私は行ったことがないけれど、スキー場の雪はもっと汚いと思う。振り返ると、シェルターからの道のりが私の足跡で汚れている。辺り一面真っ白。横風が吹いて掴んでいた便箋が流されかける。通り過ぎた風の行く末を思うと、世界はこんなにも広くて孤独なのかと悲しくなる。雪は景色を押し潰した。
暦が正しければ、今日は四月一日。数年前に入った氷河期のせいで、人類はシェルター暮らしを強いられている。沢山の地震と気温低下で私たちの生活は崩壊した。
今日は雪が降ってないことを知ってシェルターから出てきたけれど、陽の光を浴びるのは何日ぶりだろう。夜は吹雪いてそもそもダメだし、昼に雪が降っていない時しか外に出られないから、引きこもりじゃないのに陽の光を浴びる機会は本当に少ない。
ある時は、塵ひとつない白い空。ある時は、一寸先を見ることも叶わないほどの吹雪。
だから人類は地球を捨てた。移住先の惑星が見つかったという知らせを聞いたのはついさっきのことだった。
シェルターから徒歩十分ほどの距離にある瓦礫などはほとんど撤去されたが、それを抜けると地震と雪で押しつぶされた家々で視界が埋まる。家族がいればその瓦礫を縫って、自分の家に帰ることもしばしばある。と言ったって、潰れているから中に入ることは無理だけど。
それでも、残っているのは大きいと思う。大切なものがそこにあれば、人はそこへ帰ることができる。
息を吐けば白くなって顔にあたる。風が吹けば凍てついた頬は赤く染まり、生ぬるい風に蒸し暑さを感じたことはもう何年もない。
忘れる。人は色々なものを忘れてしまう。風景も好きだった事も。忘れて、身を寄せ合って過去を食い潰して生きていくことしかできない。
「白」は忌々しい言葉だ。母は色に過敏になった。生活を蝕む「白」に怯えている。白にまつわる出来事は、そのうち何もかも忘れ去られてしまうのだろう。
思えば中学三年で卒業を控えていた私も、高校に通うことも叶わずシェルター暮らしになった。避難先だった小学校も中学校もなくなった。高校の校舎は残っているだろうか。
ふと目に止まったものがあった。。もはやかつてここがどこだかわからない世界で、「シェルター」と「私」を繋ぐものが指針の世界で、私が気にかけたのはひとつのベンチだった。
記憶の片隅にあるものに引っかかったのだろう。それを差し置いても、そのベンチは未だ原型を留めていて、目を引かれる。
「和希」
自分でも知らない間に呟いていた。座面の雪を払い除けると、私はそこに座る。
和希は私の幼馴染だった。春から一緒の高校に通うはずだった仲なのに、いつの間にか離れ離れになってしまった。私は左隣に座る和希を空想した。
『葉月、』
彼が私を呼ぶ声を聴いた。その声は柔らかで、和希は男の子のはずなのに少し高くって。
道に咲く桜と、ひらひらと舞う花びら。
高校入試の日に、高校前のバス停のベンチに一緒に座ったことを思い出す。
和希は真っ白のワイシャツを着て、入試の出来はどうだったか、もう過ぎたことなのに延々と話していた。過去を楽しそうに話す人だった。笑うとえくぼが出来て、私はいつもそれを隣で眺めていた。
四月、桜、和希……。もうどこにもないもの。存在はするのに、面影のないもの。
「和希、私たぶん君のことが好きだった」
あの横顔を思い出しながら私は呟いた。しかし、もう届くことはない。和希、もう一度私の名前を呼んでほしい。パンツのポケットから白紙の便箋を取り出す。いつか和希に宛てた手紙を出せるように、とお守りがわりに持っていたものだ。
──意を決して、私はそれを破った。
私の吐く息は絶えず白い。ばらばらと散っていく紙屑を忘れるために、私は立ち上がってシェルターに帰った。
もう和希のことは忘れよう。
シェルターに帰ると、許可なく脱走した私のことなど目もくれずに、母はいそいそと支度をしていた。
母は目の前を通った私を一瞥すると、一瞬怒った表情を見せたが、すぐに母の顔に変えて言った。
「はやく準備しなさい。新しい生活が始まるんだから」
四月は新生活の季節だということを私は久しぶりに思い出した。新しい星に桜は咲いているだろうか。
暦が正しければ、今日は四月一日。数年前に入った氷河期のせいで、人類はシェルター暮らしを強いられている。沢山の地震と気温低下で私たちの生活は崩壊した。
今日は雪が降ってないことを知ってシェルターから出てきたけれど、陽の光を浴びるのは何日ぶりだろう。夜は吹雪いてそもそもダメだし、昼に雪が降っていない時しか外に出られないから、引きこもりじゃないのに陽の光を浴びる機会は本当に少ない。
ある時は、塵ひとつない白い空。ある時は、一寸先を見ることも叶わないほどの吹雪。
だから人類は地球を捨てた。移住先の惑星が見つかったという知らせを聞いたのはついさっきのことだった。
シェルターから徒歩十分ほどの距離にある瓦礫などはほとんど撤去されたが、それを抜けると地震と雪で押しつぶされた家々で視界が埋まる。家族がいればその瓦礫を縫って、自分の家に帰ることもしばしばある。と言ったって、潰れているから中に入ることは無理だけど。
それでも、残っているのは大きいと思う。大切なものがそこにあれば、人はそこへ帰ることができる。
息を吐けば白くなって顔にあたる。風が吹けば凍てついた頬は赤く染まり、生ぬるい風に蒸し暑さを感じたことはもう何年もない。
忘れる。人は色々なものを忘れてしまう。風景も好きだった事も。忘れて、身を寄せ合って過去を食い潰して生きていくことしかできない。
「白」は忌々しい言葉だ。母は色に過敏になった。生活を蝕む「白」に怯えている。白にまつわる出来事は、そのうち何もかも忘れ去られてしまうのだろう。
思えば中学三年で卒業を控えていた私も、高校に通うことも叶わずシェルター暮らしになった。避難先だった小学校も中学校もなくなった。高校の校舎は残っているだろうか。
ふと目に止まったものがあった。。もはやかつてここがどこだかわからない世界で、「シェルター」と「私」を繋ぐものが指針の世界で、私が気にかけたのはひとつのベンチだった。
記憶の片隅にあるものに引っかかったのだろう。それを差し置いても、そのベンチは未だ原型を留めていて、目を引かれる。
「和希」
自分でも知らない間に呟いていた。座面の雪を払い除けると、私はそこに座る。
和希は私の幼馴染だった。春から一緒の高校に通うはずだった仲なのに、いつの間にか離れ離れになってしまった。私は左隣に座る和希を空想した。
『葉月、』
彼が私を呼ぶ声を聴いた。その声は柔らかで、和希は男の子のはずなのに少し高くって。
道に咲く桜と、ひらひらと舞う花びら。
高校入試の日に、高校前のバス停のベンチに一緒に座ったことを思い出す。
和希は真っ白のワイシャツを着て、入試の出来はどうだったか、もう過ぎたことなのに延々と話していた。過去を楽しそうに話す人だった。笑うとえくぼが出来て、私はいつもそれを隣で眺めていた。
四月、桜、和希……。もうどこにもないもの。存在はするのに、面影のないもの。
「和希、私たぶん君のことが好きだった」
あの横顔を思い出しながら私は呟いた。しかし、もう届くことはない。和希、もう一度私の名前を呼んでほしい。パンツのポケットから白紙の便箋を取り出す。いつか和希に宛てた手紙を出せるように、とお守りがわりに持っていたものだ。
──意を決して、私はそれを破った。
私の吐く息は絶えず白い。ばらばらと散っていく紙屑を忘れるために、私は立ち上がってシェルターに帰った。
もう和希のことは忘れよう。
シェルターに帰ると、許可なく脱走した私のことなど目もくれずに、母はいそいそと支度をしていた。
母は目の前を通った私を一瞥すると、一瞬怒った表情を見せたが、すぐに母の顔に変えて言った。
「はやく準備しなさい。新しい生活が始まるんだから」
四月は新生活の季節だということを私は久しぶりに思い出した。新しい星に桜は咲いているだろうか。
「新しい星に桜は咲いているだろうか。」って締めが好き。