ステーキ肉の焼き上がりを知らせるタイマーの音を、私は背中で聞いた。お客様から数分前に受け取った食券のミスジステーキ三百グラムとライス大盛りを提供しようと、私は洗い場の手を止める。
「熱っ」
すると、調理係の秋山ちゃんの小さな悲鳴がタイマーの音に重なった。バックヤードにいた私たちがその声へ目をやると、秋山ちゃんは左手の甲を押さえ「やっちゃいましたあ」と、社員の藤堂さんへ訴えかけていた。提供の速さと安さが売りのステーキ屋では、調理係の火傷なんて日常茶飯事だ。
「秋山ちゃん、大丈夫? ちょっと佐々木さん、調理かわってあげて」
救急箱を用意する藤堂さんにそう言われ、私はお湯を出していた水道を冷水に切り替えてから、流れるように厨房スペースに向かう。
お客様に不審に思われないようにすぐにタイマーを止め、さっき秋山ちゃんが火傷した原因の溶岩石を取り出す。溶岩石を木板にはめる。その上にミスジステーキ三百グラムをのせる。ツヤ出しのための油をステーキ肉の表面に塗る。ライスを大盛りで盛り付ける。慣れた作業だ。
今日は金曜の夕方にも関わらず三人回しのシフトだった。火傷箇所を心配そうに見つめている秋山ちゃんと、それにそっと付き添っている藤堂さんを厨房スペースから見て、そのまま私が提供に行った。何もありませんでしたよ? という顔をして「溶岩石とても熱くなっていますのでお気をつけください」と、喉に張り付いた文言をお客様へ言う。秋山ちゃんを思い浮かべながら、もう一度、心の中で言う。性格悪いな、私。と思う。
バックヤードに戻ると、秋山ちゃんの指先には絆創膏が一枚だけ貼ってあり、さらにその上から氷水で冷やしていた。私は、自らの手の甲にある火傷痕をとっさに反対の手で覆い隠した。絆創膏なんて貼らず報告もせずに仕事を続けた火傷痕だった。「大丈夫?」と、秋山ちゃんに声をかける。私は隠した火傷痕をなぞった。秋山ちゃんの二倍はある、ただれた皮膚の感触があった。「大丈夫……」と、秋山ちゃんは大丈夫じゃなさそうに言った。
それから秋山ちゃんは、火傷を冷やすために両手が塞がっているからゆっくりのんびりと仕事をして、その分、私が働いた。秋山ちゃんは火傷以外ケロリとしており、店がアイドルタイムに入ると「大学、春休み入った?」なんて、世間話を持ちかけてくる。秋山ちゃんって「そういう子」。だから私も「うん、バイトばっか入れてる」と、何も気にしていませんよ? という顔をして答える。そして彼女は緩み切った空気を纏ったまま、藤堂さんに勧められ、決められたシフトより一時間早くあがっていった。
「秋山ちゃん、佐々木さんと違って仕事覚えるの遅いから、面倒見てあげてね」
閉店した後の店で、藤堂さんが言った。私は藤堂さんの口からそんな言葉が出ることに驚いた。秋山ちゃんにぴっとりと寄り添っていた姿を思い出し、締め作業をする藤堂さんの横顔を確認した。「真剣に」言っているようだった。性格悪いかもな、藤堂さん。と思う。そして、人手の足りないこのご時世、そうだよな。と続けて思う。秋山ちゃんと私は、年齢的にもバイト歴的にも、ほぼ同期だ。
「そうですねー、火傷、大変そうでしたね」
私は、秋山ちゃんにも藤堂さんにも味方しないよう、ふんわり相槌を打った。
「ここで働いているとどうしてもね。ほら、僕もあちこち火傷しちゃって」
藤堂さんはそう言いながら制服の袖を少しだけ捲り、腕についた無数の火傷痕を見せてくれた。
「佐々木さんは火傷しないように気をつけて」
藤堂さんはそう言うと力無く笑った。いつもテキパキと動いている藤堂さんの腕に、こんなにも火傷痕があるなんて知らなかった。
私たちは秋山ちゃんの分の仕事を片付け、シフトより十五分遅く帰宅した。寒い夜道では、今日の出来事がやけに頭に残った。
熱いシャワーを浴びてステーキ肉の匂いを落とす。私の白い腕のところどころには、火傷痕がクッキリある。秋山ちゃんみたいにすぐに冷やしていたら、これだって痕にならなかったかもしれない。後悔が沸々と湧き上がった。いやでも、「あれ」の二倍だよなあと、自分を落ち着かせる。
「仕事覚えるの遅いから」
藤堂さんの声が頭の中でぐるぐると回る。「面倒見てあげてね」と「火傷しないように」も続けて回った。バイトのシフトでびっしりと埋まった春休みのスケジュールを思い浮かべ、ため息をついた。湯気で曇るお風呂場の窓を見て、半袖を着る季節が来なければいいのに。と、思う。ボディーソープの泡で、火傷痕を覆った。秋山ちゃんの顔が浮かぶ。
「大丈夫かなあ」と、痕に向かって呟いた。
「熱っ」
すると、調理係の秋山ちゃんの小さな悲鳴がタイマーの音に重なった。バックヤードにいた私たちがその声へ目をやると、秋山ちゃんは左手の甲を押さえ「やっちゃいましたあ」と、社員の藤堂さんへ訴えかけていた。提供の速さと安さが売りのステーキ屋では、調理係の火傷なんて日常茶飯事だ。
「秋山ちゃん、大丈夫? ちょっと佐々木さん、調理かわってあげて」
救急箱を用意する藤堂さんにそう言われ、私はお湯を出していた水道を冷水に切り替えてから、流れるように厨房スペースに向かう。
お客様に不審に思われないようにすぐにタイマーを止め、さっき秋山ちゃんが火傷した原因の溶岩石を取り出す。溶岩石を木板にはめる。その上にミスジステーキ三百グラムをのせる。ツヤ出しのための油をステーキ肉の表面に塗る。ライスを大盛りで盛り付ける。慣れた作業だ。
今日は金曜の夕方にも関わらず三人回しのシフトだった。火傷箇所を心配そうに見つめている秋山ちゃんと、それにそっと付き添っている藤堂さんを厨房スペースから見て、そのまま私が提供に行った。何もありませんでしたよ? という顔をして「溶岩石とても熱くなっていますのでお気をつけください」と、喉に張り付いた文言をお客様へ言う。秋山ちゃんを思い浮かべながら、もう一度、心の中で言う。性格悪いな、私。と思う。
バックヤードに戻ると、秋山ちゃんの指先には絆創膏が一枚だけ貼ってあり、さらにその上から氷水で冷やしていた。私は、自らの手の甲にある火傷痕をとっさに反対の手で覆い隠した。絆創膏なんて貼らず報告もせずに仕事を続けた火傷痕だった。「大丈夫?」と、秋山ちゃんに声をかける。私は隠した火傷痕をなぞった。秋山ちゃんの二倍はある、ただれた皮膚の感触があった。「大丈夫……」と、秋山ちゃんは大丈夫じゃなさそうに言った。
それから秋山ちゃんは、火傷を冷やすために両手が塞がっているからゆっくりのんびりと仕事をして、その分、私が働いた。秋山ちゃんは火傷以外ケロリとしており、店がアイドルタイムに入ると「大学、春休み入った?」なんて、世間話を持ちかけてくる。秋山ちゃんって「そういう子」。だから私も「うん、バイトばっか入れてる」と、何も気にしていませんよ? という顔をして答える。そして彼女は緩み切った空気を纏ったまま、藤堂さんに勧められ、決められたシフトより一時間早くあがっていった。
「秋山ちゃん、佐々木さんと違って仕事覚えるの遅いから、面倒見てあげてね」
閉店した後の店で、藤堂さんが言った。私は藤堂さんの口からそんな言葉が出ることに驚いた。秋山ちゃんにぴっとりと寄り添っていた姿を思い出し、締め作業をする藤堂さんの横顔を確認した。「真剣に」言っているようだった。性格悪いかもな、藤堂さん。と思う。そして、人手の足りないこのご時世、そうだよな。と続けて思う。秋山ちゃんと私は、年齢的にもバイト歴的にも、ほぼ同期だ。
「そうですねー、火傷、大変そうでしたね」
私は、秋山ちゃんにも藤堂さんにも味方しないよう、ふんわり相槌を打った。
「ここで働いているとどうしてもね。ほら、僕もあちこち火傷しちゃって」
藤堂さんはそう言いながら制服の袖を少しだけ捲り、腕についた無数の火傷痕を見せてくれた。
「佐々木さんは火傷しないように気をつけて」
藤堂さんはそう言うと力無く笑った。いつもテキパキと動いている藤堂さんの腕に、こんなにも火傷痕があるなんて知らなかった。
私たちは秋山ちゃんの分の仕事を片付け、シフトより十五分遅く帰宅した。寒い夜道では、今日の出来事がやけに頭に残った。
熱いシャワーを浴びてステーキ肉の匂いを落とす。私の白い腕のところどころには、火傷痕がクッキリある。秋山ちゃんみたいにすぐに冷やしていたら、これだって痕にならなかったかもしれない。後悔が沸々と湧き上がった。いやでも、「あれ」の二倍だよなあと、自分を落ち着かせる。
「仕事覚えるの遅いから」
藤堂さんの声が頭の中でぐるぐると回る。「面倒見てあげてね」と「火傷しないように」も続けて回った。バイトのシフトでびっしりと埋まった春休みのスケジュールを思い浮かべ、ため息をついた。湯気で曇るお風呂場の窓を見て、半袖を着る季節が来なければいいのに。と、思う。ボディーソープの泡で、火傷痕を覆った。秋山ちゃんの顔が浮かぶ。
「大丈夫かなあ」と、痕に向かって呟いた。