zorozoro - 文芸寄港

シーソー

2024/06/07 22:46:56
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 深夜二時、布団に潜りこんだ私の手の中のスマホが身震いした。新着メッセージが二件。私は、不機嫌に瞼を持ち上げる明日の朝を頭の中でドロリと想像しながら、既読を付ける。一度目のタップは指が滑って空振りしたのに、それには懲りずに画面を叩く。
 彼女から送られてきたのは、夜中の公園の一つだけ置かれた椅子なのかオブジェなのかいまいち判断しかねる「今のあたしの心」の写真と、誤字なのかわざとなのか分からない表記揺れした数行のポエム。
 「深みがあるね」「どうでもいい」「どこの公園?」「不思議ちゃん」「危ないよ」「それの寂しさがあんたにお似合い」頭を溶かしてかき混ぜて、そうして出来上がったのは犬のさみしそうな顔のスタンプとウトウトする顔のスタンプ。過労死気味の犬スタンプたちを送りつけて、せっせと次のメッセージを考える。彼女より文量が少なくてはいけない。彼女より指を動かす数が少なくってはいけない。
 馬鹿だなあと、私自身と表示されたメッセージに向かって呟く。どうせ腐った承認欲求が目的なんだろうが、「既読」だけだと彼女は満たされない。「『未読』も『既読」』も、どっちも似たような見た目してんじゃん」私はまた呟く。
 その状況は確かに腐ってる。相手からは即レス。びみょーにウザいスタンプ。やば。これ、なんか、「私たち」つまんなさそう。「既読」なだけ許して欲しいと思いつつ、「返信まだ?」のスタンプが飛んでこないうちに、ありきたりで踏み込みすぎず、でも相手をほどほどに満足させることができるような言葉を必死になって捻り出す。私がスマホに向かって指を動かす数が多いだけで、何をそんなに満たされるのだろうか。
 「会いたくなっちゃう」これかなあ。と付け加えた、ぴえんの絵文字をくっつけて送る。返事はすぐに来た。「嬉しい」
 彼女の甘ったるい声で脳内再生されるメッセージ。私にまで媚びへつらって、この子に中身を吐き出せる場はあるのかなあと、同情しちゃって無視できない。私にしかこの子は救えない。男に尽くして尽くして搾り取られて、空っぽになっちゃった後は、決まって私を求めてくる。この時間のLINEということは、どうせまた、失敗したんだろう。
 相手から、続けてメッセージがきた。「明日、会えない?」私は浅く息を吐いて後悔した。「会いたくなっちゃう」は、そこら中の終電が全て無くなったこの時間だから言えるのであって、会いたいわけじゃ、ない。
「明日、仕事休みだよね?」
 続けて、来た。たぶん、この子の今までの行動から察するに、もう五秒待ったら送信取り消しする。……送信を取り消される前に、「休みだよ」と送った。腐乱した後悔がドロドロとあふれ出す。枕に浅く息を吐きかけた。もうすっかり目が覚めていることに気がつく。
「ありがと」それだけ返ってきた彼女の言葉に、声はない。ただそこに存在し、色もなく転がっている。私はそれに、胸が張り裂けてしまいそうな情欲を抱く。枕に爪を立てた。枕から、血が出てきてほしかった。
 彼女の首元にはうっすらと男の残り香があった。縦に長い三日月みたいな形をしていて、きっと下手だったんだろうと思った。私が自分の首筋をなぞって指摘すると、彼女は口元を笑うように歪め、「鏡見て、思い出しちゃった」と笑った。形だけでは汲み取れない、底なしの感情に襲われた。彼女は、私の手を取り言う。「私、恋愛下手なのかなあ」「そうかもね。でもスイちゃん、モテるから。恋愛だってすぐ慣れるよ」ナンパの多い駅前で、立ち止まって話し出す彼女に「こういうところだろうなあ」と思いながら、私は傾聴する。
「私、かわいいのに」
「そうだねえ、めっちゃ可愛い」
「今さ、次居ないんだよね」
「そっか。そしたらスイちゃん暇になっちゃうね」
「煙草の火、昨日、上手く点けてあげられなくってさ」
「うん」「手、かじかんでて」彼女の口から、白い息が出る。
「うん」
「あーあ、どうして私っていっつも上手くいかないんだろう」
 相手がホストか、スイちゃんの客か元客か、はたまたマッチングアプリかボーイか知らないけれど、スイちゃんは、相手のことをたまに喋ったり喋らなかったりする。別れか出会いがあんまりにも下らない理由だったら知らないうちにくっつくか別れるかしてて、劇的だったら運命だとはしゃいでいる。今回は、後悔してるから、たぶん、スイちゃんをたくさん求めてた人。経済力とか顔面偏差値とか学歴だとかの大きい魚じゃなくて、ただ「スイちゃんを求められるかどうか」。それだけ。
 今回も、煙草の火が点かなくて殴られて捨てられた、とかじゃなくって、煙草の火はほんの端っこで、中にとんでもない「何か」を抱えてる。妊娠してたらもう少し焦っていそうだから、それ以外の何か。でもスイちゃんは、煙草の火のことだけを、すごく後悔してた。昨日ってことは別れへの後悔。……たぶん相手が、妻子持ち。そしてスイちゃんが「浮気」という事実に自責しちゃって別れを決意。最後の別れで、煙草の火を上手く点けてあげられなかったことへの後悔だけを私に伝えようとしてる。
「ねえサヤカは? サヤカはどうやって恋愛してるの?」
「だいたい片思いで終わり」私は彼女と握った手を緩め、指を絡める。「両思いでも、すぐ終わるよ。『結 婚しよう』って、言ってくる奴ほど急に別れを告げるから」
 彼女は、ヒュウ、と短く息を吸った。妻子持ち、当たり。「そうだよね、結婚しようって、そんなに簡単に言っていいことじゃないよね」私は、それは人によるなあ、なんて思いながら、「そうだね」と言う。「サヤカって、色んな人と付き合ってるよね」色んな人って、どういうことだろうと思いながら、頷く。
「スイちゃんほどじゃないけど」
「女の子とも、付き合ってたよね」そういう、「色んな人」かあ、と納得する。
「うん、付き合ってた」
 ふと、お互いが無言になる。彼女の声がなくなると、雑踏が耳に入る。私は、彼女との無言が嫌い。彼女の前で、何もできない自分が嫌い。「寒いよね、どっか店入ろっか」私は、彼女が言いたいことを言い切っただろうと考えて、近くの喫茶店にでも入ろうかと、誘う。
「……サヤカ」彼女が、絡めた指を解こうとしなかった。「……うん」色々な可能性が、脳内に浮かぶ。
「何でもない」
「うん」私は彼女の指を解き、手を繋ぎ直した。近くの、前にも一緒に行ったことのある、紅茶の種類が豊富で黒板アートが綺麗な喫茶店に、「ね、サヤカ」行きたかった。
「うん」
 彼女が私の頬に触れた。「辛いよ」私は自らの頬ごと、彼女の手を包んだ。「うん」
「サヤカは辛い?」
「私かあ」
 この子が求めてるのは「一緒に悲しんでくれる私?」「距離を置いてくれる私?」いいや。どっちも違う。
 きっと、慰め。
「ずっと、辛いよ」
「ん、サヤカって、ずっと苦しそう」私の中で、何かが崩れた。
「苦しそう?」
「そう。私といると、ずっと」彼女は、私の頬を、わざとらしく撫でる。私の中で、怒りと羞恥と期待が、渦巻き、みんなまとめて不安に沈む。「いつから?」私は聞いた。
「ずっと」
 彼女の目を見た。真っ直ぐに私を見ていた。あまりにも、あまりにも、本心から言っていると思えなかった。彼女の心は全く分からない。分からなくて、遠くて、それが愛おしい。
「……」「……」「…………」「……」「…………」
「ねえ」「うん」
「寒いね」
「手、かじかんじゃう」
 私と彼女は、紅茶を飲みに行くために、手を離し、指を解く。歩調を合わせた。お互いずっと、無言だった。黒板アートの絵柄は、覚えていない。自分のことが嫌いだった。

夜、

 唇を重ねた。ほんのりと赤ワインの香りがする。互いのグロスを合わせるだけだったから、相手の柔らかさだけが伝わった。きっと、唇に重ね塗りしたメイクの上澄みだけが触れた。私の唇はちっともヒリつかな くて、プランパー、もらえなかったかもな、と思い、気持ち悪いな、私。と思う。私が唇を離しても、彼女は目を瞑ったままだった。「いいの?」と聞こうとして「野暮だなあ」と、自制する。彼女の長い睫毛に、私の睫毛を重ねた。私には似合わないパープルベースのアイメイク。互いのマスカラが少し絡まり、さっきのキスよりもぎこちない。彼女がまだ目を瞑っているのを見て、何を想像しているんだろう、と架空の相手に嫉妬する。頬はすっかり赤らんでいた。さっきの赤ワインのせいだといいなって考えた。私は、自身の頬の熱さを無視して、おでこを合わせた。私の睫毛が相手のおでこにかすった。少し、マスカラが付いた。
 細い肩を撫でながら、このままハグして頭を優しく、もしくはワシャワシャと撫でれば、まだ「友だち」には戻れるんだろうなと、思った。一瞬、迷うと、彼女が不安そうに目を開けた。不安にさせてしまった自分を心の中で叱る。それから、一瞬、じゃなかったんだな、迷うの。と、思う。自分の戸惑いを隠すように彼女を丁寧に押し倒す。女性同士の関係、って、この子、どこかで憧れてそうだな。流行ってるもんな。彼女の長い髪を巻き込まないように、上から覆い被さる。彼女の目にかかった前髪をかき分けてあげた。「美しくいてほしい」よりも「美しくいたいだろうな」を優先する。相手のプライドを守るくらいには、私のプライドも高い。そう思いながら、指を絡める。……握り返された。私はそれに、ひどく同情する。私にすがるあなたが、どうしても惨めで惨めで仕方が無い。
「いい?」
 気がつけば声に出ていた。「よくない」とか、「ううん」とか、無言で首を振るとかをして欲しかった。そのまま、丁寧に気遣った彼女の髪を、打ち消すようにワシャワシャと撫でて、「おでこにマスカラ付いてるよ」ってカラリと笑って、「ホテル代は割り勘ね」って言いながら、少しだけ多く出して、一生、私にだけすがっていて欲しかった。彼女の首の三日月をなぞった。だいぶ薄くなっていた。今夜の月が、どんな形をしているか見る暇なんて無かった。彼女は無言で頷いた。それから「いいよ」と、言った。私の想像通りだった。受け入れることでしか、彼女は満たされない。これが例え私でも。......私でも。この、私でも。私だって、あいつらと、一緒。そしてまあ、私が想像した相手にもそう言ってるのだろうと思い、でも、あの男好きがここまで体を許してるってことは、きっと、こんなに大切にされてこなかったんだろうなと、考える。だからこそ。だからこそ、断って欲しかった。ああ、私は、私はまるで泥だ。三日月に、また触れる。大きく息を吸っていると、「緊張しすぎ」と、愛おしそうに微笑まれた。急かされたな、と、思う。彼女も緊張している証拠だった。服をめくり、腹を撫で、口づけし、彼女のおへそを撫でた。彼女はじれったそうに喘いだ。形の綺麗な睫毛で私を見て、私の頬を触った。
 想像とは、違った。まるで男に食われる女のような喘ぎ声で、まるで男を誘い込むような仕草だった。汚かった。私が汚くて、この子が汚かった。汚かった。汚かった。汚かった。私は汚いこの子に、キスをする。深く深く、キスをする。唇がヒリついた。彼女の鼻筋にもマスカラが付いた。それは指で拭った。そしておでこのマスカラも拭って、首も拭った。首だけが消えなかった。そうして汚く汚く泥のように、私は泣いた。泣きながら、彼女の肌を、彼女のために汚した。汚く愚かに泣いた私を、あの子は、「とても綺麗」と言った。それが、彼女の本心か分からなくて、そして私は、また泣いた。
一年のとき課題で出したやつです
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コメント



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1.90v狐々削除
良かったです。言葉選びが面白く、丁寧に表現された主人公の鬱血した感情が味わい深かった。