三好達司「測量船」の一編、「村」を読んで二次創作するという課題です。文字数制限はありませんが、ゼミの90分以内にできれば書いてねという課題でした。なお私はギリ間に合いませんでした。以下本文
鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つ転がってゐた。
そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
背中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
**************
五年ぶりの帰省。浦江直人は、無人の改札を通り抜けて、すぐそばにあるバス停の、薄汚れたベンチに腰掛けた。誰かを探しているような視線に、うぐいすの鳴き声が絡みつく。
「ええと、にしみよし……あった。西三芳。へえ、結構あるな」
新幹線代を惜しみ、在来線でやって来た直人。だんだんと土に吸い込まれるように高層ビルが姿を消して、だだっぴろい青空と穏やかな景色に癒される以外は、退屈で、電波も弱く、連れもいなければ娯楽もない旅。それでも五時間かけて来たのには、明確な理由があった。
「あ、やっと繋がった。もしもし、直人だけど。ばあちゃん聞こえる?」
「俺だよ、ばあちゃん畑出てるからしばらく帰ってこないけど、何用?」
「宏輝かよ。いやー、今駅着いたから西三芳までバスで行こうとしたらさ、かなり待つみたいで。車出してくんね?」
「何分」
なにが、と言いかけて、そういえば疲労に縛られて時間も見ていなかったことに気がついた。午後一時三十五分。次のバスは、
「四十五分後」
少し間が空いた。また電波微弱かと思案した数秒後、宏輝が電話の向こうで大笑いした。何かが倒れた音まで聞こえた。
「四十五分⁉︎ そんなの、待つに入らんって」
「いいや待つね。ありえねえって。なあ俺行きたい所あるんだよ」
とにかく迎えに来いよ、お土産あるし。とエサを用意してみるも、中々なびかない。免許剥奪でもされたのか? と試しにからかってみたら、どうも歯切れが悪い答えしか返ってこなかった。
直人の祖母、タミと二世帯で暮らしている和佐宏輝は、二つ年上の従兄。受験の際に『猛勉強の苦労』よりも『自転車を毎日片道十キロ漕ぐ苦労』をとった結果、野球部もびっくりの強靭な太ももを手に入れた理工学部生。周りが就活に力が入れているのをよそに、その馬鹿力と単純な頭のみで、これからも実家で暮らしていく! と豪語しているらしい。つまり、実家の畑を継ぐということ。そのくせ畑の世話はままならない上に、天敵の鹿やハクビシンに餌付けしてしまう有様。
「じゃ、俺いけねぇから」
「え、俺五年ぶりでバス停から村の道わかん–––」
容赦無く切られる始末。もっと昼飯を食べればよかったと後悔した。サンドイッチではなく、米や肉を。
直人はため息をつきながら、再び人形のようにベンチに腰掛ける。貧乏ゆすりが地下を揺らして、ミミズが叩き起こされたことなんて彼は知らない。やわらかい日差しには不釣り合いなほど冷たい外気に、全ての気力が奪われていくことばかり気になって、線路が軋む音も、狭くなっていく空にも、まるで意識が及ばなかった。ざわざわと木々が踊る。ごろごろと猫が鳴く。
「待つしかないのか」
水でも飲もうと気を取り直したとき、急に遠くで、ダァンと大きな音がした。薮のような、林のような、山のような塊の向こう側。一目散に世界が飛び散って、漂ってくる不気味な臭いに、直人は思わず顔をしかめる。
「クマでも出たのか?」
冬眠から目覚めたクマが、食料を求めて人里へ降りてしまうことは稀にある。この辺で銃を扱えるのはタバコ屋の爺さんだけだ。まだ生きているならの話だが。
ダァン! ダァン! と立て続けに物騒な音が鳴り響く。
「この感じじゃ元気だな」
挨拶がてら見物しようかと立ち上がったとき、直人は思わず持っていたペットボトルから手を離してしまった。ゴトン、と凸凹のアスファルトにぶつかって、まるで意思を持っているかのようにコロコロと緩やかに転がっていく。
「はい、どうぞ」
それを拾ったのは直人ではなく、灰色のワンピースに白い羽織を重ねた一人の少女だった。やや青みがかった瞳は、さぞ聡明な頭脳の持ち主だろうと思わせるほど真っ直ぐで、せいぜい十歳前後にしか見えない幼い外見とのアンバランスさが際立っている。
「あ……ありがとう」
どこからともなく現れた少女は、琴のような声音で『とうさん』と呟いた。
「とうさん?」
思わず聞き返すと、先ほど音がした方向を指差した少女。スラリと細い指先は、微かに震えている。物々しい雰囲気に飲み込まれてしまいそうだった。
「あそこに、いるの」
何でもない言葉の筈なのに、何故かぞくりと、背中に汗がつたう。
「そう、か。隠れんぼかな?」
不意に足元に流れついたピンク色の花びらは、サラサラと流れる静脈によく似ている。それが桜の花だと気がついて、果てどこからだろうと目線を上げた時、少女の黒髪が揺れた。
「とうさん」
鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つ転がってゐた。
そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
背中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
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五年ぶりの帰省。浦江直人は、無人の改札を通り抜けて、すぐそばにあるバス停の、薄汚れたベンチに腰掛けた。誰かを探しているような視線に、うぐいすの鳴き声が絡みつく。
「ええと、にしみよし……あった。西三芳。へえ、結構あるな」
新幹線代を惜しみ、在来線でやって来た直人。だんだんと土に吸い込まれるように高層ビルが姿を消して、だだっぴろい青空と穏やかな景色に癒される以外は、退屈で、電波も弱く、連れもいなければ娯楽もない旅。それでも五時間かけて来たのには、明確な理由があった。
「あ、やっと繋がった。もしもし、直人だけど。ばあちゃん聞こえる?」
「俺だよ、ばあちゃん畑出てるからしばらく帰ってこないけど、何用?」
「宏輝かよ。いやー、今駅着いたから西三芳までバスで行こうとしたらさ、かなり待つみたいで。車出してくんね?」
「何分」
なにが、と言いかけて、そういえば疲労に縛られて時間も見ていなかったことに気がついた。午後一時三十五分。次のバスは、
「四十五分後」
少し間が空いた。また電波微弱かと思案した数秒後、宏輝が電話の向こうで大笑いした。何かが倒れた音まで聞こえた。
「四十五分⁉︎ そんなの、待つに入らんって」
「いいや待つね。ありえねえって。なあ俺行きたい所あるんだよ」
とにかく迎えに来いよ、お土産あるし。とエサを用意してみるも、中々なびかない。免許剥奪でもされたのか? と試しにからかってみたら、どうも歯切れが悪い答えしか返ってこなかった。
直人の祖母、タミと二世帯で暮らしている和佐宏輝は、二つ年上の従兄。受験の際に『猛勉強の苦労』よりも『自転車を毎日片道十キロ漕ぐ苦労』をとった結果、野球部もびっくりの強靭な太ももを手に入れた理工学部生。周りが就活に力が入れているのをよそに、その馬鹿力と単純な頭のみで、これからも実家で暮らしていく! と豪語しているらしい。つまり、実家の畑を継ぐということ。そのくせ畑の世話はままならない上に、天敵の鹿やハクビシンに餌付けしてしまう有様。
「じゃ、俺いけねぇから」
「え、俺五年ぶりでバス停から村の道わかん–––」
容赦無く切られる始末。もっと昼飯を食べればよかったと後悔した。サンドイッチではなく、米や肉を。
直人はため息をつきながら、再び人形のようにベンチに腰掛ける。貧乏ゆすりが地下を揺らして、ミミズが叩き起こされたことなんて彼は知らない。やわらかい日差しには不釣り合いなほど冷たい外気に、全ての気力が奪われていくことばかり気になって、線路が軋む音も、狭くなっていく空にも、まるで意識が及ばなかった。ざわざわと木々が踊る。ごろごろと猫が鳴く。
「待つしかないのか」
水でも飲もうと気を取り直したとき、急に遠くで、ダァンと大きな音がした。薮のような、林のような、山のような塊の向こう側。一目散に世界が飛び散って、漂ってくる不気味な臭いに、直人は思わず顔をしかめる。
「クマでも出たのか?」
冬眠から目覚めたクマが、食料を求めて人里へ降りてしまうことは稀にある。この辺で銃を扱えるのはタバコ屋の爺さんだけだ。まだ生きているならの話だが。
ダァン! ダァン! と立て続けに物騒な音が鳴り響く。
「この感じじゃ元気だな」
挨拶がてら見物しようかと立ち上がったとき、直人は思わず持っていたペットボトルから手を離してしまった。ゴトン、と凸凹のアスファルトにぶつかって、まるで意思を持っているかのようにコロコロと緩やかに転がっていく。
「はい、どうぞ」
それを拾ったのは直人ではなく、灰色のワンピースに白い羽織を重ねた一人の少女だった。やや青みがかった瞳は、さぞ聡明な頭脳の持ち主だろうと思わせるほど真っ直ぐで、せいぜい十歳前後にしか見えない幼い外見とのアンバランスさが際立っている。
「あ……ありがとう」
どこからともなく現れた少女は、琴のような声音で『とうさん』と呟いた。
「とうさん?」
思わず聞き返すと、先ほど音がした方向を指差した少女。スラリと細い指先は、微かに震えている。物々しい雰囲気に飲み込まれてしまいそうだった。
「あそこに、いるの」
何でもない言葉の筈なのに、何故かぞくりと、背中に汗がつたう。
「そう、か。隠れんぼかな?」
不意に足元に流れついたピンク色の花びらは、サラサラと流れる静脈によく似ている。それが桜の花だと気がついて、果てどこからだろうと目線を上げた時、少女の黒髪が揺れた。
「とうさん」