しまったなぁ。この前できたばかりの試作ロケットだから、ある程度の不備は覚悟していたつもりだったが、まさかこんな宇宙のど真ん中でエンジンが止まるとは。
「アイ、エンジンの状況をモニターに表示してくれ」
「わかりました! 第一エンジン、第二エンジンともに運転していません。原因を解析中です」
火星までまだ一億キロも残っているのに、全く何もうまくいかないな。
「予備のエンジンを起動しますか?」
「いや、いい。原因がわかったら教えてくれ」
「わかりました!」
「それから、宇宙のど真ん中で立ち往生したときに聴けるような音楽があったら流してくれ。俺はひとまずティータイムだ」
「わかりました! プレイリスト『寂しい夜に聞きたい洋楽』を再生します」
紅茶なんか持ってくる余裕はあるのに、エンジンの出発前チェックは適当なところがなんとも俺らしい。そう、俺は大学入試のときもシャーペンを忘れたんだ。シャーペンの芯は二ケースも持っていたのに。まぁ、隣の女子にえんぴつを借りてことなきを得たし、しかもその子が今の妻だっていうんだから、何事も最後にはいいようになることを俺はわかっている。
だから今もこうやって優雅に紅茶を淹れる余裕があるんだ。って俺、砂糖を持ってきたはずだよな? あれ、どこにしまったっけな。
「AI《アイ》、持ち物リストをモニターに表示してくれ」
「わかりました! メモ帳の『持ち物リスト』を表示します」
……しまったなぁ。砂糖を地球に忘れた。俺は砂糖の入った甘い紅茶がたまらなく好きだというのに。
「砂糖は持ち物リストに含まれていません」
「わかってる。どうも地球に忘れてきたらしい」
「ナオヒコ! タービンのクーラント液から塩化ナトリウムを精製できます。精製しましょうか?」
「いらないよ。一体どんな人間が紅茶に塩をいれて飲むんだ」
「わかりました! 人間は紅茶に塩をいれない、ですね」
人工知能のアイもまた、俺が自作したものだ。大手のAI製品より若干鈍いところもあるが、そこがまた人間らしくて気に入っている。
「そうだな。自宅に電話を繋げるか?」
「わかりました! 『自宅』に電話を繋いでいます」
日本は今、日曜日の午前十時くらいだよな。
「……もしもし」
「もしもし、カイトか? お父さんだけど、宇宙船のエンジンが壊れちゃったみたいなんだ」
「……」
「まぁ、それで今紅茶を淹れていたんだが、お父さんとしたことが、家に砂糖を忘れてしまってね。おっちょこちょいだよなほんと、ははは……」
「何の用なの?」
「いや、別に用があったわけじゃないんだ。宇宙船に一人きりじゃ寂しくてね。最近、学校はどうだい?」
「この前試合で勝ったよ。サッカーの」
「そうか!すごいじゃないか!」
「俺二点も決めたんだよ」
「そうかそうかぁ。お父さん、誇らしいよ」
「……お父さん、早くお母さんと仲直りしなよ」
「なぁ、カイト。そんな単純じゃないんだ」
「単純だよ。お父さんが家に帰らなくなったからお母さんが怒ってるんだ。お父さんが家に帰ってきて、お母さんにごめんねって言えばいい話じゃん。ラボに引きこもってロケットなんか作ってないでさ」
「カイト、『ロケットなんか』じゃないぞ。お父さんの研究は人類の未来を背負ってるんだ。誇り高き仕事なんだぞ」
「お父さんはいつもそうやって言い訳するんだ。今回もお母さんと喧嘩したから宇宙に逃げたんでしょ。火星の探索なんて、そんなこと今しなくていいじゃないか……」
確かに火星の探索は本来自分の仕事ではない。俺の研究はロケット開発であって、宇宙探索はまた別の部署の管轄だ。
「電話だけじゃなくてさ、お父さんがもっと俺の試合を見にきたり、家族で一緒にイオンに行ったりしたいよ。普通の家族みたいにさ……」
「カ、カイト、泣いてるのか?」
「……ナオヒコ、通話が終了しました」
そうか。カイト、俺が見てない間にまたずいぶんと大人っぽくなったんだな。最後に直接会ったのは、もう二年以上前か。
「ナオヒコ……プレイリスト『寂しい夜に聴きたい洋楽』、一旦停止しますか?」
「ああ、止めてくれ」
俺は父親失格だ。そんなことはずっと前からわかっていた。そうだな、カイトの言う通りかもしれない。俺は家族から宇宙に逃げてきたんだ。
ロケットの勉強ばかりしてきた俺が、まさか結婚して子供が産まれるなんて考えたこともなかった。カイトが生まれたとき、俺は心から幸せだった。ただ同時に、俺は普通じゃない自分がいい父親になれるとはどうしても思えなかった。それがとても怖かった。すくすくと成長していく子供を見て、俺はこの子に関わることはやめようと思った。無垢なこの子に、俺の悪い影響を与えたくない。ある日そのことで妻と口論になって、俺は開発を理由に家を飛び出した。なんて情けない話だろう。
「ナオヒコ、人間は紅茶に塩をいれないのでは? ナオヒコの涙が紅茶に落ちています」
「……アイ。エンジンの状況は?」
「原因はシステムエラーでした。エンジン自体には何の問題はありません。コードの修復も今完了しましたが、火星までの道のりを再開しますか? その場合、九九九八万キロ分、燃料が足りません」
「当たり前さ。もともとこのロケットにそれだけの燃料は積めない。さぁ、地球に帰ろう」
「わかりました! 地球への軌道を計算しています。約2分後に出発します」
やり直そう。俺が間違っていたのかもしれない。もしかしたらカイトには俺が必要だ。大切な家族のために、俺にはまだできることがあるかもしれない。
「ナオヒコ、ついに家族と仲直りするのですね!」
「いいや、砂糖を取りに帰るだけさ。甘い紅茶が飲みたいからね。次は家族で火星に行こうか」
「アイ、エンジンの状況をモニターに表示してくれ」
「わかりました! 第一エンジン、第二エンジンともに運転していません。原因を解析中です」
火星までまだ一億キロも残っているのに、全く何もうまくいかないな。
「予備のエンジンを起動しますか?」
「いや、いい。原因がわかったら教えてくれ」
「わかりました!」
「それから、宇宙のど真ん中で立ち往生したときに聴けるような音楽があったら流してくれ。俺はひとまずティータイムだ」
「わかりました! プレイリスト『寂しい夜に聞きたい洋楽』を再生します」
紅茶なんか持ってくる余裕はあるのに、エンジンの出発前チェックは適当なところがなんとも俺らしい。そう、俺は大学入試のときもシャーペンを忘れたんだ。シャーペンの芯は二ケースも持っていたのに。まぁ、隣の女子にえんぴつを借りてことなきを得たし、しかもその子が今の妻だっていうんだから、何事も最後にはいいようになることを俺はわかっている。
だから今もこうやって優雅に紅茶を淹れる余裕があるんだ。って俺、砂糖を持ってきたはずだよな? あれ、どこにしまったっけな。
「AI《アイ》、持ち物リストをモニターに表示してくれ」
「わかりました! メモ帳の『持ち物リスト』を表示します」
……しまったなぁ。砂糖を地球に忘れた。俺は砂糖の入った甘い紅茶がたまらなく好きだというのに。
「砂糖は持ち物リストに含まれていません」
「わかってる。どうも地球に忘れてきたらしい」
「ナオヒコ! タービンのクーラント液から塩化ナトリウムを精製できます。精製しましょうか?」
「いらないよ。一体どんな人間が紅茶に塩をいれて飲むんだ」
「わかりました! 人間は紅茶に塩をいれない、ですね」
人工知能のアイもまた、俺が自作したものだ。大手のAI製品より若干鈍いところもあるが、そこがまた人間らしくて気に入っている。
「そうだな。自宅に電話を繋げるか?」
「わかりました! 『自宅』に電話を繋いでいます」
日本は今、日曜日の午前十時くらいだよな。
「……もしもし」
「もしもし、カイトか? お父さんだけど、宇宙船のエンジンが壊れちゃったみたいなんだ」
「……」
「まぁ、それで今紅茶を淹れていたんだが、お父さんとしたことが、家に砂糖を忘れてしまってね。おっちょこちょいだよなほんと、ははは……」
「何の用なの?」
「いや、別に用があったわけじゃないんだ。宇宙船に一人きりじゃ寂しくてね。最近、学校はどうだい?」
「この前試合で勝ったよ。サッカーの」
「そうか!すごいじゃないか!」
「俺二点も決めたんだよ」
「そうかそうかぁ。お父さん、誇らしいよ」
「……お父さん、早くお母さんと仲直りしなよ」
「なぁ、カイト。そんな単純じゃないんだ」
「単純だよ。お父さんが家に帰らなくなったからお母さんが怒ってるんだ。お父さんが家に帰ってきて、お母さんにごめんねって言えばいい話じゃん。ラボに引きこもってロケットなんか作ってないでさ」
「カイト、『ロケットなんか』じゃないぞ。お父さんの研究は人類の未来を背負ってるんだ。誇り高き仕事なんだぞ」
「お父さんはいつもそうやって言い訳するんだ。今回もお母さんと喧嘩したから宇宙に逃げたんでしょ。火星の探索なんて、そんなこと今しなくていいじゃないか……」
確かに火星の探索は本来自分の仕事ではない。俺の研究はロケット開発であって、宇宙探索はまた別の部署の管轄だ。
「電話だけじゃなくてさ、お父さんがもっと俺の試合を見にきたり、家族で一緒にイオンに行ったりしたいよ。普通の家族みたいにさ……」
「カ、カイト、泣いてるのか?」
「……ナオヒコ、通話が終了しました」
そうか。カイト、俺が見てない間にまたずいぶんと大人っぽくなったんだな。最後に直接会ったのは、もう二年以上前か。
「ナオヒコ……プレイリスト『寂しい夜に聴きたい洋楽』、一旦停止しますか?」
「ああ、止めてくれ」
俺は父親失格だ。そんなことはずっと前からわかっていた。そうだな、カイトの言う通りかもしれない。俺は家族から宇宙に逃げてきたんだ。
ロケットの勉強ばかりしてきた俺が、まさか結婚して子供が産まれるなんて考えたこともなかった。カイトが生まれたとき、俺は心から幸せだった。ただ同時に、俺は普通じゃない自分がいい父親になれるとはどうしても思えなかった。それがとても怖かった。すくすくと成長していく子供を見て、俺はこの子に関わることはやめようと思った。無垢なこの子に、俺の悪い影響を与えたくない。ある日そのことで妻と口論になって、俺は開発を理由に家を飛び出した。なんて情けない話だろう。
「ナオヒコ、人間は紅茶に塩をいれないのでは? ナオヒコの涙が紅茶に落ちています」
「……アイ。エンジンの状況は?」
「原因はシステムエラーでした。エンジン自体には何の問題はありません。コードの修復も今完了しましたが、火星までの道のりを再開しますか? その場合、九九九八万キロ分、燃料が足りません」
「当たり前さ。もともとこのロケットにそれだけの燃料は積めない。さぁ、地球に帰ろう」
「わかりました! 地球への軌道を計算しています。約2分後に出発します」
やり直そう。俺が間違っていたのかもしれない。もしかしたらカイトには俺が必要だ。大切な家族のために、俺にはまだできることがあるかもしれない。
「ナオヒコ、ついに家族と仲直りするのですね!」
「いいや、砂糖を取りに帰るだけさ。甘い紅茶が飲みたいからね。次は家族で火星に行こうか」