このごろ最近、猫になっています。
猫になっているというのは、にゃぁ。と口を開かずに鳴いてしまうことを言います。
また、鳥にもなったりもしています。
それは、とっさにぴゅー。と口笛を吹いてしまうことを言います。
猫になったり鳥になったり、やっぱりこのごろ忙しい。いや、忙しいのだからわたしは猫に、あるいは鳥になってしまうのです。あれもこれも、わたしが動物になってしまうのはきっと、だから、憂鬱なとき。記憶がふと、浮かび上がるとき。そんなとき、にゃぁ。やら、ぴゅー。やら声を上げるのです。猫になればぐにゃんとしなやかに、記憶をやわらかい肉球で撫でられ、鳥になればそれは、どこかへ飛んでいけそうな心持ちになるからです。
しかし困ったことに、にゃー。ぴゅー。と鳴き続ける内に、猫になるのが、あるいは鳥になるのが、わたしはやめられなくなってしまったのです。電車の中であっても、学校の授業中であっても、どんな時間でもどんな場所でも、おかまいなし。
にゃぁ。ぴゅー。にゃぁ。ぴゅー。にゃー。ぴゅー。にゃー。ぴゅー。鳴いてしまう。
しかし、わたしは憂鬱をやり過ごすやり方を、実は他に二つも知っています。
わたしが猫や鳥になってしまうことが、友達のふぅに気づかれて、それから教わったやり方が一つ。それは、膝を十回、バシバシバシバシ叩くこと。これはそもそもふと、浮かび上がってくる記憶を、バシバシバシバシ叩くことによって、消してしまうやり方なのです。しかしわたしはこれには反対で、なぜならばそれは、記憶をもっと、優しく抱きしめていたいからです。どんなに自分を縛り付けようとする記憶であっても、優しく撫でてあげたいからです。
そのために行う憂鬱のやり過ごし方が、歩いて近所の牛を見にいくことです。
牛は焦げ茶色の牛で、日に当たるとキラキラキラキラ汗をかく。そして近くにある丸太を、よく舐めている。牛の周りには、蝿が集っている。にも関わらず牛は、全く動じない。いや、わたしが気づかないだけで、もしかしたら辛いのかもしれない。とも思います。
だから確認するためにわたしは、牛の目の前で、わざと、膝を十回、バシバシバシバシ叩いてみる。憂鬱を粗末に扱うわたしを目の前にして牛は心配してきっと、その大きな胃袋の中で、にゃー。やら、ぴゅー。やら鳴き出して、今にも胃液と一緒に猫やら鳥やらおえっと吐き出すのだろうと空想したのですが、十回膝を、バシバシバシバシ叩くわたしの前であっても、牛はやっぱり、丸太をずっと、舐めているだけでした。
猫になっているというのは、にゃぁ。と口を開かずに鳴いてしまうことを言います。
また、鳥にもなったりもしています。
それは、とっさにぴゅー。と口笛を吹いてしまうことを言います。
猫になったり鳥になったり、やっぱりこのごろ忙しい。いや、忙しいのだからわたしは猫に、あるいは鳥になってしまうのです。あれもこれも、わたしが動物になってしまうのはきっと、だから、憂鬱なとき。記憶がふと、浮かび上がるとき。そんなとき、にゃぁ。やら、ぴゅー。やら声を上げるのです。猫になればぐにゃんとしなやかに、記憶をやわらかい肉球で撫でられ、鳥になればそれは、どこかへ飛んでいけそうな心持ちになるからです。
しかし困ったことに、にゃー。ぴゅー。と鳴き続ける内に、猫になるのが、あるいは鳥になるのが、わたしはやめられなくなってしまったのです。電車の中であっても、学校の授業中であっても、どんな時間でもどんな場所でも、おかまいなし。
にゃぁ。ぴゅー。にゃぁ。ぴゅー。にゃー。ぴゅー。にゃー。ぴゅー。鳴いてしまう。
しかし、わたしは憂鬱をやり過ごすやり方を、実は他に二つも知っています。
わたしが猫や鳥になってしまうことが、友達のふぅに気づかれて、それから教わったやり方が一つ。それは、膝を十回、バシバシバシバシ叩くこと。これはそもそもふと、浮かび上がってくる記憶を、バシバシバシバシ叩くことによって、消してしまうやり方なのです。しかしわたしはこれには反対で、なぜならばそれは、記憶をもっと、優しく抱きしめていたいからです。どんなに自分を縛り付けようとする記憶であっても、優しく撫でてあげたいからです。
そのために行う憂鬱のやり過ごし方が、歩いて近所の牛を見にいくことです。
牛は焦げ茶色の牛で、日に当たるとキラキラキラキラ汗をかく。そして近くにある丸太を、よく舐めている。牛の周りには、蝿が集っている。にも関わらず牛は、全く動じない。いや、わたしが気づかないだけで、もしかしたら辛いのかもしれない。とも思います。
だから確認するためにわたしは、牛の目の前で、わざと、膝を十回、バシバシバシバシ叩いてみる。憂鬱を粗末に扱うわたしを目の前にして牛は心配してきっと、その大きな胃袋の中で、にゃー。やら、ぴゅー。やら鳴き出して、今にも胃液と一緒に猫やら鳥やらおえっと吐き出すのだろうと空想したのですが、十回膝を、バシバシバシバシ叩くわたしの前であっても、牛はやっぱり、丸太をずっと、舐めているだけでした。