『自販機本』って、知ってますかね?
昔は色んな場所に設置されてたんですけど。『自販機本』っていうのは、文字通り自販機で売られている雑誌のことで、今から大体四〇年前くらいですかね、観光地のガイドブックや週刊誌の自販機に紛れてエロ本を売ってるものがあったんですよ。『Jam』とか『HEAVEN』とか、当時はかなり有名だったと思うんですけど、もうその話をしても誰も知らないんですね……。 我が身の衰えを感じて悲しいですが、最初に少しその話をさせてください。
元々自販機で売られていたエロ本は、コンビニとか、『そういう書店』で売られているものをそのまま売っていたんですけど、途中から自販機本専門で雑誌を出すような出版企画とか会社が台頭しまして、『自販機本』っていう一つのジャンルが生まれたんです。代表的なもので言うと、エルシー企画の『X-magazine Jam』とかはかなり有名でしたね。かなりの人気だったと思います。
アレの面白いところは『表紙以外』なんです。
自販機本にも流行の波みたいなものがあったんですけど、全盛期の時は記事が大分アレというか、エロなんかそっちのけでアングラな記事を好き放題掲載するようになったんですよね。一番凄かったのは芸能人宅から出たゴミを漁って公開する「芸能人ゴミあさりシリーズ」っていう企画。
当時はマジで爆笑してました。山口百恵のタンポンとか、テストの答案とかファンからの手紙とか。まぁ本当に本人の物かは分かんないんですけどね。
そういうのって本来ダメじゃないですか。けどなんの予告もなくそう言うことをされると、すごく不思議な「リアル」を感じたんですよね。何より、そういう記事は事故みたいな感じで遭遇するから良いんです。
僕たちは中身が何かを表紙だけで判断しなくちゃいけなかったので。自販機本は普通の雑誌みたいに立ち読みしてから買う、みたいなことが出来ませんでした。
タチが悪いのは、表紙が女の子のグラビア写真で、いかにも「普通のエロ本ですよ!」みたいな体裁をとってるんですけど、一度ページをめくったら『ドラッグ特集』だの『笑いガスの作り方』だのとてつもなくハードな中身が出てくるところですよね。完全に今で言うところの「エロ釣り」なんですけど、当時の僕らは「やられた!」って悪態を吐きながら楽しんでました。
自販機にも種類があって、大体は出版元とかジャンルで分けられてたんですけど、中には中身がわからないやつなんかもありました。
自販機のガラスが黒いビニールとかマジックミラーで覆われていて、買うまで中身はおろか表紙すら分からない。当時の界隈ではそのブラックボックスな性質を揶揄して「黒ハコ」って呼ばれてました。
大体出てくる中身は売れ残ったエロ雑誌とか自販機本の在庫処分なんですけど、たまに買いそびれたバックナンバーとかが出てくるもので、コレクターからは密かに重宝されてたんですよね。
おまけに自販機だけ見たら何を売ってるのか分からないモンだから、表紙から局部が露出したエロ本とかも入ってたんですよ。普通だったら法律違反で摘発されちゃいますからね。公然わいせつ罪とか……猥褻物陳列罪? まぁ良くは知らないんですけど。
とにかく当時は自販機本の界隈が出来上がってて、インターネットとかが無いなりに情報を共有し合うコミュニティなんかもあったんですけど、その後立ち読みが出来ないようにビニールで中身を包んだ『ビニ本』っていうタイプのエロ本の登場とか、「子供達がなんの許可も無しに自販機本を購入できるのは教育上良くない」っていうPTAからの苦情なんかもあったりして、徐々に自販機本文化は下火になっていったんですよね。
ここまで聞いてたらお察しだと思うんですけど、僕もむかし自販機本のコレクターをやっていたんです。
大学生だった頃、下北沢の一角にビニ本の自販機が大量に設置されていた場所があったんですけど、発売日になるとそこで雑誌を買うのが習慣でした。当時の僕は若かったからなのか、とにかく刺激に飢えていて。エロでもなんでも良いからとにかく尖ったものが読みたかったんです。自販機本はそんな僕の欲求を満たしてくれる丁度いい媒体でした。
その日もいつものようにビニ本を買って帰ろうと下北沢へ寄ったんです。パラパラと雨が降ってたのを覚えてます。
僕が自販機置いてある場所に着くと、同じビニ本コレクターの奴らが先に来ていて「今週の『HEAVEN』は一段とヤベェぞ」と言って帰っていきました。
彼らの言葉に期待値を上げながら彼らと同じものを購入……しようと思ったのですが、新発売の雑誌のボタンには「売り切れ」のランプが点灯していました。
僕はがっくりと肩を落として、帰ろうと思ったのですが、ふと隣の黒ハコが目に止まったんです。丁度その日は給料日で、僕は財布の中身を持て余していました。楽しみにしてた『HEAVEN』の新刊も無くなってしまったし、今日のところはこれでなんとかしよう、と思い、千円札を乱暴に黒ハコへ突っ込んで適当にボタンを押しました。すぐにガコン、と物が落ちる音がして、取り出し口に手を突っ込んで拾い上げると、僕は思わず眉を顰めました。
出てきたものは、まるで歴史資料館に置いてある江戸時代の資料みたいな、装丁の古書でした。
大体200ページくらいで、使われている紙も古めかしい物で、パラパラとページを捲ってみると、直線と曲線を組み合わせたような文字が半分、旧字体の漢字が半分くらいの割合で、ページの端から端までを埋め尽くすようにびっしりと書かれていました。
表紙にはタイトルっぽい位置に毛筆で
『पर्याय』
と書かれていました。
全く想像していなかったものが唐突に現れたせいで、一瞬、頭が処理落ちしたみたいに全身が固まってしまいました。自販機から出てきたものは、どこからどう見ても雑誌と呼べるものではありませんでした。
けど、それから少し考えて、ああ、「こういう本か」って、妙に納得したんです。
黒ハコの、中身がわからない特徴を利用した面白い試みだと思いました。
当時の自販機本はその筋で有名なAVのカメラマンや、クセ強のイラストレーターに原稿料を出してビジュアルを前面に置いたデザインの本が主流だったので、逆にこういう尖り方は新鮮だなって思いました。
とはいえ、ページを捲っても捲っても読めない文章が続くだけだったので、すぐにこんなもの持っててもなぁ、って気持ちになりました。確かに尖っていて面白かったのですが、言わば出オチみたいなものでしたし。
しかし、買い取ってもらおうとブックオフに持って行っても「販売元がわからない本は引き取れない」と言われてしまって、引き取ってもらえなかったんですよ。奥付けを見ても、著者どころか出版社の名前すら載ってませんでした。
その後、同じ自販機本界隈の、僕よりもマニアな奴ら数人にも見せてみたのですが、みんな口を揃えて「こんな本は見たことも聞いたこともない、気味が悪いから捨てろ」と突き返されてしまう始末でした。
特に何か変なことが起きたわけじゃないんですけど、やっぱり気味が悪いじゃないですか。僕自身も段々と「実はヤバい代物なんじゃないか」と思い始めまして。
普通に可燃ごみに出しても良かったんですが、バチとか当たったら嫌だなぁって思ったから、神社へお焚き上げしにいくことにしたんです。
神社なんて普段行くことがないので、どうやったら引き取って貰えるのか分からなかったんですけど、取り敢えず社務所まで行って
「すみません、ちょっとお焚き上げしてもらいたい物があるんですけど」
って聞きながら、リュックから例の本を差し出してみたんですけど、そしたら社務所の受付をしてた巫女さんが焦り始めたんです。
長い黒髪に切長の眼っていう、如何にも巫女さんって感じの人だったんですけど、その本を見るや否や、綺麗な顔をとんでもなく歪ませて、バタバタと社務所の奥からすごく偉そうな人を連れてきたんですよね。これまたいかにもシャーマンって感じの人で、全身真っ白の装束を着てました。
そのシャーマン、っていうか恐らく神主さんですよね。神主さんはすごく落ち着いた風のゆっくりとした話し方にも関わらず、「その本はどこで手に入れたんですか?」とか「いつからそれを持っていましたか?」とか「何か変わったことは起きませんでしたか?」って質問に質問を重ねる感じでめちゃくちゃ詰めてきました。
落ち着いた風って言ったのは、神主さんの話し方こそ落ち着いてたんですけど額に玉のような汗が浮かんでて、すごく険しい顔をしてからです。
その物々しい雰囲気に、僕は何が何だか分からないまま、聞かれたことに答えるしかありませんでした。
気づけば僕の周りには神主さんの他にも神職の方々が数人集まっていました。みんなの視線は僕が持ってきた本に釘付けで、神主さんと同じように険しい表情を浮かべていました。神主さんは僕の話を一通り聞き終わった後、神職の人たちと何かを話し込んでしまって、僕は佇むばかりでした。途中、神職の方の「どうして、まだ許してもらえないのか」という声が聞こえてきて、その話し方というか、本当に血の気が引いているような表情と震えた声音が、やけに記憶に残ってます。
結局、その本は神社の方で引き取って貰えることになり、ついでにお祓いもしてもらうことになりました。
「もしも何かおかしなことがあれば、すぐに連絡してください」
お祓いが終わって、帰りがけに神主さんが連絡先を教えてくれました。僕も流石に気になったので、
神主さんは少しだけ困ったような顔をして、短く
「詳しくは言えないのですが、あれは、とても悲しい歴史の残りものです」
とだけ言いました。言外に「それ以上は聞くな」という雰囲気を感じたので、僕も深くは聞けないまま、その日は帰りました。
それからもう四〇年くらい経ちましたが、いまだ神主さんが言ったような症状を覚えるようなことはありません。
あの後、大学の図書室などで色々調べたみたら、あの表紙に書いてあったものは、サンスクリット語という、大乗仏教の源流であるインド周辺の言語なのだそうです。
仏教が日本に流れてくる際、日本に元からあった神道と仏教が並立していた時期があったそうで、おそらくあの本はその頃の、まだ仏教と神道の間で神仏習合が起こっていなかった時のものではないかと思います。
これは勝手な推測ですが、仏教用語をサンスクリット語に翻訳した辞書(もしくはその逆)のようなものだったんじゃないか、というのが僕の中での結論です。当時は外国の仏教を受容するかどうかで、大きな争いも起きていたそうなので、きっとそれに関連するいわく付きのものなのでしょう。
それでも、そんなものがどうして黒ハコに入れられていたのか、どうして神主さんたちがあそこまで動揺していたのかまでは分かりませんでした。
それから程なくして、僕は自販機本の蒐集をやめました。これといった理由はありませんでしたが、あんなことがあったせいで、僕の中で無意識に自販機本を疎んじるようになったからかもしれません。
集めていたコレクションも全て売ってしまって。それについては、最近になって自販機本にプレ値がつき始めたので少しだけ後悔してます。
じゃあどうして今、こんな話をしているのかというと、ついこの前SNSで「1000円自販機から変なもの出てきた」という写真付きの投稿を見つけたんですよ。
写真には『पर्याय』と書かれたシールが貼ってあるUSBメモリが写っていて、それをみた瞬間にあの本を拾った時のことを思い出したんです。
すぐにその投稿主にDMをして、「悪いことは言わないから早く神社に持って行った方がいい」という旨を伝えました。いきなりこんなおじさんからDMを送られても困りますよね。向こうも最初は訝しんでいるようでしたが、僕の経験を話したら一応は了承してくれたようで、週末近くの神社へ持っていくと言ってくれました。それからしばらくやりとりが続いて、向こうは東京で大学生をしていると教えてくれました。このUSBの中身が何なのか、非常に気になっている様子だったので、やめておいた方がいいと止めておきました。
あの頃とは違って今はインターネットで色々と情報を簡単に獲得できる時代なので、ああいったものがなんなのか、もちろん調べることもできるのですが、僕は敢えてしないようにしています。あれは何となく、人の理解を超えている事柄な気がしますし、もう、ああいったことに関わりたくないからです。みなさんも、よく分からないものは拾ったり、持ったりしないことを強くお勧めします。
最後に、あの本の表紙にあった『पर्याय』という単語。
あれはサンスクリット語で『身代わり』という意味でした。
いったい僕やDMの彼は、何の身代わりにされようとしていたのでしょうか。
昔は色んな場所に設置されてたんですけど。『自販機本』っていうのは、文字通り自販機で売られている雑誌のことで、今から大体四〇年前くらいですかね、観光地のガイドブックや週刊誌の自販機に紛れてエロ本を売ってるものがあったんですよ。『Jam』とか『HEAVEN』とか、当時はかなり有名だったと思うんですけど、もうその話をしても誰も知らないんですね……。 我が身の衰えを感じて悲しいですが、最初に少しその話をさせてください。
元々自販機で売られていたエロ本は、コンビニとか、『そういう書店』で売られているものをそのまま売っていたんですけど、途中から自販機本専門で雑誌を出すような出版企画とか会社が台頭しまして、『自販機本』っていう一つのジャンルが生まれたんです。代表的なもので言うと、エルシー企画の『X-magazine Jam』とかはかなり有名でしたね。かなりの人気だったと思います。
アレの面白いところは『表紙以外』なんです。
自販機本にも流行の波みたいなものがあったんですけど、全盛期の時は記事が大分アレというか、エロなんかそっちのけでアングラな記事を好き放題掲載するようになったんですよね。一番凄かったのは芸能人宅から出たゴミを漁って公開する「芸能人ゴミあさりシリーズ」っていう企画。
当時はマジで爆笑してました。山口百恵のタンポンとか、テストの答案とかファンからの手紙とか。まぁ本当に本人の物かは分かんないんですけどね。
そういうのって本来ダメじゃないですか。けどなんの予告もなくそう言うことをされると、すごく不思議な「リアル」を感じたんですよね。何より、そういう記事は事故みたいな感じで遭遇するから良いんです。
僕たちは中身が何かを表紙だけで判断しなくちゃいけなかったので。自販機本は普通の雑誌みたいに立ち読みしてから買う、みたいなことが出来ませんでした。
タチが悪いのは、表紙が女の子のグラビア写真で、いかにも「普通のエロ本ですよ!」みたいな体裁をとってるんですけど、一度ページをめくったら『ドラッグ特集』だの『笑いガスの作り方』だのとてつもなくハードな中身が出てくるところですよね。完全に今で言うところの「エロ釣り」なんですけど、当時の僕らは「やられた!」って悪態を吐きながら楽しんでました。
自販機にも種類があって、大体は出版元とかジャンルで分けられてたんですけど、中には中身がわからないやつなんかもありました。
自販機のガラスが黒いビニールとかマジックミラーで覆われていて、買うまで中身はおろか表紙すら分からない。当時の界隈ではそのブラックボックスな性質を揶揄して「黒ハコ」って呼ばれてました。
大体出てくる中身は売れ残ったエロ雑誌とか自販機本の在庫処分なんですけど、たまに買いそびれたバックナンバーとかが出てくるもので、コレクターからは密かに重宝されてたんですよね。
おまけに自販機だけ見たら何を売ってるのか分からないモンだから、表紙から局部が露出したエロ本とかも入ってたんですよ。普通だったら法律違反で摘発されちゃいますからね。公然わいせつ罪とか……猥褻物陳列罪? まぁ良くは知らないんですけど。
とにかく当時は自販機本の界隈が出来上がってて、インターネットとかが無いなりに情報を共有し合うコミュニティなんかもあったんですけど、その後立ち読みが出来ないようにビニールで中身を包んだ『ビニ本』っていうタイプのエロ本の登場とか、「子供達がなんの許可も無しに自販機本を購入できるのは教育上良くない」っていうPTAからの苦情なんかもあったりして、徐々に自販機本文化は下火になっていったんですよね。
ここまで聞いてたらお察しだと思うんですけど、僕もむかし自販機本のコレクターをやっていたんです。
大学生だった頃、下北沢の一角にビニ本の自販機が大量に設置されていた場所があったんですけど、発売日になるとそこで雑誌を買うのが習慣でした。当時の僕は若かったからなのか、とにかく刺激に飢えていて。エロでもなんでも良いからとにかく尖ったものが読みたかったんです。自販機本はそんな僕の欲求を満たしてくれる丁度いい媒体でした。
その日もいつものようにビニ本を買って帰ろうと下北沢へ寄ったんです。パラパラと雨が降ってたのを覚えてます。
僕が自販機置いてある場所に着くと、同じビニ本コレクターの奴らが先に来ていて「今週の『HEAVEN』は一段とヤベェぞ」と言って帰っていきました。
彼らの言葉に期待値を上げながら彼らと同じものを購入……しようと思ったのですが、新発売の雑誌のボタンには「売り切れ」のランプが点灯していました。
僕はがっくりと肩を落として、帰ろうと思ったのですが、ふと隣の黒ハコが目に止まったんです。丁度その日は給料日で、僕は財布の中身を持て余していました。楽しみにしてた『HEAVEN』の新刊も無くなってしまったし、今日のところはこれでなんとかしよう、と思い、千円札を乱暴に黒ハコへ突っ込んで適当にボタンを押しました。すぐにガコン、と物が落ちる音がして、取り出し口に手を突っ込んで拾い上げると、僕は思わず眉を顰めました。
出てきたものは、まるで歴史資料館に置いてある江戸時代の資料みたいな、装丁の古書でした。
大体200ページくらいで、使われている紙も古めかしい物で、パラパラとページを捲ってみると、直線と曲線を組み合わせたような文字が半分、旧字体の漢字が半分くらいの割合で、ページの端から端までを埋め尽くすようにびっしりと書かれていました。
表紙にはタイトルっぽい位置に毛筆で
『पर्याय』
と書かれていました。
全く想像していなかったものが唐突に現れたせいで、一瞬、頭が処理落ちしたみたいに全身が固まってしまいました。自販機から出てきたものは、どこからどう見ても雑誌と呼べるものではありませんでした。
けど、それから少し考えて、ああ、「こういう本か」って、妙に納得したんです。
黒ハコの、中身がわからない特徴を利用した面白い試みだと思いました。
当時の自販機本はその筋で有名なAVのカメラマンや、クセ強のイラストレーターに原稿料を出してビジュアルを前面に置いたデザインの本が主流だったので、逆にこういう尖り方は新鮮だなって思いました。
とはいえ、ページを捲っても捲っても読めない文章が続くだけだったので、すぐにこんなもの持っててもなぁ、って気持ちになりました。確かに尖っていて面白かったのですが、言わば出オチみたいなものでしたし。
しかし、買い取ってもらおうとブックオフに持って行っても「販売元がわからない本は引き取れない」と言われてしまって、引き取ってもらえなかったんですよ。奥付けを見ても、著者どころか出版社の名前すら載ってませんでした。
その後、同じ自販機本界隈の、僕よりもマニアな奴ら数人にも見せてみたのですが、みんな口を揃えて「こんな本は見たことも聞いたこともない、気味が悪いから捨てろ」と突き返されてしまう始末でした。
特に何か変なことが起きたわけじゃないんですけど、やっぱり気味が悪いじゃないですか。僕自身も段々と「実はヤバい代物なんじゃないか」と思い始めまして。
普通に可燃ごみに出しても良かったんですが、バチとか当たったら嫌だなぁって思ったから、神社へお焚き上げしにいくことにしたんです。
神社なんて普段行くことがないので、どうやったら引き取って貰えるのか分からなかったんですけど、取り敢えず社務所まで行って
「すみません、ちょっとお焚き上げしてもらいたい物があるんですけど」
って聞きながら、リュックから例の本を差し出してみたんですけど、そしたら社務所の受付をしてた巫女さんが焦り始めたんです。
長い黒髪に切長の眼っていう、如何にも巫女さんって感じの人だったんですけど、その本を見るや否や、綺麗な顔をとんでもなく歪ませて、バタバタと社務所の奥からすごく偉そうな人を連れてきたんですよね。これまたいかにもシャーマンって感じの人で、全身真っ白の装束を着てました。
そのシャーマン、っていうか恐らく神主さんですよね。神主さんはすごく落ち着いた風のゆっくりとした話し方にも関わらず、「その本はどこで手に入れたんですか?」とか「いつからそれを持っていましたか?」とか「何か変わったことは起きませんでしたか?」って質問に質問を重ねる感じでめちゃくちゃ詰めてきました。
落ち着いた風って言ったのは、神主さんの話し方こそ落ち着いてたんですけど額に玉のような汗が浮かんでて、すごく険しい顔をしてからです。
その物々しい雰囲気に、僕は何が何だか分からないまま、聞かれたことに答えるしかありませんでした。
気づけば僕の周りには神主さんの他にも神職の方々が数人集まっていました。みんなの視線は僕が持ってきた本に釘付けで、神主さんと同じように険しい表情を浮かべていました。神主さんは僕の話を一通り聞き終わった後、神職の人たちと何かを話し込んでしまって、僕は佇むばかりでした。途中、神職の方の「どうして、まだ許してもらえないのか」という声が聞こえてきて、その話し方というか、本当に血の気が引いているような表情と震えた声音が、やけに記憶に残ってます。
結局、その本は神社の方で引き取って貰えることになり、ついでにお祓いもしてもらうことになりました。
「もしも何かおかしなことがあれば、すぐに連絡してください」
お祓いが終わって、帰りがけに神主さんが連絡先を教えてくれました。僕も流石に気になったので、
神主さんは少しだけ困ったような顔をして、短く
「詳しくは言えないのですが、あれは、とても悲しい歴史の残りものです」
とだけ言いました。言外に「それ以上は聞くな」という雰囲気を感じたので、僕も深くは聞けないまま、その日は帰りました。
それからもう四〇年くらい経ちましたが、いまだ神主さんが言ったような症状を覚えるようなことはありません。
あの後、大学の図書室などで色々調べたみたら、あの表紙に書いてあったものは、サンスクリット語という、大乗仏教の源流であるインド周辺の言語なのだそうです。
仏教が日本に流れてくる際、日本に元からあった神道と仏教が並立していた時期があったそうで、おそらくあの本はその頃の、まだ仏教と神道の間で神仏習合が起こっていなかった時のものではないかと思います。
これは勝手な推測ですが、仏教用語をサンスクリット語に翻訳した辞書(もしくはその逆)のようなものだったんじゃないか、というのが僕の中での結論です。当時は外国の仏教を受容するかどうかで、大きな争いも起きていたそうなので、きっとそれに関連するいわく付きのものなのでしょう。
それでも、そんなものがどうして黒ハコに入れられていたのか、どうして神主さんたちがあそこまで動揺していたのかまでは分かりませんでした。
それから程なくして、僕は自販機本の蒐集をやめました。これといった理由はありませんでしたが、あんなことがあったせいで、僕の中で無意識に自販機本を疎んじるようになったからかもしれません。
集めていたコレクションも全て売ってしまって。それについては、最近になって自販機本にプレ値がつき始めたので少しだけ後悔してます。
じゃあどうして今、こんな話をしているのかというと、ついこの前SNSで「1000円自販機から変なもの出てきた」という写真付きの投稿を見つけたんですよ。
写真には『पर्याय』と書かれたシールが貼ってあるUSBメモリが写っていて、それをみた瞬間にあの本を拾った時のことを思い出したんです。
すぐにその投稿主にDMをして、「悪いことは言わないから早く神社に持って行った方がいい」という旨を伝えました。いきなりこんなおじさんからDMを送られても困りますよね。向こうも最初は訝しんでいるようでしたが、僕の経験を話したら一応は了承してくれたようで、週末近くの神社へ持っていくと言ってくれました。それからしばらくやりとりが続いて、向こうは東京で大学生をしていると教えてくれました。このUSBの中身が何なのか、非常に気になっている様子だったので、やめておいた方がいいと止めておきました。
あの頃とは違って今はインターネットで色々と情報を簡単に獲得できる時代なので、ああいったものがなんなのか、もちろん調べることもできるのですが、僕は敢えてしないようにしています。あれは何となく、人の理解を超えている事柄な気がしますし、もう、ああいったことに関わりたくないからです。みなさんも、よく分からないものは拾ったり、持ったりしないことを強くお勧めします。
最後に、あの本の表紙にあった『पर्याय』という単語。
あれはサンスクリット語で『身代わり』という意味でした。
いったい僕やDMの彼は、何の身代わりにされようとしていたのでしょうか。
続き楽しみです!