僕は大学二年になるまで、アルバイトをしている人間を基本的に馬鹿にしていた。あと数年もしたら嫌でも働くことになるというのに、何故わざわざ先んじて自ら働きにいくのだろうかとずっと疑問に思っていたし、僕は絶対にそうはならないよう努力しようと心に決めていた。バイトに時間をかける暇があるのならば、資格の勉強でもして知識を蓄えておく方がよっぽど生産的だという気持ちは今でも変わりない。
しかし二年生になり、毎日のように開催される飲み会によって中高と少しづつ貯めていた貯金があっという間に空となった時、僕は大学生が狂ったようにバイトをする理由をやっと理解した気がした。結局のところ、健全な大学生にはアルコールというものが必要不可欠なのだろう。一年生からの友人が「酒、酒」と同じ言葉しか口にしなくなった事からもそれは明らかだ。程なくして、僕は他の大学生と同じ目的の為アルバイトをする事となった。
バイトの面接は驚くほどあっさりと通過した。僕が働くことになったのは近くのドラッグストアで、この辺りに住んでいれば一度はお世話になった事があると言って良いほど地域住民には馴染みの深い場所であった。男手が足りていなかったのか、僕の業務は基本的にトイレットペーパーの補充や飲み物の箱の補充など、比較的重めの荷物を取り扱うものが主軸となった。幸いトレーニングが趣味だった為さして苦ではなく、その働きぶりと、ハズレくじを率先して回収していく姿から、僕は同じ時間のバイト達ともすぐに打ち解けることができた。
「また仏来てたよ。しかもあいつ、また二リットルの水一本買ってってさ、どんだけ水飲むんだよって話」
そんなある日、同じ時間に入っていたバイトの小宮さんと飯田さんの愚痴がなんとなく耳に入り、そこから「仏」という客の存在を知った。
仏とはいっても、実際彼のような聖人であるというわけでも、脇から生まれたという逸話があるわけでもなく、毎日三回店に来るというその客の不可解な行動が名前のもとになっているようだ。
「仏の顔も三度まで」という言葉と「お客様は神様だ」というバイトの常套句を合わせて「仏」。最初に聞いたときはなかなか良いネーミングだと思ったが、冷静に考えると三回という点以外まるで共通点がない。二日後実際にその姿を目撃することになるが、ボサボサの長髪とつむじで分けられた前髪は、仏というよりキリストのイメージの方が近い気もした。
興味深いのは彼のその行動だった。とは言っても、必ず三回来るという点にではない。毎日三回来るというのは、少なくともうちの店ではそこまで不思議な事でもないのだ。高齢の方になると散歩がてら店に何回か寄ったり、いつも見る店員に話しかけたりするためにわざわざ店に訪れる人も少なからず存在している。
やはり一番不可思議なのは「水を箱ではなく一本だけ買っていく」という点と「わざわざ遠くにあるこの店に訪れている」という点だ。
というのも小宮さん曰く、仏の家は彼女の家から歩いて二分ほどの場所にあるそうなのだ。小宮さんは友人の飯田さんと同じ職場で働きたいが為にここまで来ているだけで、実際ここから小宮さんの家は三キロほどの距離があるらしい。加えてその辺りには同名のドラックストアがあるようで、そこに仏が普段買っている水も同じ値段で売っているそうだ。
「そんな奴がいるんですか」
彼女達の会話にそれとなく参加すると、小宮さんは「そうそう、まあ、変なだけで特に害はないんだけどねー。これといって不潔というけでもないしさ。結構いいとこ住んでんのよ、あいつ」と軽く相槌を混じえながら答えてくれた。
「でも五時八時の五十嵐(いがらし)さんは、仏にジロジロ見られたって言ってたよ」
「マジ? ごめん新人くん。やっぱあいつ害あったわ」
そこで店長がやってきたので、小宮さん達は「お疲れ様です」と言って足早に帰ってしまい、その話はそこで終わってしまった。何となくその客の事が気になった僕は、後日、それとなく意見を貰おうと飲みの席でその話題を出してみた。酒のつまみ程度になれば良いと思っていたのだが、その話題は想像以上の盛り上がりを見せ、ミステリー好きの田中が「そいつのこと、俺追いかけてみようかな」などと言い始めた。完全に出来上がっていた僕達は「おう、やれやれ」と言って囃し立てたが、正直な所、誰もその言葉を本気にはしていなかったと思う。
二週間後、そんな飲みの席での話など完全に忘れた頃、田中から僕宛にメールが届いた。見るとpdfが一個添付されており、そこには仏の入店するタイミング、何を買いどのぐらいで退店するのか、何を使って店に来るかが一週間分まとめられていた。流石に気持ち悪いと感じた僕だったが、その資料を読む中で一つ、僕は興味深い事実に気がついた。
それは、仏が入店するタイミングが、常に二時、五時、八時であるという点だ。そしてこれは、ちょうどシフトが切り替わるタイミングと一致している。
つまり仏は、その日シフトに入っている全員を確認することが出来る時間を狙って店に来ているということになる。流石に偶然にしては出来すぎていると思い田中に連絡すると、彼も同じことを考えていたようだった。僕たちは仏を「バイトの誰かに恋をしている変質者」か「シフトの穴をつき、何か良からぬ事を企む犯罪者」であると考察した。
それから僕は、仏を見かける度何かよからぬ事を行わないか執拗に監視することにした。別にそこまで店に思い入れがあった訳ではなかったが、不審者を目前にして何もしないほど冷め切っている訳でもなかった。商品の段ボールを持ちながら後ろについてみたり、事務所の監視カメラを利用してその尻尾を掴もうとしてみたりもした。そんな僕の努力が実を結んだのか、一ヶ月程経つと仏は姿を完全に消した。大袈裟かもしれないが、僕は起こりえた犯罪を未然に一つ防ぐことに成功したのだ。
それからしばらくして、僕は「サボり行為」と「客に対しての迷惑行為」を理由に店長から解雇された。僕はすぐに仏をつけ回していた事を言われているのだと理解したが、しかしどうにも腑に落ちない事があり、相談のため、後日田中を飲みに誘った。
「確かに僕が仏をつけまわしていたのは事実だけど、仮に仏がクレームを入れたとして、まず本人に事実確認するだろ? いきなり解雇ってのは、ちょっとおかしくないか?」
僕が引っかかっていたのは、何よりそこだった。即解雇というのは通常ほとんど考えられない事で、例えクレームが事実だったとしても、厳重注意程度で済む事の方がはるかに多いのだ。
僕の話を聞いてもしばらく何も喋らなかった田中だったが、不意に「なるほど」と言って二回ほど頷いた。
「以前君のバイト先の先輩が仏について『良い家に住んでる』って言ってただろ? それで僕はずっと考えてたんだよ。『何の仕事についてるんだろ』って」
「仕事? 別にあいつが何の仕事着いてても良いだろ」
「だって考えてみろよ。二時、五時、八時にお前の店に行ってるなら、とても仕事なんてしている余裕なんてないだろ」
言われてみれば確かにその通りだった。しかし今時は不労所得で生きていく方法なんていくらでもある。仏もその一人だとしてもなんら不思議はない。
「勿論そういう仕事に就いている可能性だってある。だけども君が即解雇された理由に紐付けるならば、一つ、仏の正体について思いつくものがある」
会計を済ませた僕達は、数分歩いた先にあった十字路で別れた。アルコールによって火照った体が、向かい風によって急激に冷めていくのを感じた。
「仏の正体は、ずばりお前の店の社員だな。それもかなり上の立場の」
田中曰く、仏の正体とは本部から派遣された覆面調査員とのことだ。二時、五時、八時とシフトの切り替わるタイミングで店に訪れていたのは、働いている全員を審査するためで、まんまとその覆面調査員をつけまわしたり、敵意の視線を向けていた僕は、それを報告されクビにされたと言う訳である。言われてみれば最初から犯罪者として見ていたため、レジや何か質問された時も酷い態度で接客していた気がする。
「ま、触らぬ神に祟りなしってやつだな。可哀想だし、今日は多めに出してやるよ」
そもそも田中が言い出さなければ、と言いそうになったがグッと堪えた。職を失った今、例え数百円でも僕にとっては貴重だ。なんといったって、その金で缶ビールをいくつか買える。
帰り道に、こじんまりとした神社を見つけた。せめてこれ以上災いが起こらぬよう、僕は「南無南無」と二度唱えてその場を去った。
しかし二年生になり、毎日のように開催される飲み会によって中高と少しづつ貯めていた貯金があっという間に空となった時、僕は大学生が狂ったようにバイトをする理由をやっと理解した気がした。結局のところ、健全な大学生にはアルコールというものが必要不可欠なのだろう。一年生からの友人が「酒、酒」と同じ言葉しか口にしなくなった事からもそれは明らかだ。程なくして、僕は他の大学生と同じ目的の為アルバイトをする事となった。
バイトの面接は驚くほどあっさりと通過した。僕が働くことになったのは近くのドラッグストアで、この辺りに住んでいれば一度はお世話になった事があると言って良いほど地域住民には馴染みの深い場所であった。男手が足りていなかったのか、僕の業務は基本的にトイレットペーパーの補充や飲み物の箱の補充など、比較的重めの荷物を取り扱うものが主軸となった。幸いトレーニングが趣味だった為さして苦ではなく、その働きぶりと、ハズレくじを率先して回収していく姿から、僕は同じ時間のバイト達ともすぐに打ち解けることができた。
「また仏来てたよ。しかもあいつ、また二リットルの水一本買ってってさ、どんだけ水飲むんだよって話」
そんなある日、同じ時間に入っていたバイトの小宮さんと飯田さんの愚痴がなんとなく耳に入り、そこから「仏」という客の存在を知った。
仏とはいっても、実際彼のような聖人であるというわけでも、脇から生まれたという逸話があるわけでもなく、毎日三回店に来るというその客の不可解な行動が名前のもとになっているようだ。
「仏の顔も三度まで」という言葉と「お客様は神様だ」というバイトの常套句を合わせて「仏」。最初に聞いたときはなかなか良いネーミングだと思ったが、冷静に考えると三回という点以外まるで共通点がない。二日後実際にその姿を目撃することになるが、ボサボサの長髪とつむじで分けられた前髪は、仏というよりキリストのイメージの方が近い気もした。
興味深いのは彼のその行動だった。とは言っても、必ず三回来るという点にではない。毎日三回来るというのは、少なくともうちの店ではそこまで不思議な事でもないのだ。高齢の方になると散歩がてら店に何回か寄ったり、いつも見る店員に話しかけたりするためにわざわざ店に訪れる人も少なからず存在している。
やはり一番不可思議なのは「水を箱ではなく一本だけ買っていく」という点と「わざわざ遠くにあるこの店に訪れている」という点だ。
というのも小宮さん曰く、仏の家は彼女の家から歩いて二分ほどの場所にあるそうなのだ。小宮さんは友人の飯田さんと同じ職場で働きたいが為にここまで来ているだけで、実際ここから小宮さんの家は三キロほどの距離があるらしい。加えてその辺りには同名のドラックストアがあるようで、そこに仏が普段買っている水も同じ値段で売っているそうだ。
「そんな奴がいるんですか」
彼女達の会話にそれとなく参加すると、小宮さんは「そうそう、まあ、変なだけで特に害はないんだけどねー。これといって不潔というけでもないしさ。結構いいとこ住んでんのよ、あいつ」と軽く相槌を混じえながら答えてくれた。
「でも五時八時の五十嵐(いがらし)さんは、仏にジロジロ見られたって言ってたよ」
「マジ? ごめん新人くん。やっぱあいつ害あったわ」
そこで店長がやってきたので、小宮さん達は「お疲れ様です」と言って足早に帰ってしまい、その話はそこで終わってしまった。何となくその客の事が気になった僕は、後日、それとなく意見を貰おうと飲みの席でその話題を出してみた。酒のつまみ程度になれば良いと思っていたのだが、その話題は想像以上の盛り上がりを見せ、ミステリー好きの田中が「そいつのこと、俺追いかけてみようかな」などと言い始めた。完全に出来上がっていた僕達は「おう、やれやれ」と言って囃し立てたが、正直な所、誰もその言葉を本気にはしていなかったと思う。
二週間後、そんな飲みの席での話など完全に忘れた頃、田中から僕宛にメールが届いた。見るとpdfが一個添付されており、そこには仏の入店するタイミング、何を買いどのぐらいで退店するのか、何を使って店に来るかが一週間分まとめられていた。流石に気持ち悪いと感じた僕だったが、その資料を読む中で一つ、僕は興味深い事実に気がついた。
それは、仏が入店するタイミングが、常に二時、五時、八時であるという点だ。そしてこれは、ちょうどシフトが切り替わるタイミングと一致している。
つまり仏は、その日シフトに入っている全員を確認することが出来る時間を狙って店に来ているということになる。流石に偶然にしては出来すぎていると思い田中に連絡すると、彼も同じことを考えていたようだった。僕たちは仏を「バイトの誰かに恋をしている変質者」か「シフトの穴をつき、何か良からぬ事を企む犯罪者」であると考察した。
それから僕は、仏を見かける度何かよからぬ事を行わないか執拗に監視することにした。別にそこまで店に思い入れがあった訳ではなかったが、不審者を目前にして何もしないほど冷め切っている訳でもなかった。商品の段ボールを持ちながら後ろについてみたり、事務所の監視カメラを利用してその尻尾を掴もうとしてみたりもした。そんな僕の努力が実を結んだのか、一ヶ月程経つと仏は姿を完全に消した。大袈裟かもしれないが、僕は起こりえた犯罪を未然に一つ防ぐことに成功したのだ。
それからしばらくして、僕は「サボり行為」と「客に対しての迷惑行為」を理由に店長から解雇された。僕はすぐに仏をつけ回していた事を言われているのだと理解したが、しかしどうにも腑に落ちない事があり、相談のため、後日田中を飲みに誘った。
「確かに僕が仏をつけまわしていたのは事実だけど、仮に仏がクレームを入れたとして、まず本人に事実確認するだろ? いきなり解雇ってのは、ちょっとおかしくないか?」
僕が引っかかっていたのは、何よりそこだった。即解雇というのは通常ほとんど考えられない事で、例えクレームが事実だったとしても、厳重注意程度で済む事の方がはるかに多いのだ。
僕の話を聞いてもしばらく何も喋らなかった田中だったが、不意に「なるほど」と言って二回ほど頷いた。
「以前君のバイト先の先輩が仏について『良い家に住んでる』って言ってただろ? それで僕はずっと考えてたんだよ。『何の仕事についてるんだろ』って」
「仕事? 別にあいつが何の仕事着いてても良いだろ」
「だって考えてみろよ。二時、五時、八時にお前の店に行ってるなら、とても仕事なんてしている余裕なんてないだろ」
言われてみれば確かにその通りだった。しかし今時は不労所得で生きていく方法なんていくらでもある。仏もその一人だとしてもなんら不思議はない。
「勿論そういう仕事に就いている可能性だってある。だけども君が即解雇された理由に紐付けるならば、一つ、仏の正体について思いつくものがある」
会計を済ませた僕達は、数分歩いた先にあった十字路で別れた。アルコールによって火照った体が、向かい風によって急激に冷めていくのを感じた。
「仏の正体は、ずばりお前の店の社員だな。それもかなり上の立場の」
田中曰く、仏の正体とは本部から派遣された覆面調査員とのことだ。二時、五時、八時とシフトの切り替わるタイミングで店に訪れていたのは、働いている全員を審査するためで、まんまとその覆面調査員をつけまわしたり、敵意の視線を向けていた僕は、それを報告されクビにされたと言う訳である。言われてみれば最初から犯罪者として見ていたため、レジや何か質問された時も酷い態度で接客していた気がする。
「ま、触らぬ神に祟りなしってやつだな。可哀想だし、今日は多めに出してやるよ」
そもそも田中が言い出さなければ、と言いそうになったがグッと堪えた。職を失った今、例え数百円でも僕にとっては貴重だ。なんといったって、その金で缶ビールをいくつか買える。
帰り道に、こじんまりとした神社を見つけた。せめてこれ以上災いが起こらぬよう、僕は「南無南無」と二度唱えてその場を去った。