だった。
世界を揺るがしたパンデミックから約四年経った。
世間がコロナウィルスの波に落ち着いている。
テレビでのニュースと言ったら、芸能人のくだらない不倫やら過去のパワハラやらが連日放送されている程度だ。
しかし、私の中でコロナウィルスの波が終わっても、いまだにぽっかりと空いた心の穴。
その穴は妙で、四つに出っ張りがあるような、難解なパズルのピースのようなイメージが頭の中に浮かんでくる。
穴の存在を確認した私は、それを他のもので埋めようと無駄な努力をした。
大学での思い出、友人との海外旅行、エトセトラ、エトセトラ。
でも、それらのピースは全て三つの出っ張りで、心のパズルに埋めてもその穴は埋まらず、空いた穴にピッタリとは収まらない。
そもそも、埋めようとしたのが間違いなのだろうか。
それか、他のものに代替えは効かない、そんなところだろうか。
二〇二〇年三月。日本はコロナウィルスによってすべての歯車が狂った。
学校は休校を命じられた。客が来なくなった飲食業は店を閉めざるをえなくなった、サラリーマンは自宅でのリモートワークを余儀なくされた。
さらにイベントごとは全て中止になり、新元号となって最初の一大イベントとして迎えるはずだった東京オリンピックも、東京都の意向により中止となった。
あんなに騒がしかった日本は、コロナウィルスにより、一瞬で静かになった。
当時私は十六歳。高校一年が終わり、次の学年に片足突っ込んでいた頃であった。
帰りを知らせるホームルームで、担任の教師が神妙な顔で配った一枚のプリント。
プリントに書かれた「休校」という文字がやけに大きく見えた。
青春が奪われた瞬間の出来事であった。
「青春とは、永遠に思えるが永遠ではないもの」、安っぽいラブコメでよく使われる青春の謳い文句。高校生の頃は、何を言ってんだと一蹴していたこの言葉も、今ならなんとなくわかる気がしてしまう。
たまに自己啓発本などに「生きている時間すべてが青春」という文言。その啓発峰の著者を崇拝しきっている人間であればありがたがって受け入れるのかもしれないが、私の口からは「いいご身分だ」という感想しか出てこない。こんな自己啓発本を書いている人間は、たいそう素晴らしい人生を歩んでいるのだろうと。そして、どんな言葉を浴びせられても俺が経済を回している、という確固たる自信があるということを。
正直、当時の私は「生きている時間全てが青春」とは思えなかったし、今もそうは思えない。
はっきり言おう、青春は一瞬で消える。それは夏の夜空に舞う花火のように一瞬で、人によってその花火の大きさは異なるものだ。花火大会のラストのような大きな花火もあれば、線香花火のように小さく散っていくものもある。そして思い返した時に、あれはかけがえのないものだったと自分を諭し、何年か経てば開き直れる。それが私の考える青春だ。
そんな貴重な青春を、私たちはコロナウィルスによって奪われた、何もかも。
授業と授業の間の一〇分休憩。購買部でパンを買い、片手には三五〇mlのコーヒー牛乳を持って、それをストローで吸いながら友人と教室までの廊下を歩く。
放課後はお互い部活がないことを確認し、もし部活があっても適当な言い訳を探し、職員室にいる顧問の教師に背中を丸めて言いに行く。言い終わると職員室を出てニッコニコの顔で学校を出て、何くわぬ顔で行きつけのファストフード店に行く。そこでたわいも無い、身もふたもない話で盛り上がる。教師やクラスメイトに対して「あいつはこーだ」「こいつは絶対あーだ」と話しながら。会話がなくなると、近くの席に座っている女子高生の集団を見て、「お前、どっちがタイプ?」なんて会話をし、放課後の貴重な時間を惰性に過ごす。
なんの肥やしにもならない時間の使い方、それが私の青春だった。
コロナの一件を「仕方がないよね」や「生まれた時代が悪かったよ」と人は言うだろう。
そういった安直な考えを私は嫌う。なぜなら、私たちは紛れもない、コロナウィルスによる被害者だからである。
それらの被害というのは、感染によるものや、命が落としてしまったというだけではない。コロナウィルスの時代に生きた、我々全員が被害者であり、全員がコロナウィルスの犠牲者なのだ。
様々な被害の中で、私が受けた被害。それは「青春の剥奪」だった。
これらを「仕方がないよね」という言葉で易々と片付けられては困る。
誰もが知っている、私が幼少期に大好きだったコメディアン。
度々ニュースで芸能人やスポーツ選手がコロナウィルスに感染したというニュースが流れている中で、緊急ニュースとして書かれた彼の死。
彼もコロナウイルスにより命を落としてしまった。私は幼少期は生前まで、彼が出ているコントを見ては、必ずハードディスクに録画をしていた。
彼の死を報じた時、ニュースを読んだアナウンサーは目に熱いものを浮かべ、感情が込み上げてきそうになるのを必死に堪え、私たち視聴者にニュースを提供してくれた。
彼の死を嘆く国民、その時、いつぞやの政治家は彼の死をこの言葉で締め括った。
「この死は彼の最後の功績」だと。
朝のニュースでこの発言を聞いた時、私はなんて身勝手な発言なのだろうと心の底から思ってしまった。もちろん、本人も侮辱の意味で言ったのではないだろう。
だが、この発言が民衆の前に立つ人間として発して良い言葉では決してない。
死を功績なんて呼ぶ人間にはいずれ罰が当たるだろう、と思っていた。
しかし、だからと言って、「政治家になって、この日本を変えてやる!」
といったマニュフェストやら、政治に対する情熱やらは無い。
そこだけは言っておかないと、これを小説じゃなくて自己啓発本だと思ってしまう人がいそうなので、書いた次第だ。
こんな文句ばかり垂れているが、「じゃあどうすればよかったんだよ」という声が私の耳の奥の奥から聞こえてくる。
どうすればよかったか、そんなの一端の高校生がわかるものか。
お前ら大人が考えろ、と当時の私は思っていた。
今もどうしていたら良いかなんて思いついていないが。このように他人任せにしてしまう私も、まだまだ子供なわけだということなのだろう。
私たちは、この「仕方がないよね」と「じゃあどうすればよかったんだよ」の間で今生きている。間でもがきながら、それでも懸命に生きている。
私の高校時代、或いは同世代が失った高校時代を、大人の皆様は「功績」や「経験」という言葉で括ってしまうのだろうか。
はたまた「ふん、何が青春だ。俺らも仕事やけ家庭で苦しかったんだよ。学生の分際で騒ぐな」と怒るのだろうか。
いや、もうそのように括っているのかもしれない。私はそれが恐くてたまらない。
ただ、この怒りをぶつける矛先がどこにあるわけでもないので、作品に書いて少しでもコロナウィルスで失ったものを忘れないでほしい。
もう一度言う。我々はコロナウィルスによって自由を奪われた被害者なのだ。
この行き場もなく、どうしようもない感情を今回小説に乗せて書いてみた。
高校二年の四月からちょこちょこを書いていたため、約五年の月日を経ての作品になっている。
『人間兵器と凡人』
ご賞味あれ。
結局のところ、コロナウィルスに抗えなかった私は凡人だった。
世界を揺るがしたパンデミックから約四年経った。
世間がコロナウィルスの波に落ち着いている。
テレビでのニュースと言ったら、芸能人のくだらない不倫やら過去のパワハラやらが連日放送されている程度だ。
しかし、私の中でコロナウィルスの波が終わっても、いまだにぽっかりと空いた心の穴。
その穴は妙で、四つに出っ張りがあるような、難解なパズルのピースのようなイメージが頭の中に浮かんでくる。
穴の存在を確認した私は、それを他のもので埋めようと無駄な努力をした。
大学での思い出、友人との海外旅行、エトセトラ、エトセトラ。
でも、それらのピースは全て三つの出っ張りで、心のパズルに埋めてもその穴は埋まらず、空いた穴にピッタリとは収まらない。
そもそも、埋めようとしたのが間違いなのだろうか。
それか、他のものに代替えは効かない、そんなところだろうか。
二〇二〇年三月。日本はコロナウィルスによってすべての歯車が狂った。
学校は休校を命じられた。客が来なくなった飲食業は店を閉めざるをえなくなった、サラリーマンは自宅でのリモートワークを余儀なくされた。
さらにイベントごとは全て中止になり、新元号となって最初の一大イベントとして迎えるはずだった東京オリンピックも、東京都の意向により中止となった。
あんなに騒がしかった日本は、コロナウィルスにより、一瞬で静かになった。
当時私は十六歳。高校一年が終わり、次の学年に片足突っ込んでいた頃であった。
帰りを知らせるホームルームで、担任の教師が神妙な顔で配った一枚のプリント。
プリントに書かれた「休校」という文字がやけに大きく見えた。
青春が奪われた瞬間の出来事であった。
「青春とは、永遠に思えるが永遠ではないもの」、安っぽいラブコメでよく使われる青春の謳い文句。高校生の頃は、何を言ってんだと一蹴していたこの言葉も、今ならなんとなくわかる気がしてしまう。
たまに自己啓発本などに「生きている時間すべてが青春」という文言。その啓発峰の著者を崇拝しきっている人間であればありがたがって受け入れるのかもしれないが、私の口からは「いいご身分だ」という感想しか出てこない。こんな自己啓発本を書いている人間は、たいそう素晴らしい人生を歩んでいるのだろうと。そして、どんな言葉を浴びせられても俺が経済を回している、という確固たる自信があるということを。
正直、当時の私は「生きている時間全てが青春」とは思えなかったし、今もそうは思えない。
はっきり言おう、青春は一瞬で消える。それは夏の夜空に舞う花火のように一瞬で、人によってその花火の大きさは異なるものだ。花火大会のラストのような大きな花火もあれば、線香花火のように小さく散っていくものもある。そして思い返した時に、あれはかけがえのないものだったと自分を諭し、何年か経てば開き直れる。それが私の考える青春だ。
そんな貴重な青春を、私たちはコロナウィルスによって奪われた、何もかも。
授業と授業の間の一〇分休憩。購買部でパンを買い、片手には三五〇mlのコーヒー牛乳を持って、それをストローで吸いながら友人と教室までの廊下を歩く。
放課後はお互い部活がないことを確認し、もし部活があっても適当な言い訳を探し、職員室にいる顧問の教師に背中を丸めて言いに行く。言い終わると職員室を出てニッコニコの顔で学校を出て、何くわぬ顔で行きつけのファストフード店に行く。そこでたわいも無い、身もふたもない話で盛り上がる。教師やクラスメイトに対して「あいつはこーだ」「こいつは絶対あーだ」と話しながら。会話がなくなると、近くの席に座っている女子高生の集団を見て、「お前、どっちがタイプ?」なんて会話をし、放課後の貴重な時間を惰性に過ごす。
なんの肥やしにもならない時間の使い方、それが私の青春だった。
コロナの一件を「仕方がないよね」や「生まれた時代が悪かったよ」と人は言うだろう。
そういった安直な考えを私は嫌う。なぜなら、私たちは紛れもない、コロナウィルスによる被害者だからである。
それらの被害というのは、感染によるものや、命が落としてしまったというだけではない。コロナウィルスの時代に生きた、我々全員が被害者であり、全員がコロナウィルスの犠牲者なのだ。
様々な被害の中で、私が受けた被害。それは「青春の剥奪」だった。
これらを「仕方がないよね」という言葉で易々と片付けられては困る。
誰もが知っている、私が幼少期に大好きだったコメディアン。
度々ニュースで芸能人やスポーツ選手がコロナウィルスに感染したというニュースが流れている中で、緊急ニュースとして書かれた彼の死。
彼もコロナウイルスにより命を落としてしまった。私は幼少期は生前まで、彼が出ているコントを見ては、必ずハードディスクに録画をしていた。
彼の死を報じた時、ニュースを読んだアナウンサーは目に熱いものを浮かべ、感情が込み上げてきそうになるのを必死に堪え、私たち視聴者にニュースを提供してくれた。
彼の死を嘆く国民、その時、いつぞやの政治家は彼の死をこの言葉で締め括った。
「この死は彼の最後の功績」だと。
朝のニュースでこの発言を聞いた時、私はなんて身勝手な発言なのだろうと心の底から思ってしまった。もちろん、本人も侮辱の意味で言ったのではないだろう。
だが、この発言が民衆の前に立つ人間として発して良い言葉では決してない。
死を功績なんて呼ぶ人間にはいずれ罰が当たるだろう、と思っていた。
しかし、だからと言って、「政治家になって、この日本を変えてやる!」
といったマニュフェストやら、政治に対する情熱やらは無い。
そこだけは言っておかないと、これを小説じゃなくて自己啓発本だと思ってしまう人がいそうなので、書いた次第だ。
こんな文句ばかり垂れているが、「じゃあどうすればよかったんだよ」という声が私の耳の奥の奥から聞こえてくる。
どうすればよかったか、そんなの一端の高校生がわかるものか。
お前ら大人が考えろ、と当時の私は思っていた。
今もどうしていたら良いかなんて思いついていないが。このように他人任せにしてしまう私も、まだまだ子供なわけだということなのだろう。
私たちは、この「仕方がないよね」と「じゃあどうすればよかったんだよ」の間で今生きている。間でもがきながら、それでも懸命に生きている。
私の高校時代、或いは同世代が失った高校時代を、大人の皆様は「功績」や「経験」という言葉で括ってしまうのだろうか。
はたまた「ふん、何が青春だ。俺らも仕事やけ家庭で苦しかったんだよ。学生の分際で騒ぐな」と怒るのだろうか。
いや、もうそのように括っているのかもしれない。私はそれが恐くてたまらない。
ただ、この怒りをぶつける矛先がどこにあるわけでもないので、作品に書いて少しでもコロナウィルスで失ったものを忘れないでほしい。
もう一度言う。我々はコロナウィルスによって自由を奪われた被害者なのだ。
この行き場もなく、どうしようもない感情を今回小説に乗せて書いてみた。
高校二年の四月からちょこちょこを書いていたため、約五年の月日を経ての作品になっている。
『人間兵器と凡人』
ご賞味あれ。