①
ドアをノックして、それから小さい穴で歪んだ私をみてもらって、鍵を開けてもらって、それで抱きしめてもらう。私はそれだけで良くて、できっと君もそれだけで良い。そういう妄想が夢の中でも頭を占めている。こういう夢を見た日は、なんとなく罪悪感を抱きながら目覚めることになる。手に取ると自分でつくスマホの灯りに目を強張らせて、今が何時か確認してやっと立ち上がる。冬の寝起きは結構好きだ。私はゴソゴソとトレーナーの中でブラジャーのホックを外して、着替えをするのにも寒さを遠ざけた。隣の女はまだ起きていないみたいだ。というよりも、もう起きないみたいだ。彼女が起きているのを見たのはもう半年も前のこと。寝息に耳を傾ける。死んでいるわけではないという確信と違和感が、なんとなく私を安心させている。
②
「ねえ、もうマーマレードジャム無くなっちゃうよ。」
「うーん、次は苺ジャムがいいと思うんだけど。そろそろスーパー行かないとだね。」
と言いながら、2人で覗き込んだ冷蔵庫は空っぽだった。深夜4時。大学生とは気楽なもので、深夜四時に起きていても明日の心配をする気力すらない。ぼーっとした毎日を繰り返すことに、私は次第に幸せを感じていた。
彼女はもう冷蔵庫にも興味はないようだ。スーパーに行かなきゃならない、ということも忘れたようでガサゴソと戸棚を漁っている。
「何探してるの。」
「うーん、ネイル。」
冷蔵庫を閉めて、スマホに目を落とす。しばらく液晶を撫でていると、彼女はマニキュアを見つけたようで隣に座って爪に塗り始めた。
「何色?」
「青」
③
「いらっしゃいませー。」
コンビニの夜勤というのは退屈で、防犯カメラの死角でスマホをいじって暇を潰している。二時の東京の端っこのコンビニエンスストアは30分に一回くらい、自動ドアが開いて軽快な音楽が鳴る。そうすると大抵シフトが被っているジンくんと一緒に、急がずに立ち上がってお客さんをぼーっと眺める。
眼鏡と前屈みになるとバレちゃう禿げた頭が特徴のこのおじさんは大体この時間、タバコを買いに来る。
「194番ください。」
「こちらでよろしかったですか?」
と聞くと頷いて、上着のポケットから財布を出して、自動会計のタッチパネルを操作する。多分もう少し経ったらコンビニの店員なんて仕事、なくなっちゃうんだろうな。AIがAIを作るようになったら終わりだ、なんて考えてまた防犯カメラの死角に戻った。目線はスマホのまま、ジンくんは口を開く。
「お友達、まだ起きないんですか。」
「そうだね、ずっと寝てる。」
ジンくんは彼女のことが気になって仕方ないみたいに、会うと毎回聞いてくる。根っからの男性脳で理系なジンくんには、いつまでも私が嘘をついているように見えるかもしれない。いやそう見えている。それでもこうやって聞いてくるのは、ただの予定調和だろうか。それとも興味かな。
そっすか、というジンくんの相槌と一緒に鳴った軽快な音楽を合図に会話が終わった。
④
コンビニからの帰り道は家まで歩いて帰る。この時間が結構好きで、家まで10分足らずの自転車に乗るのはなんだか勿体無くて、歩いて帰る。たまに彼女が迎えにきて並んで帰った。歩きタバコをする彼女を咎めたのははじめだけで、1週間も経ったらなんとなくその匂いが好きになってた。今日、帰ってドアを開けたら彼女は何もなかったかのように起きていたりするかもしれない。そんな妄想に頭を囚われているとあっという間に家の前までつく。私がコンビニから帰るこの道は、彼女が起きていても眠っていても彼女でいっぱいで、私はまだ彼女のことがちゃんと好きでいられているという気にさせてくれる。足元に目線を落として、彼女が好きだった曲を口ずさみながら、階段を登って、願掛けに目を閉じて203号室のドアを開けた。
「ただいま」
そう言って目を開けても、結局いつも通りシンとしたワンルームが私を出迎えた。ベッドの上で、やはり彼女は眠っている。ずっとベッドで大の字に寝てるから、私はずっとソファで眠っている。初めは同じベッドで寝ていたがどうにも狭くてやめてしまった。そのおかげで最近腰が痛くなってきた。彼女が起きるのと、私の腰が本格的に痛み出すのはどちらが先だろうか。
一応充電が切れないようにしている彼女のスマホをつける。パスワードが分からないから、中身を見ることなんてできないけど。彼女が眠ってから毎日通知をチェックしているが、人からの連絡が来ているのを見たことがない。彼女は私に出会うまで、どうやって人と関わってきたのだろう。そう思うと、私に出会う前の彼女のことを私は本当の意味で何も知らないのかもしれない。知っていることとすれば、ひとりっ子で左利きで、血液型は分からなくてちょっと昔のアイドルが好きなことくらい。
私は彼女の過去を知らずに、今を好きになってしまったんだ。圧倒的に、地続きの中で嫌でも目が覚めしまう私は、眠ったままの彼女に負けている。
⑤
例えば、君の体をなぞってみて、この感触が嘘のような気がする。例えば、君が好きだと言っていたジャムの味は無味無臭で、私の舌の温度とは程遠いものな気がする。例えば、君が好きと言っていたアイドルも歌も全部偽物で、タラレバだけを詰め込んだ缶切りのような音楽な気がする。
ほっぺたをつねってみても、水を被せてみても、御伽話のようにキスをしても起きない貴方を、私はどうやって生きていると言えばいいの?貴方が死んでいるという証明の方がずっと単純なのに。
ねぇ死んで星になるなら、地球になった人はどんな人だったと思う?ガリガリと氷を噛み砕く。夏。私は好きな季節ができるほどの幸せも、嫌いな季節ができるほどの失恋も持ち合わせていなくて貴方との思い出をただ、ひたすら線でなぞっている。そもそも、夏は嫌いだとかいうものはもう宇多田ヒカルかaikoが歌っているし、私の幸せなんてちっぽけで尊くて、君がいればいいとかそういう嘘をついて誤魔化す。けど、嘘じゃなくて本当なのに君が死んだらきっと地球は太陽になっちゃうよ。
私は君の上で、ただロックスターになりたいんじゃないしクラシックをしたいわけじゃなくて、不思議な力を手に入れたいわけでもなくて、抱きしめて貰いたいのでもなくて、ただ君の上で何の激情も感動もない日常を呆然と繰り返したいだけなのに。
地球の上で私が歩いていて、私が朝とか夜に起きて、私がお風呂に入って買い物をする。それが貴方が生きているだけの唯一の証明で、私が生きる唯一の理由。貴方の側は温かいもの。コンクリートに寝そべって考える。喉が渇いた。喉が、反対の喉に張り付く。今日もバイト行かなきゃ。水道水の美味しさを考えてみて、私はなんとか体を起こした。