生まれた場所は知らない。親の顔も知らない。
物心ついた時から、僕は何かの箱に入っていた。
正面がガラスになっていて、他の部分は白い壁で囲まれている箱。
気持ち悪いほど綺麗に磨かれたガラスからは、いつも誰かが僕を覗いていた。
箱の中は、見えたトイレをしている姿は覗かれるし、少し走り回るだけで壁にコツンと頭がぶつかる。
そのぶつかる姿をガラス越しに見られ、
「ママ、このコ頭ぶつけた。ドヂだね」
といったバカにする子供の声が聞こえたのを覚えている。
そして、箱の上に貼ってある、数字の書かれた紙。
それを見た人間たちは、
「最近のネコは高いね」
って呟いて、
「じゃあね、またね」
と言って僕の前から立ち去っていくのだった。ここは、孤独と嫌悪感に苛まれながら日が暮れるのをただ待つだけの場所なのかもしれない。
夜中は、一人で寝るのが怖い。誰よりも早く眠りにつきたい。
だって、寝ないとあの鳴き声が聞こえてくるから。
週一回のペースでやってくる、あの鳴き声。
その声は、箱全体を破壊するかのような勢いで鳴り続けるんだ。
「キャン、キャン、キャオーン」
それは、誰も起きていない時間の静かな夜に響きわたった。必死に、誰かに助けを求めるような声で鳴き続ける。しばらくすると
「…キ、キャン。…キャン」
とだんだん声がか細く、そして悲しくなっていく。
その後は、聞こえなくなるほど掠れた声で鳴き続ける。
最後は、バタッと、重い重い何かが落とされたような音で終わってゆく。その瞬間、どの世界よりも寂しい夜が誕生してしまうのだ。
この箱から出たら、僕はどうなる?
こことは違った箱に閉じ込められる?
はたまた、夜中の生き物みたいに、声が出なくなるまで鳴き続けなきゃいけないのか?
それならいっそのこと、ここから出ない方がいいかも知れない。
冷たい床の下で背中を震わせながら、ガラス越しに見える悲しい夜空にそう投げかけていた。
日に日に紙が張り替えられていった。書かれた数字が一桁下がった時、僕はその箱から出ることができた。四人、おそらく家族であろう。彼らが交互に僕を触ってくる。父親であろう人間が、細かい字でびっしり書かれた紙にペンを走らせた。
僕は元いた箱に別れを告げた。
「じゃあね、またね」
温かい四つの笑顔に包まれながら、彼らと車に乗っていった。
「じゃあね。またね」
この言葉は、また会えるっていう意味の魔法の言葉。一回別れるけど、また明日会えるっていう希望が持てる。
夜中に響き渡っていた悲しい声。あの声の生き物たちは、今どこで何をしているんだろうか。あの声に、希望はあったのだろうか。一つ違えば、僕も箱の外で枯れるまで鳴いていたのだろうか。
あの悲しい声を、僕はもう耳に入れたくない。
物心ついた時から、僕は何かの箱に入っていた。
正面がガラスになっていて、他の部分は白い壁で囲まれている箱。
気持ち悪いほど綺麗に磨かれたガラスからは、いつも誰かが僕を覗いていた。
箱の中は、見えたトイレをしている姿は覗かれるし、少し走り回るだけで壁にコツンと頭がぶつかる。
そのぶつかる姿をガラス越しに見られ、
「ママ、このコ頭ぶつけた。ドヂだね」
といったバカにする子供の声が聞こえたのを覚えている。
そして、箱の上に貼ってある、数字の書かれた紙。
それを見た人間たちは、
「最近のネコは高いね」
って呟いて、
「じゃあね、またね」
と言って僕の前から立ち去っていくのだった。ここは、孤独と嫌悪感に苛まれながら日が暮れるのをただ待つだけの場所なのかもしれない。
夜中は、一人で寝るのが怖い。誰よりも早く眠りにつきたい。
だって、寝ないとあの鳴き声が聞こえてくるから。
週一回のペースでやってくる、あの鳴き声。
その声は、箱全体を破壊するかのような勢いで鳴り続けるんだ。
「キャン、キャン、キャオーン」
それは、誰も起きていない時間の静かな夜に響きわたった。必死に、誰かに助けを求めるような声で鳴き続ける。しばらくすると
「…キ、キャン。…キャン」
とだんだん声がか細く、そして悲しくなっていく。
その後は、聞こえなくなるほど掠れた声で鳴き続ける。
最後は、バタッと、重い重い何かが落とされたような音で終わってゆく。その瞬間、どの世界よりも寂しい夜が誕生してしまうのだ。
この箱から出たら、僕はどうなる?
こことは違った箱に閉じ込められる?
はたまた、夜中の生き物みたいに、声が出なくなるまで鳴き続けなきゃいけないのか?
それならいっそのこと、ここから出ない方がいいかも知れない。
冷たい床の下で背中を震わせながら、ガラス越しに見える悲しい夜空にそう投げかけていた。
日に日に紙が張り替えられていった。書かれた数字が一桁下がった時、僕はその箱から出ることができた。四人、おそらく家族であろう。彼らが交互に僕を触ってくる。父親であろう人間が、細かい字でびっしり書かれた紙にペンを走らせた。
僕は元いた箱に別れを告げた。
「じゃあね、またね」
温かい四つの笑顔に包まれながら、彼らと車に乗っていった。
「じゃあね。またね」
この言葉は、また会えるっていう意味の魔法の言葉。一回別れるけど、また明日会えるっていう希望が持てる。
夜中に響き渡っていた悲しい声。あの声の生き物たちは、今どこで何をしているんだろうか。あの声に、希望はあったのだろうか。一つ違えば、僕も箱の外で枯れるまで鳴いていたのだろうか。
あの悲しい声を、僕はもう耳に入れたくない。