「うち、再婚したんだ」
手に持っていたアイスを落としそうになった。だって、そういえばさあ、なんて軽い口調で切り出された話が、実はそんな重い話だったなんて、いったい誰が思う? どう反応すればいいのかわからず、「へ、へえ」なんてぎこちない相槌を打つ。
「やだなあ、そんな困った顔しないで」
とっさに動揺を隠せずにいる私に、雪乃はくつくつと笑う。なんだかばつが悪くなってうつむくと、白けたローファーと目が合った。
「だからね、放課後に寄り道するの、これで最後にしようと思うの」
再び、アイスを落としそうになる。今度も、ぎりぎりのところで悲劇は免れたけれど、動悸がやむことはなかった。雪乃の親が再婚するから、私たちの時間はこれで最後? どうして雪乃はそんなことを言うのだろう。
慌てる私を見ても、今回は雪乃は笑わなかった。いっそのこと、引っかかったね、今のは冗談だよ、って笑ってくれたらよかったのに。しかし、雪乃がそんなことをする理由なんてなく、何よりそんな性格ではないことを、私は知っていた。
雪乃は、おもむろに目を落とす。
「今は家族との時間を大事にしたいんだ」
つまり、雪乃は私との時間よりも、家族との時間を選んだのだ。今までの雪乃を思い返す。家族連れを見かけるたびに、うらやましそうな目で見ては、家族っていいなあとこぼしていた。そんな雪乃が、念願の家族との時間を優先するのは、考えてみれば当たり前のことだった。
「よかったね。憧れだって言ってたもんね。おめでとう」
口から出た祝福の言葉は、冷たい響きをはらんでいた。雪乃は、そんなことには気づかずに、幸せそうに微笑んだ。
「うん。ありがとう」
どくん。心臓が嫌な音を立てて、アイスはとうとう地に落ちた。
◇
雪乃のそれは、ないものに対する幻想のように思えた。隣の花が赤かったり、隣の芝生が青かったりするのと同じ。だって、父親がいて、母親がいて、さらには姉がいたって、必ずしも幸せとは限らない。
「ただいま」
淡く抱いた期待は、すぐに打ち砕かれることを知っていた。がらんどうの家に、私の声と呼吸の音だけが響く。
私の両親は共働きで、年中家を空けていた。年の離れた姉が家を出てからは、静けさと比例して孤独感は増した。
雪乃は、よく家族が母親しかいないことを嘆いていたけれど、雪乃から聞くエピソードはいつもあたたかいものだった。この前の連休に、お母さんとふたりでちっちゃい旅行に行ったんだ。昨日お母さんが作ってくれたシチューがとってもおいしくてね。私には家族旅行の思い出なんてものはなく、夕食だっていつもひとり。普通なんてあいまいなもの、信じないほうが幸せだ。
私は、階段を駆け上がって、部屋の扉を乱暴に閉める。そして、ベッドに沈んだあと、イヤホンで好きなロックバンドの曲を大音量で流した。
◇
雪乃と過ごす放課後がなくなってから、しばらくが過ぎた。あれ以来、雪乃とは会っていない。高校生になってクラスが離れ、放課後くらいしか会うことのなかった私たち。最近、雪乃はホームルームが終わってからすぐに帰宅しているらしく、昇降口で雪乃を見かけなくなった。私と雪乃、ふたりの時間は、いとも簡単に消失したのだ。
「瑞穂、次移動だよ」
「ちょっと待って、今行く!」
私は、教科書とルーズリーフ一枚、そしてペンケースをひっつかんで席を立った。
「お待たせ、あっちゃん」
活発な性格のあっちゃんは、高校で一番にできた友達だ。同じロックバンドが好きだと発覚してから、よく話すようになった。最初に声をかけてくれたのはあっちゃんだ。それまで雪乃しか話せる相手がいなかった私にとって、あっちゃんの存在はありがたく、少しまぶしくもあった。
「昨日上がった新曲、もう聞いた?」
「えっ、うそ、そんなの出てた⁉」
「出てた出てた、めちゃくちゃよかったよ。あれは聞かないと損」
「うわ、絶対聞く!」
雪乃はロックを聞かない。だから、雪乃とはこんな話はできない。私は、あっちゃんと過ごすとき、ほんの少しの後ろめたさを感じている。
廊下に出ると、クラスメートと談笑する雪乃の姿が目に入った。知らない人たちに囲まれている雪乃は、なんだか私の知っている雪乃ではないような気がして、何とも言えない気持ちの悪さに襲われた。
「あ!」
突然の大きな声に心臓が跳ねる。何事かと思って振り向くと、あっちゃんは爛々と瞳を輝かせていた。
「そういえばさ、今日、久々に部活オフの日なんだよね」
あっちゃんは中学からバレーをやっていて、高校でもバレー部に入ったのだと、仲よくなった日に聞いた。あっちゃんから聞かされる練習内容は地獄のようなものだったけれど、本人はそれを苦に思っていないらしい。昔から運動はからっきし苦手な私にとって、彼女のたくましさはうらやましい限りだった。
「有名なアイスクリームのお店、駅前に新しくオープンしたんだって。今日部活のみんなで行ってみようって話になったんだけど、よかったら瑞穂も来ない?」
「アイスクリーム……」
あっちゃんの提案は魅力的だった。家に帰っても、楽しいことなんてひとつもない。あっちゃんといたほうが、きっと寂しさも紛れるだろう。
不意に、雪乃の横顔が脳をよぎった。今までたくさんの時間を一緒に過ごしてきたはずなのに、雪乃と食べたアイスの味が思い出せない。
「……うん、行こうかな」
「えっ、うそ、珍しい! 駄目元で誘ってみてよかった、きっとみんな喜ぶよ!」
あっちゃんは、嬉しそうに笑った。それを見て、ずきりと心が痛んだ。
◇
あっちゃんの部活仲間は、あっちゃんに似ていて、みんな気さくでいい人だった。けれど、私以外がみんな顔見知り同士という状況は、どうしても居心地が悪い。
店の前は、私たちと同じようにうわさを聞きつけたであろう学生たちでにぎわっていた。アイスを買った私たちは、近くの広場へと向かうことにした。
「そういや、瑞穂と一緒にどっか行くの初めてだね。瑞穂ってば、誘ってもなかなか遊んでくれないから」
ぽつんとひとりでいる私を見兼ねたあっちゃんが、他の子との会話を切り上げて私のほうへ寄ってきてくれる。私は、あっちゃんの友達に申し訳なくなって、あはは、とあいまいに笑った。
あっちゃんは、ときどき放課後に一緒に遊ばないかと誘ってくれていた。私は、それらをすべて断っていた。放課後は雪乃との時間だったから。雪乃とあっちゃんに優先順位をつけているつもりはないけれど、付き合いが長い分、天秤はいつも雪乃のほうに傾いていた。
けれども、今、雪乃は私のところにいない。雪乃は私よりも家族を優先したから。だから、私があっちゃんと一緒に遊んでも、何の問題もない。そのはずなのに。
「今日は大丈夫だったの?」
あっちゃんが、不思議そうに聞いてくる。胸がきしむ音がする。
「……うん」
口寂しくなった私は、アイスをひとくち、口に含んでみる。くどいくらいの甘さは、いつまでも口の中に残っていた。
◇
あっちゃんたちと別れ、帰路につく。雪乃と食べたアイスの店は、ちょうど通り道にあった。
寄っていこうかな。さっきアイスを食べたばかりなのに? 少し、少し覗くだけ。なんて、心の中で、自分に言い訳をして。
私は、足を止めた。そこに見慣れた姿があったから。雪乃だ、と脳が理解するまでに数秒かかった。雪乃だ。雪乃。どうしてここに。
顔を上げた雪乃と目が合った。雪乃は、私と鉢合わせるとは思っていなかったのか、しばらく目を丸くしてから、
「見られちゃった」
と、恥ずかしそうに笑った。
鈍器で頭を殴られたみたいな、にぶい衝撃に襲われる。だって、幸せだと思っていたの。雪乃は、私なんていなくても、私の知らないところで、幸せなんだと思っていたの。ねえ、雪乃――幸せなんじゃなかったの。
私たちは、アイスを買って、いつもの公園に移動した。歩いているとき、私たちは何も話さなかった。ベンチに座って、アイスをひとくち分、口の中で溶かして。そこまでして、ようやく、私たちふたりの時間に戻ったような気がした。
雪乃が、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始める。
「……家をね、飛び出してきたの。なんだか、息苦しくなっちゃって」
新しいお父さんとうまくいかないこと。お母さんが、前みたいに笑わなくなったこと。雪乃は、アイスのカップを握りしめながら、いろいろなことを語った。声は震えているくせに、今にも泣いてしまいそうな顔をしているくせに、彼女の頬は乾いたままだった。
「おかしいよね、あんなに憧れてたのに。いざ手に入ったら思ってたのと違ったなんて、わがままだよね」
雪乃は、口元をゆがめて笑った。なんで相談してくれなかったの。こんなときまで笑わないでよ。いろいろな感情が、ぐちゃぐちゃに溶け合っては、吐き出し方もわからずに心の中でうずいた。
「でね、いろいろ考えてるうちに、瑞穂ちゃんたちが、駅前のアイスを食べに行こうって言ってたのを思い出して。アイス、食べたいなあって思って」
「え」
私は目を見開いた。だって、まさか聞かれているとは思わなかったから。あのとき雪乃のことを考えていたのは、私だけかと思っていたから。雪乃も、私と同じ。雪乃の中に、ちゃんと私はいたのだ。
「……私、雪乃と食べるアイスのほうが好きだよ」
「本当に? 駅前のアイスじゃなくて?」
「うん」
「そっかあ。ふふ、私と食べるほうが好きかあ」
雪乃は笑う。私の浅ましい感情なんて、知らないような顔で笑う。知らないなんてずるいとも思うし、知らないままでいいかとも思う。
ねえ、雪乃。今日は、少し遠回りして帰ろう。そして、今までの隙間を丁寧に埋めたら、明日からはまた寄り道して帰ろう。
すっかり溶けたアイスを一気に飲み干した。やさしい甘さは、心にぽっかりと空いた空洞を満たしてくれたような気がした。
手に持っていたアイスを落としそうになった。だって、そういえばさあ、なんて軽い口調で切り出された話が、実はそんな重い話だったなんて、いったい誰が思う? どう反応すればいいのかわからず、「へ、へえ」なんてぎこちない相槌を打つ。
「やだなあ、そんな困った顔しないで」
とっさに動揺を隠せずにいる私に、雪乃はくつくつと笑う。なんだかばつが悪くなってうつむくと、白けたローファーと目が合った。
「だからね、放課後に寄り道するの、これで最後にしようと思うの」
再び、アイスを落としそうになる。今度も、ぎりぎりのところで悲劇は免れたけれど、動悸がやむことはなかった。雪乃の親が再婚するから、私たちの時間はこれで最後? どうして雪乃はそんなことを言うのだろう。
慌てる私を見ても、今回は雪乃は笑わなかった。いっそのこと、引っかかったね、今のは冗談だよ、って笑ってくれたらよかったのに。しかし、雪乃がそんなことをする理由なんてなく、何よりそんな性格ではないことを、私は知っていた。
雪乃は、おもむろに目を落とす。
「今は家族との時間を大事にしたいんだ」
つまり、雪乃は私との時間よりも、家族との時間を選んだのだ。今までの雪乃を思い返す。家族連れを見かけるたびに、うらやましそうな目で見ては、家族っていいなあとこぼしていた。そんな雪乃が、念願の家族との時間を優先するのは、考えてみれば当たり前のことだった。
「よかったね。憧れだって言ってたもんね。おめでとう」
口から出た祝福の言葉は、冷たい響きをはらんでいた。雪乃は、そんなことには気づかずに、幸せそうに微笑んだ。
「うん。ありがとう」
どくん。心臓が嫌な音を立てて、アイスはとうとう地に落ちた。
◇
雪乃のそれは、ないものに対する幻想のように思えた。隣の花が赤かったり、隣の芝生が青かったりするのと同じ。だって、父親がいて、母親がいて、さらには姉がいたって、必ずしも幸せとは限らない。
「ただいま」
淡く抱いた期待は、すぐに打ち砕かれることを知っていた。がらんどうの家に、私の声と呼吸の音だけが響く。
私の両親は共働きで、年中家を空けていた。年の離れた姉が家を出てからは、静けさと比例して孤独感は増した。
雪乃は、よく家族が母親しかいないことを嘆いていたけれど、雪乃から聞くエピソードはいつもあたたかいものだった。この前の連休に、お母さんとふたりでちっちゃい旅行に行ったんだ。昨日お母さんが作ってくれたシチューがとってもおいしくてね。私には家族旅行の思い出なんてものはなく、夕食だっていつもひとり。普通なんてあいまいなもの、信じないほうが幸せだ。
私は、階段を駆け上がって、部屋の扉を乱暴に閉める。そして、ベッドに沈んだあと、イヤホンで好きなロックバンドの曲を大音量で流した。
◇
雪乃と過ごす放課後がなくなってから、しばらくが過ぎた。あれ以来、雪乃とは会っていない。高校生になってクラスが離れ、放課後くらいしか会うことのなかった私たち。最近、雪乃はホームルームが終わってからすぐに帰宅しているらしく、昇降口で雪乃を見かけなくなった。私と雪乃、ふたりの時間は、いとも簡単に消失したのだ。
「瑞穂、次移動だよ」
「ちょっと待って、今行く!」
私は、教科書とルーズリーフ一枚、そしてペンケースをひっつかんで席を立った。
「お待たせ、あっちゃん」
活発な性格のあっちゃんは、高校で一番にできた友達だ。同じロックバンドが好きだと発覚してから、よく話すようになった。最初に声をかけてくれたのはあっちゃんだ。それまで雪乃しか話せる相手がいなかった私にとって、あっちゃんの存在はありがたく、少しまぶしくもあった。
「昨日上がった新曲、もう聞いた?」
「えっ、うそ、そんなの出てた⁉」
「出てた出てた、めちゃくちゃよかったよ。あれは聞かないと損」
「うわ、絶対聞く!」
雪乃はロックを聞かない。だから、雪乃とはこんな話はできない。私は、あっちゃんと過ごすとき、ほんの少しの後ろめたさを感じている。
廊下に出ると、クラスメートと談笑する雪乃の姿が目に入った。知らない人たちに囲まれている雪乃は、なんだか私の知っている雪乃ではないような気がして、何とも言えない気持ちの悪さに襲われた。
「あ!」
突然の大きな声に心臓が跳ねる。何事かと思って振り向くと、あっちゃんは爛々と瞳を輝かせていた。
「そういえばさ、今日、久々に部活オフの日なんだよね」
あっちゃんは中学からバレーをやっていて、高校でもバレー部に入ったのだと、仲よくなった日に聞いた。あっちゃんから聞かされる練習内容は地獄のようなものだったけれど、本人はそれを苦に思っていないらしい。昔から運動はからっきし苦手な私にとって、彼女のたくましさはうらやましい限りだった。
「有名なアイスクリームのお店、駅前に新しくオープンしたんだって。今日部活のみんなで行ってみようって話になったんだけど、よかったら瑞穂も来ない?」
「アイスクリーム……」
あっちゃんの提案は魅力的だった。家に帰っても、楽しいことなんてひとつもない。あっちゃんといたほうが、きっと寂しさも紛れるだろう。
不意に、雪乃の横顔が脳をよぎった。今までたくさんの時間を一緒に過ごしてきたはずなのに、雪乃と食べたアイスの味が思い出せない。
「……うん、行こうかな」
「えっ、うそ、珍しい! 駄目元で誘ってみてよかった、きっとみんな喜ぶよ!」
あっちゃんは、嬉しそうに笑った。それを見て、ずきりと心が痛んだ。
◇
あっちゃんの部活仲間は、あっちゃんに似ていて、みんな気さくでいい人だった。けれど、私以外がみんな顔見知り同士という状況は、どうしても居心地が悪い。
店の前は、私たちと同じようにうわさを聞きつけたであろう学生たちでにぎわっていた。アイスを買った私たちは、近くの広場へと向かうことにした。
「そういや、瑞穂と一緒にどっか行くの初めてだね。瑞穂ってば、誘ってもなかなか遊んでくれないから」
ぽつんとひとりでいる私を見兼ねたあっちゃんが、他の子との会話を切り上げて私のほうへ寄ってきてくれる。私は、あっちゃんの友達に申し訳なくなって、あはは、とあいまいに笑った。
あっちゃんは、ときどき放課後に一緒に遊ばないかと誘ってくれていた。私は、それらをすべて断っていた。放課後は雪乃との時間だったから。雪乃とあっちゃんに優先順位をつけているつもりはないけれど、付き合いが長い分、天秤はいつも雪乃のほうに傾いていた。
けれども、今、雪乃は私のところにいない。雪乃は私よりも家族を優先したから。だから、私があっちゃんと一緒に遊んでも、何の問題もない。そのはずなのに。
「今日は大丈夫だったの?」
あっちゃんが、不思議そうに聞いてくる。胸がきしむ音がする。
「……うん」
口寂しくなった私は、アイスをひとくち、口に含んでみる。くどいくらいの甘さは、いつまでも口の中に残っていた。
◇
あっちゃんたちと別れ、帰路につく。雪乃と食べたアイスの店は、ちょうど通り道にあった。
寄っていこうかな。さっきアイスを食べたばかりなのに? 少し、少し覗くだけ。なんて、心の中で、自分に言い訳をして。
私は、足を止めた。そこに見慣れた姿があったから。雪乃だ、と脳が理解するまでに数秒かかった。雪乃だ。雪乃。どうしてここに。
顔を上げた雪乃と目が合った。雪乃は、私と鉢合わせるとは思っていなかったのか、しばらく目を丸くしてから、
「見られちゃった」
と、恥ずかしそうに笑った。
鈍器で頭を殴られたみたいな、にぶい衝撃に襲われる。だって、幸せだと思っていたの。雪乃は、私なんていなくても、私の知らないところで、幸せなんだと思っていたの。ねえ、雪乃――幸せなんじゃなかったの。
私たちは、アイスを買って、いつもの公園に移動した。歩いているとき、私たちは何も話さなかった。ベンチに座って、アイスをひとくち分、口の中で溶かして。そこまでして、ようやく、私たちふたりの時間に戻ったような気がした。
雪乃が、ぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始める。
「……家をね、飛び出してきたの。なんだか、息苦しくなっちゃって」
新しいお父さんとうまくいかないこと。お母さんが、前みたいに笑わなくなったこと。雪乃は、アイスのカップを握りしめながら、いろいろなことを語った。声は震えているくせに、今にも泣いてしまいそうな顔をしているくせに、彼女の頬は乾いたままだった。
「おかしいよね、あんなに憧れてたのに。いざ手に入ったら思ってたのと違ったなんて、わがままだよね」
雪乃は、口元をゆがめて笑った。なんで相談してくれなかったの。こんなときまで笑わないでよ。いろいろな感情が、ぐちゃぐちゃに溶け合っては、吐き出し方もわからずに心の中でうずいた。
「でね、いろいろ考えてるうちに、瑞穂ちゃんたちが、駅前のアイスを食べに行こうって言ってたのを思い出して。アイス、食べたいなあって思って」
「え」
私は目を見開いた。だって、まさか聞かれているとは思わなかったから。あのとき雪乃のことを考えていたのは、私だけかと思っていたから。雪乃も、私と同じ。雪乃の中に、ちゃんと私はいたのだ。
「……私、雪乃と食べるアイスのほうが好きだよ」
「本当に? 駅前のアイスじゃなくて?」
「うん」
「そっかあ。ふふ、私と食べるほうが好きかあ」
雪乃は笑う。私の浅ましい感情なんて、知らないような顔で笑う。知らないなんてずるいとも思うし、知らないままでいいかとも思う。
ねえ、雪乃。今日は、少し遠回りして帰ろう。そして、今までの隙間を丁寧に埋めたら、明日からはまた寄り道して帰ろう。
すっかり溶けたアイスを一気に飲み干した。やさしい甘さは、心にぽっかりと空いた空洞を満たしてくれたような気がした。
でも学生で再婚するのかと思ってびっくりした。
依存ていいよね。