zorozoro - 文芸寄港

犯罪的な美味さ

2024/07/24 14:22:15
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 半ば乱暴に、ゴトンと音を立てて目の前にどんぶりが置かれる。蓋がされていて、まだ中は見えない。ああ、早くその姿を見せておくれ。もう俺は君を待ってはいられない。視界の端に、付け合わせのお新香を持った手が映る。しかし、もう俺は目の前の君に釘付けだ。緊張で震える手を必死に抑え、重い陶器の蓋をゆっくりと持ち上げる。
 カツ丼。それは人類の生み出したご飯ものの究極体。我らが国民食、ホカホカのご飯と、サクサクのカツ、それを有り余る母性をもって包み込む卵。卵が母性を持っているのはまるでおかしいではないかという意見は、まずそれを眼前に構えてから述べていただきたい。ともかく、カツ丼という完成された食べ物の存在するこの国に生まれたことに、我々はもっと感謝せねばならない。果たしてそれが、誰のためにもならなくとも。
 蓋を持ち上げた途端、その隙間から湯気があふれ出す。まるで、富士山頂から眺める美しい雲海。質の高い絹でこしらえた、天の羽衣。徐々に天へと登ってゆくそれは、とうとう俺の鼻に到達する。ようこそ新世界。普段潜在的に秘められた鼻の全機能が活性化し、自然と脈も速くなる。香りが、全身へと行き渡る。俺の目、鼻から収集される情報が、中に秘められた高貴な存在を予感させる。
 蓋が開く。うぅ! 眩しい! それは、頭上にぶら下がる照明よりもはるかに眩しく、高貴な輝きを放っていた。茶系色を完璧に着こなした豚肉が、ゆったりとご飯に身を預けている。中央に添えられた三つ葉は、まるで大草原に佇む一本の巨木。目下のカツとご飯を、これ以上ない至極の舞台に仕立て上げている。
卓上に無造作に置かれた割り箸を手に取り、箸袋から抜き取る。気分は宿敵と対峙する、侍。箸袋に書かれた店名は、そのまま刀の名であろう。静まり返った部屋に、箸を割る音が無機質に響く。俺は一生、割り箸を割るのが下手だ。なんだこの形は。一方は太く、一方は細い。これではこん棒とレイピアだ。宮本武蔵には遠く及ばない。
 衣を纏い、アルプスの湖上の如くキラキラと光るカツを、丁寧に持ち上げる。もう俺には、眼前のカツ以外何も見えない。程よくトロンと固まった卵の光沢が、この世の森羅万象を映し出す。ここにはすべてが詰まっている。豚肉が有り余る肉汁を滴らせる。ああ、手が震える。それでは、いただきます。
 ゆっくりと箸を動かす。カツは湯気を空中に置き去りにして、俺のもとへ誘われる。ぱくり。噛むと、出汁の効いた醤油の風味が口に広がる。うまい。後に追って、卵の優しい甘さが圧倒的母性をもって俺を包む。無機質な天井に、遠い故郷の母親の顔が浮かび上がる。ああ、母さん。僕は今幸せだよ。生んでくれてありがとう。噛めば噛むほど、カラッと揚がった豚肉の旨味がじわじわと舌に沁み込む。脂身も丁度いい。衣と喧嘩しない程度で、けれどもあっさりしすぎないうまい具合に調整されている。
 ああもう我慢できない。火傷するほど熱い器をグッと持ち上げ、甘じょっぱいタレが沁み沁みのご飯をかき込む。こんなところにいたのかタレ達! 沁み込んだタレが、先客のカツと最高峰のマリアージュを見せる。さらなる旨味が一気に押し寄せ、口の中では塩味、甘み、旨味の黄金比率が完璧に構築される。
 ああ、ここに付け合わせの漬物を放り込めばさらに……。
 そう思った時である。
「おい、いい加減何か言え!」
 怒号とともに、机が叩かれた。なんなんだ全く、人が目の前のカツ丼を堪能しているというのに。いくら警察署内取調室だからだといって許される蛮行ではないだろう。
「もう証拠は挙がっているんだ。疑いの余地なんてないんだよ。あとはお前が犯行を認めさえすれば、事は片付く」
 漬物を口に放り込む。一瞬、すでに構築された黄金比が崩されたかと思えば、また新たな黄金比が浮かび上がる。計算しつくされた、非の打ち所のない料理、いや、作品。
「いつまでもだんまりしてても、罪が重くなるだけだぞ。どうせ牢屋にぶち込まれるんだ。シャバに出てもお前を待っている人間なんていないだろう」
 二口目。カツを口に入れると、二度目というには新鮮すぎるほどにうまみの猛攻が始まる。今度はすぐさまご飯をかき込む。美味い。美味い。美味い。もう箸が止まらない!
「石畑五郎、新潟県出身。幼少期に両親を亡くし、東京の祖父母の家で育つ。小学校では周囲の人間と馴染めず不登校、中学で祖母が他界。高校に進んだものの数々の問題行動によりほんの数か月で退学。十八歳で祖父をもなくし、フリーターとして生計を立てる。全く、救いようのない人生だな」
 さらにもう一切れ、口に放り込む。程よく冷めている。カツがだんだんしんなりしてきて、新しい顔を見せてくる。少し卵が分厚くなった部分は、まろやかに塩味を包み込む。
「八月三十日、午後三時二十分、××公園にて四歳の幼児殺害」
 美味い。日本国に生まれてよかった。
「九月九日、午後二時、○○広場にて二歳の幼児誘拐後、自宅アパートで殺害」
 おや、漬物がなくなってしまった。刑事さんのを貰おうかな。
「おい、何してんだこれは俺のだ」
 駄目でした。
「九月十二日、午後五時三十分、□□区△△小学校の帰宅途中の児童四人を誘拐後、二キロ離れた森林にて殺害」
 けど漬物が無くても十分に美味い。いや、違った美味さを堪能できる。
「どれもこれも、現場にはきっちりと血痕が残されていた。凶器のハンマー、ナイフもそのまま。何なら死体もその場に放置。この仕事は長いが、こりゃ歴代トップの残虐性だよ。捕まる気満々じゃねえか。せめて手袋を……って違うか」
 気づけば器は空であった。米粒一つ残さないのは、幼い頃の母の教えだ。食べた後の箸を綺麗にそろえて置くのは、父の教えだ。このカツ丼は、ばあちゃんが作ってくれたものに匹敵する美味しさである。まあそもそも、外食をしないから他と比較ができなかったのだけれど。そしてじいちゃんの教え。食べる前と後は必ず手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
 取り調べって、本当にカツ丼が出てくるものなんだな。
 俺は合わせた手を下ろし、目の前で何やら資料を開いている男を見据えた。
今すぐなか卯に駆け込め!!!!!!!!!!!!!!!
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コメント



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1.90v狐々削除
面白く良かったです。_完全にアイデアの勝利。穿った見方を強制してくる。_この小説を考察することは非常に無駄な時間だと思う!