洗濯ものを干しているとガラス戸をドンドンと叩く音がした。振り返ると彼女の濁った瞳が開けてと訴えかけている。
「バルコニーへは引き戸です、いい加減覚えてください」
「そうだったわ、扉が勝手に開かないことに未だに慣れないのよ」
開けてやると、彼女は何もない空中にお礼を言った。
手動のドアを見たことがなかった上に、視力を失っている彼女には、引き戸は難しいのかもしれない。
文明の発達によって工場の機械化にはじまった労働力の変化は、家の隅々、扉に至るまで浸透し人々の生活を支え、武力を持たされ戦争を支えた。機械は心を持たない。血も涙もない、合理的な判断を積み重ねるだけの塊に傷を負わされた彼女は、機械と戦争と、文明そのものを憎悪し、世界に置いてきぼりにされた未発達の島に喜んで移った。
「確かに機械化は便利かもしれないけれど、あんなことがあって受け入れられないの。でもあの時、私を守ってくれてありがとう。佐々木さんも無事で本当によかった。少し大変だけれど、こうして一緒に穏やかに暮らせて、今幸せなの」
無事とはなんだろうかと、窓に映った自分と目が合う。全身が鋼でできた機械人間がそこにいた。
戦争で傷ついた者を支えるのもまた、機械であった。近年は、人格と機械の融合が難なく行われ、記憶さえ生きていれば、全身をすげ替えても本人としての生活が可能になった。彼女の命と引き換えに変わった自分の身体も、今ではなんとも思わない。これは人の適応力の話なのか、それとも、精神が体に宿るのだとしたら。最近合理的になったなと感じることが多くなった。この前、涙が出なくなっていることに気がついた。ロボットには必要のない機能のようだ。
彼女の穏やかな生活を守るために、人間であるように振る舞うプログラムがされている。本当に文明から隔絶されたこの小さい世界で二人生きていけるのかもしれない、唯一の希望だった。
「あら!いけない!」
鋭い声が刺さる。はっとして、彼女を見ると、視力が戻ったのではないかと思うほどに真っ直ぐに自分の方を見ていた。
「微かだけどこっちから機械の音がするわ!洗濯ロボットかしら。ここには、機械はダメなの。今すぐとめてくださる?」
視力を失ってから、初めて瞳に自分が映っている。彼女が憎悪する醜い機械の塊であった。
「私、佐々木さんのスパルタ教育で随分家事ができるようになったもの。機械がなくたって生きていけるわ」
「確かに、そうですね」
「私、本当に機械って嫌だわ」
「今、止めますから」
ずっと張り詰めていた糸が緩むように、目の奥がジンと熱くなって視界がぼやけた。はじめからこの時を待っていたかのような、あたたかくて懐かしい感覚だった。
「そうだ、バルコニーへは引き戸です。外からは左に引いて入るんですよ。いい加減覚えてください」
「わかってるわよ。あぁ音が止まったわ。あれ、雨かしら。今、額のところに水滴が来たのよ。ねえ?佐々木さん」
「バルコニーへは引き戸です、いい加減覚えてください」
「そうだったわ、扉が勝手に開かないことに未だに慣れないのよ」
開けてやると、彼女は何もない空中にお礼を言った。
手動のドアを見たことがなかった上に、視力を失っている彼女には、引き戸は難しいのかもしれない。
文明の発達によって工場の機械化にはじまった労働力の変化は、家の隅々、扉に至るまで浸透し人々の生活を支え、武力を持たされ戦争を支えた。機械は心を持たない。血も涙もない、合理的な判断を積み重ねるだけの塊に傷を負わされた彼女は、機械と戦争と、文明そのものを憎悪し、世界に置いてきぼりにされた未発達の島に喜んで移った。
「確かに機械化は便利かもしれないけれど、あんなことがあって受け入れられないの。でもあの時、私を守ってくれてありがとう。佐々木さんも無事で本当によかった。少し大変だけれど、こうして一緒に穏やかに暮らせて、今幸せなの」
無事とはなんだろうかと、窓に映った自分と目が合う。全身が鋼でできた機械人間がそこにいた。
戦争で傷ついた者を支えるのもまた、機械であった。近年は、人格と機械の融合が難なく行われ、記憶さえ生きていれば、全身をすげ替えても本人としての生活が可能になった。彼女の命と引き換えに変わった自分の身体も、今ではなんとも思わない。これは人の適応力の話なのか、それとも、精神が体に宿るのだとしたら。最近合理的になったなと感じることが多くなった。この前、涙が出なくなっていることに気がついた。ロボットには必要のない機能のようだ。
彼女の穏やかな生活を守るために、人間であるように振る舞うプログラムがされている。本当に文明から隔絶されたこの小さい世界で二人生きていけるのかもしれない、唯一の希望だった。
「あら!いけない!」
鋭い声が刺さる。はっとして、彼女を見ると、視力が戻ったのではないかと思うほどに真っ直ぐに自分の方を見ていた。
「微かだけどこっちから機械の音がするわ!洗濯ロボットかしら。ここには、機械はダメなの。今すぐとめてくださる?」
視力を失ってから、初めて瞳に自分が映っている。彼女が憎悪する醜い機械の塊であった。
「私、佐々木さんのスパルタ教育で随分家事ができるようになったもの。機械がなくたって生きていけるわ」
「確かに、そうですね」
「私、本当に機械って嫌だわ」
「今、止めますから」
ずっと張り詰めていた糸が緩むように、目の奥がジンと熱くなって視界がぼやけた。はじめからこの時を待っていたかのような、あたたかくて懐かしい感覚だった。
「そうだ、バルコニーへは引き戸です。外からは左に引いて入るんですよ。いい加減覚えてください」
「わかってるわよ。あぁ音が止まったわ。あれ、雨かしら。今、額のところに水滴が来たのよ。ねえ?佐々木さん」