zorozoro - 文芸寄港

ヒツジちゃん

2024/12/08 20:42:25
最終更新
サイズ
11.63KB
ページ数
1
閲覧数
44
評価数
2/2
POINT
180
Rate
13.67
 いつもマフラーをつけている人がいた。隣のクラスだから移動教室や登下校くらいでしか見れないけど、夏でも冬でもつけていた。白いマフラー。ありきたりなウール素材っぽいのっぺりしたマフラーで、そのマフラーが鼻の頂点から下をすっぽりと覆ってしまっていた。いつからかは分からないけど、気がついたら、ずっと見ていた。
 分厚くて顔の輪郭がひん曲がってしまっているメガネと蓄えられた前髪。どっか垢抜けない風貌なのに、そのくせしてスカートは曲げてた。マフラーと温度の均衡を保っているのかもしれない。ほどんどの人があの顔のほとんどを知らないと、俺は信じている。あとメガネと前髪で隠れてしまっているが、瞳孔がヒツジみたいに地面と平行。ああ……それを知ってるの、俺だけ。
 俺は廊下で掃き掃除をしながら、ゴミ捨て場へ続く渡り廊下を歩く彼女を窓から見つけた。腕にはゴミ袋を抱えている。
「あの人、いつもあんな感じなの?」
 聞くよりも、疑問がほろりと溢れる感覚に近かった。
「あんな感じって?」
 須原は、ろくに窓の外も見ずに言う。ホウキを抱き抱えるだけで掃除を終わらせるコイツには、こっそりと持ち出したスマホでソシャゲのイベントを走る方が大事らしかった。空き教室前の廊下なので、教師の見回りもゆるく、サボりにはもってこいの場所だ。
「ほら、マフラーしてるの」
「ああ、宮川?」
 マフラー、と言っただけで出てきた、敬称のつけられていない名前で色々と想像をする。「うん」想像によって俺の返答に変な、間ができた。垢抜けなさから、影でこっそりイジられているのを想像して、スカートの短さから、相反して意外な軽さを想像した。それで、名前っていう最高にくだらない要素だけれど、俺より彼女のことを知っているのに俺より彼女のことに興味なさそうなコイツを見て、どこか屈辱的な気分を覚える。
「知らね。体育とかじゃ流石に外すんじゃね?」
「だよな。まあ」
 課金したガチャが爆死ったらしく、小さな悲鳴が上がった。須原は膝に箒を挟み、廊下にしゃがみ込む。
「ボサっとしてるよな、宮川」スマホの画面を見つめているため、須原の声が少し曇った。
「してる」
「でも足綺麗だよな」
 俺は、宮川ってそういう視点の見方もできるのか。と、少し驚き「綺麗だと思う」と適当に答えた。宮川の「正しい見方」を知らないコイツに安堵した。女子の名前を出せば「好きなの?」だとか簡単に言ってきそうなコイツが、そんなのをおくびにも出さない感じからするに、軽さは無いのだろうと予想する。
「何でマフラーしてるの、宮川は」
「知らねえよ、興味ない」
「マフラーの下、どんなんなってんだろうな」
「んー」ソシャゲに悩んでいるのか返答に悩んでいるのかよく分からない返事。「あんま。気になんねえわ」
 一貫した興味のなさが「マジ」だった。こいつはきっと、彼女の瞳がどうかだなんて気がつきもしないだろう。それを感じとってしまえば急に、俺のさっきまでの嫉妬心みたいな何かが、居場所がなくなってしまったようにモヤモヤ漂った。
「なー、引く? 十連」須原はそう言いながら、俺にスマホを差し出す。「俺もう運ねえかも。代わりに引いてよ」横向きの画面には「期間限定!」との文字と、シーズンには少し早いがセクシーな水着を着たキャラクターが尻を強調してアピールしている姿があった。「ウルトラレアが今日までなんだよ、ほら。ここタップするだけでいいから」
「いいけど、引けなくても文句言うなよ」
 スマホを受け取り、代わりにガチャを引くと「キュインキュインキュイン」と派手な効果音がなり、画面が虹色に輝き出す。「うお、やばない?」「確定演出じゃね?」「レア? レア?」「エスアールは確定! こい、こい!」
 声優の凛としたボイスと共に召喚されたキャラに、須原が大きくガッツポーズをする。「きたあ! ガチありがとう、は? 引けるじゃん」須原に肩を掴まれ揺さぶられる。どうやら羊をモチーフにしたキャラのようで、さっきの画面ではわからなかったが、渦を巻いたツノが生えていた。ドキッと、する。けど、目は、普通だった。
「おー」また、間。「よかったじゃん。どんなキャラか知らねーけど」
「ヒツジのキャラだよ」須原は、ニヤニヤが抑えきれてない顔で、スマホを食い入るように見つめる。「さっきの撤回。やっぱツイてるわ。俺」
「俺が引いたんだから、ツイてんのは俺だろ」
 須原はおちゃらけるように眉を上げ、軽く言う。「やんねえよ、お前には」
「いや俺」これはきっと、いや絶対。「そのゲームやってねえし」宮川のことじゃ、ない。
 スマホを握りしめてキャッキャとはしゃぐ須原を横目に、俺の心臓が高鳴る。俺は掃除をするフリをしようとして、もう既に、掃除が終わりかけていることに気がつく。後はゴミを集めて捨てるだけになっていた。
「須原。俺、ゴミ捨ててくるわ」
「おー、いってら」
 ろくにゴミの入っていない袋を持って、そそくさと廊下を歩く。肩に変な力が入っていた。宮川、みやかわ、ミヤカワ。口の中で、ようやく知ることのできた名前を反芻する。俺は、歩きながら宮川のマフラーの下を想像した。正直、宮川のあのヒツジのような目を見たときは、とっさに「気持ち悪い」と思ってしまったけれど、そんな「日常に潜む欠け」が、こんなにも近くにあるのかと、とっさに思ってしまっただけの瞬間的な嫌悪感は、すぐに高揚へと変わった。
 ゴミ捨てはあっさりと終わった。だが、納得がいかない感じがする。理由を探してみたら、宮川に会っていないからだ。行き違ってしまったのだろうか。遠くから見た宮川の、残り香を追うように、意味も無く徘徊することにした。
 宮川は、俺の日常の中では明らかな「異常」だった。けれど、みな、少なくともこの高校にいるみんな、それに気がついていないのだ。気がついている奴が他にもいたら、きっと大騒ぎになっているだろう。瞳孔が横に平べったい人間がいるのに。小さな小さな、けれども重大な欠け。あまりにもおかしい欠け。こんなに近くにいるのに。「ぼさっとしたやつ」に覆い隠された秘密に気がついたのは、俺だけ。たった、俺一人だけ。俺は、宮川の瞳に気がついたその日、「特別」になれたんだ。
 そしてそいつは、その瞳孔をコンタクトなどで隠そうとはせずに、マフラーを使って口元を隠している。あの瞳じゃないのだ、宮川が隠すのは。あの瞳さえ蔑ろにされるくらいの、瞳をはるかに超えた「何か」が、マフラーの下にあるとしたら? ……俺が、それを暴くことができたら? 俺は、「特別」のその先を妄想して、頭がくらくらする。

 さっき宮川を見た廊下にさしかかった。曲がり角から、白いマフラーの端だけがたなびいているのが見えた。
「宮川!」考えるより先に声が出た。俺がもう、白いマフラーにとらわれ、思考の全てが宮川になってしまっている証拠でもあった。「名前、知ってるのは。あーっと」宮川の全貌が見えていないうちに、縫い付けるみたく言い訳を考えた。けれど、角から姿を現した宮川を見てしまえば、頭の中で形作ったはずの言葉がシュワシュワと消えていく。等身大のはずの宮川の存在が、俺の想像の中の宮川よりも抱えきれないような質量を持って佇んでいた。圧倒され、怯む。そして「マフラーの端しか見えていなかったから声をかけられたんだな」と、理解した。
「はい、どうしました?」
 可愛らしい声だった。ささやかで落ちついた、道ばたに咲いてしまった花みたいな声。
「あ。ええと」俺はまた、怯む。声だけで、俺は宮川とずっと前から友だちだったんじゃないかと思ってしまった。それくらい「近かった」。
「…………廊下から、宮川が見えたから」
 俺は、宮川に、触れたくなってしまった。
「そっか…………」宮川は、俺の視線をなぞるように探った。「名前、どうして知ってるの?」
「須原から聞いた」
「須原くん?」ああ、まただ。どうしてこいつらは名前を知っているんだろう。俺は名前を知らなきゃ、宮川を呼び止めることさえ許されなかったというのに。「あー、わかった。そういうことね」宮川はそう言い、呆れたようにため息をついた。先ほどとはまた違う種類の「近さ」だった。
「おいで」宮川はそう言い、俺の手をとった。宮川の柔らかな手の感触に、等身大の高揚があった。

 宮川の進むままについていった。俺が掃除していた場所とはまた違う、奥まった空き教室にたどり着いた。宮川は慣れたように扉を開け電気を半分だけつけた。薄暗いが暗すぎない空間ができる。
 俺は、宮川の「軽さ」への想像がどんどんと肥大化していく感覚を覚えた。
「須原くん、すぐバラしちゃったんだあ」
 甘ったるさを含んだ声が、地面を這った。「そういうとこ、ありそうだと思ったんだよなあ。やっぱりみんな、そうなのかなあ」誰に言っているのか分からなかったから、宮川が宮川自身に言っているのだと感じた。「私への口説き文句、教えてあげよっか。『特別なあなたと出会えた俺は幸運です』って」
 意味の無かった会話に、意味が付いていく。意味があったと思われた推測が塵になっていく。俺は、なにも声が出せない。もうそこは宮川の空間だった。
 宮川は、慣れた手つきでスカートを下ろした。宮川の白い下着があらわになる。須原くんはね、これが好きだったの。宮川の声が、空間と一体化してしまっているような気がした。男の子らしいよね、それにばっかり釘付けになっちゃって。宮川が、俺と向き合い、また手を握った。これまでにない近さで、俺の瞳を覗き込み、俺もまた、宮川の瞳を見ていた。
「……眼鏡、外して」俺は、純粋にそう言った。俺の望みが、まずそれだった。「そして、マフラーを外して」
 宮川は、眉を片方だけ上げる。すんなりと、眼鏡を外した。ヒツジの目が、目が、ある。俺はそれに、勃起する。宮川が、マフラーに手をかけた。全身がほてり、指と指の感覚などの、体の細かな部位の感覚が失われていく。宮川が、マフラーを握った。くる。そう思った。
 なのに。
 宮川の口元は、驚くほどに整いすぎてしまっていた。通った鼻筋にひかえめな小鼻、薄いけれど柔らかそうな唇。「美しい」。とっさに、そう思えるほどに。
 けれど俺はそのうち、しっかりと理解する。とっさに思ってしまっただけの瞬間的な恍惚は、すぐに違和感へと変わった。宮川を構成する歪ばかりの要素のうち、口元だけが、口元だけが「普通」に近いのだ。陶器のようなのだ。作りものみたいなのだ。俺は本当の意味で絶句する。宮川に、俺は宮川に全てを奪われてしまった気がした。口元だけが、宮川の中で「欠け」ていた。
 宮川は、不可解そうに首をかしげた。
 俺と宮川以外に誰もいない教室で、宮川が俺を見る、首をかしげたが故に地面と平行になった瞳孔の瞳で、まるで普通の人間みたいになってしまった顔で俺を見る。……俺を見る。何も醜くなかった顔つきで、醜い俺を見る。宮川は、下着まで脱ぎ捨て、腰を下ろした。この教室が宮川の「巣」なのだろうと思った。
「好きなの?」宮川が、俺に聞いた。「私のこと、好き?」そう言いながら彼女は、胸を張り、背骨が弓のようにしなやかで、肩から真っ直ぐに伸びた腕が床に垂直にはりつく。女の子座りだが、膝と膝はきっちりとはくっついていない。
 目が合わせられず、あらわになった彼女の下半身を見る。女性器がハッキリと見えた。彼女の想像上の口元に及ぶほどの興奮は生じなかったが、男として気まずくあるべきなのではないかと思い、目をそらす。どこにも視線をやれず、くるんと、右回りに視線がまわった。俺の瞳が宮川の瞳みたいだったら、方磁石みたいだったなと、意味もなく思う。「須原くんは、私が好きなんだって」
 顔を起こし、軽蔑した眼差しで俺を見遣った彼女が、彼女の瞳が、眼鏡で曲がった輪郭が、整いすぎた口元が、立ち居振る舞いが、分厚いぼさっとした前髪が。どうしようもなく綺麗だった。俺はなにも答えられない。
「私の素顔だって知らないのにさー、好きって言ってきた。足が好きで、それが特別、って」目が、合った。彼女の口元が弧を描く。「君は、どうなの? 私は特別?」
「目」俺は、やっとの思いで、それだけを答える。「須原は、宮川の目、知ってんの」そこまで言ってしまえば、言葉がホロホロ溢れてくる。「瞳が素敵なんだ」宮川の瞳を最初に見たときの衝撃が、質感を伴って俺の脳を焼いていく。「宮川にしかない。これは、宮川だけのもので美しくて壮大で原初的でちっぽけで汚らしいんだ。宮川の、瞳が」俺は、息継ぎをした。息継ぎさえ忘れていた。「俺だけが気がついた」ふと、自分は今、宮川にどう思われているのだろうかと考える。答えがない。俺には、今の俺には宮川しか見えない。
「へえ君は」宮川は、ため息をつくように息を混ぜて言った。「私のぜんぶを知らないくせに」ぜんぶ、が、ただ宮川の体だけを指していないことを、俺は知る。「特別? そうだね。私はありとあらゆる人の、『特別』になってきた」
 宮川は、俺をあおるように女性器を広げた。「特別、特別、特別」宮川は、鬱陶しそうに息を吐く。宮川自身の体全てが宮川にとっては重りで枷で傷であり、それに嘆いているのだけど、その重さを一つのパーツにしてしまうような、むせ返ってしまうような包容力を彼女から感じた。俺は、宮川にけなされ見下され馬鹿にされ振られているはずなのに、目が離せない。瞳だけが魅力的だった彼女の、全身が欲しくなってしまう。宮川の声がほしい。かおりがほしい。行動がほしい。女性器がほしい内臓がほしい。ああ、宮川からの、愛がほしい。
 俺は、俺が宮川をどんなに特別視しているかを語った。もう途中から、何を言っているのか分からなかった。宮川への愛おしさが抑えられない。
「好きだ」言いながら、涙が溢れてきた。「好きだよ、宮川」けれど、言えば言うほど彼女から俺は、離れてしまう。「好き」さっきまであんなにも意味があり、照れくさかったはずの言葉が、もう、意味が無い。自慰で出てくる精液をジッと見つめているようだった。「なあ、宮川」虚しかった。ただ虚しいのに、愛おしさで胸が張り裂けそうなんだ。「俺は、宮川が、好き」
 宮川は、俺を見る。ヒツジみたいな瞳で、何らおかしくない宮川だけの瞳で、俺を見る。軽蔑していた。俺は宮川の瞳をたくさん見てきたから分かる。伝わらない。届かない、離れていく。遠い。近づけない。
 こんなにも。いとおしいのに。
 みやかわ。
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.簡易評価なし
1.90名も無き文芸生削除
良かったです
2.90v狐々削除
面白く良かったです。_それこそソシャゲなんかで雑にエロスへと触れる機会が多くなった中で、実際それほど綺麗ではない性そのものをなお欲求の対象として意識させられた。_手の甲を爪楊枝で引っ掻くみたいな嫌さがある。