頭の良い悪いってのは、大体会話の中で透けるもんだ。ペーパーテストじゃあ誤魔化しが効いちゃうし、面接ってのも硬すぎる。私が国内最高と言われる新京都大学に入ることが出来たのも嘘の一環、試験官を騙してやった。本当に人を見たいんだったら、のびのびと自然体で雑談をするんだ。同人誌即売会で談笑していたら出版が決まったりとか、たまたまゲームセンターで会った人が社長で、一発入社とか。リングの外でこそ、優秀な人間は優秀な人間を見抜く。逆に、取り繕ってる欠けもバレちゃう。
だから私にとって、喫茶店は戦場なんだ。
「つまり、特紫線発電機の事案には地球外生命体が関与しているんだ。原子老衰説の話は前もしたよね、痺原子の観測に成功した以上、近似した銀河環境内での特紫線発電が行われているとしか考えられない……以上がバイター放射の説明」
「へー」
街外れにある小さなカフェの、ほつれたソファが向かい合う席。煩雑とした話にお天道様も首を傾げてしまったらしく、彼女の睫には橙色の果実が実っていた。はいはいお疲れ様、一段落しましたよ。自分自身を労わるようにして、私は残りひとかけのショートケーキをまるっと飲み込んだ。ホイップクリームのしっとりした油分が二時間以上喋り続けた喉に艶を与える。
柏木襟(かしわぎえり)は新京大において、歴代最高の天才だ。頭の中には小麦畑のような広さの計算用紙があり、脳内であれば三十か所の同時筆記が出来るらしい。私の向かいで口を半開きにしている彼女は濡れたレジ袋みたいに腑抜けて見えるだろう。けれど大抵の人間はその瞳にあてられるだけで恐怖する、隠しごとを暴くような視線に貫かれ絶命する! そんな圧倒的天才が柏木襟なのだ。
私だって、中学生の間までは賢いねえと褒められ育ってきたし、自分をノーベル賞級の天才だと信じてやまなかった。でも、大学生になって……柏木襟に出会ってから、世界が変わってしまった。何が起こったかはよく覚えていない。私は地平の彼方まで続く広大なキャンバスを塗り広げていたつもりだったのに、彼女は私にカメラを向けて、パシャリと小さな光沢紙に収めてしまった。
私は焦った、見限られたくないと強く思った。そんな負け犬の私が請け負ったのが、彼女専属のニュースキャスターだ。直近一週間で発表された研究や論文の内容を纏めて、口頭で教える役をしている。何故わざわざそんな回りくどい事をするかというのは、彼女の異常な記憶力に起因していた。彼女は読書と研究を除いた殆どの時間をアイマスクと耳栓を付けて過ごす。一度知ったことを忘れないので、そうでもしないと情報でパンクしてしまうらしい。情報の洪水であるインターネットでの調べ物なんかは、特に頭に負担がかかるんだとか。今回は宇宙科学と物理学について話した。私にとっては得意分野だが、そんなの彼女からすればまるで関係ない。きっと土筆の背の違いのようなものだ。ともかく賽は投げられた。後は……先ほどハ行の四番目で返事をした彼女を待つだけ。
怪物、悪魔、或いは神だとか。私の目の前にいるのは、そう呼ばれているやつだ。きっと一言で私を……粉微塵に出来る。
彼女の唇がゆっくりと開き、私の背筋を緊張が這う──
「ブレンド、一つ」
「あっ私も同じの」
彼女が手を挙げて注文するのに私も同調した。醤油顔のマスターが白髪混じりの頭を縦に振った。はあ、折角の緊張が台無し。天才お嬢さんは自由気ままで困ります、ほんと。コーヒーが細かく擂り潰される音を聞いていると、彼女の方から病院で話すときみたいな静かな声が飛んできた。
「そんなに唇を尖らせないで、長く話してくれたし疲れてるだろうなって、心配だった」
「お気遣いどーも……そういう貴方はどうなんですか」
「ちょっと疲れた、今回の話は特に凄い」
私はニマニマと口元が緩みそうになるのを、上唇を噛んで止めた。そりゃ凄いでしょう、今回は特に頑張って”考えた”からね。
バイター放射……近年物理学会で注目を集める紫線とそれを利用する特紫線発電は、通常リヒテンベルク形を描く放電現象が特定の条件下でピンと張るのを利用して、抵抗を極限まで減らした状態で独自のコイルを作り……お湯を沸かしてタービンを回す発電方法だ。しかし、特紫線発電は自然界に紫線が存在しないのを前提としているデリケートは発電方法なので、宇宙のどこかで紫線が使われていた場合は発生する痺原子によって線が縺れて小爆発してしまう。仔細は省くが条件は近似する銀河内で紫線が使用されていること。つまり事故が起こったということは文明の発達した地球外の存在を示唆しているのだ。バイター放射とは紫線に干渉する痺原子が速度にとらわれず行動する現象である。
というのは全て嘘である。
私が考えた嘘である。
そもそも紫線なんて存在しないし、バイター放射なんて言葉は存在しない。
つまり、こういうことだ。
「特紫線発電機(*1)の事案(*2)には地球外生命体が関与しているんだ(*3)。原子老衰説(*4)の話は前もしたよね、痺原子(*5)の観測に成功した以上、近似した銀河環境内での特紫線発電(*6)が行われているとしか考えられない……以上がバイター放射(*7)の説明」
(*1)私が考えた (*2)私の想像 (*3)そうなの?
(*4)似た理論はあるけど私が考えた (*5)私が考えた (*6)だから存在しないって
(*7)私が考えた
始まりは只の冗談だった。冥王星には液体の水が存在するのが判明したらしいって嘘をついた私に、彼女は「どうして?」と言ったのだ。試されているような気がした私は、架空の理由を並び立て始めた。メタンの層、カロンの引力……気が付けば夢中で捲し立てていた。二十分にも亘る熱弁の末、彼女は一言、ぽつりと零したのだ。
「なるほどね」
その瞬間の背徳を忘れたりなんかしない。決して忘れる事のない頭脳に刻まれた、一片の汚れ。世界遺産に落書きをするような、高級ワインの樽に虫の糞を零すような、どんな自慰よりも背徳的な行為だった!
「お待たせ致しました」
渋い男声によって、脳内の世界に耽っていた私の意識が呼び戻された。私たち二人の間に湯気の立ったコーヒーが置かれる。
「ありがとうございます」
礼を言うと、マスターは会釈をしてカウンターへと戻っていった。一方彼女はというと、嬉しそうな顔をして、どぽどぽと角砂糖をカップに沈めていた。
「やっぱりこれが無いと」
彼女はおおよそマスターに対して失礼になるであろう量の角砂糖を入れると、マドラーでカップの内側を撫で始めた。かき氷を作るみたいな音を立てて、黒茶色が渦巻く。
──消化が始まった、軽く俯いた彼女の頭が本気で回転しているのが分かる。私が血を吐きながら組み立てた嘘に、高速で赤ペンを付けるようにして追いついていく。私は彼女の頭を開いて、その中で行われるオーケストラを聞いてみたい好奇に駆られた。
やがてシャクシャクとした音が消えた頃、彼女はゆっくりと頭を上げた。
「今回の事故は人類にとって大きな得。ああ、怪我をされた研究員の方には悪いけど」
彼女は……柏木襟は、容易く本質を見抜いて魅せた。信じられない速度、改めて格の違いを思い知る。でも、それが堪らなく良かった。私は出来る限り平静を装って答える。
「流石、早いね」
「要点を絞った話し方でわかりやすかったから」
「どうも……今更だけど、やっぱり知らなかったんだね。この話」
「うん、知らなかった。貴方との会話は勉強になる」
それを聞いた私は、カップをそっと手に取った、口元を隠す為だ。お前の唇は表情豊かだと母親から散々言われてきたから。歪んだ口元から充足感が流れ込み、胃が温かく痺れる。あはは、あははは、この味、世界中の誰にだって味わえない。あの柏木襟に、モノを教えるだなんて!
彼女と対等だなんて、普通にやったら絶対にかなわない。なら、虚構の中でもいい。
世界で私だけが彼女の隣にいられる。
*
私の友達は、私に嘘をつく。
別に悲しいとか思っているわけじゃない。愛おしいとすら思う。裏まで許せたからこそ私の唯一の友達だったし、私は彼女の気持ちを汲んでしらばっくれた返答をする。
「本当に頼りになる、いつもありがとう」
「いいってば……友達でしょ?」
面白いのは、本人が私を騙していると思っている点にある。この子は賢いのに、どこか抜けているところがある。今も、お礼なんて言ってみたけど、そのせいでこの子は罪悪感を感じている。それがわかっているからこそ、恥ずかしげもなく「いつもありがとう」なんて言えるのだけれど。
今までの人生においても、友達と呼べる人間は彼女しかいなかった。子供の頃、周りが漢字テストに苦悩するのを見て、どうして皆が悩んでいるのか分からなかった。こんなの覚えて書くだけじゃないかと思った。教科書を読めば分かることを、何故わざわざ授業で教え直すのか分からなかった。そのうち学校に行くよりも本を読むほうが好きになった。頭が良いところを魅せると親が喜ぶから、勉強はした。親を喜ばせるのはとても良い事な気がしていた。そのうち、頭の良さをアイデンティティとして保持するようになっていった気がする。私は小学六年になると同時に、大学までの勉強を終えていた。
何度も飛び級の打診を受けたが、大学に早く入ったところで何かが変わるとも思えなかった。かといって一応入った中学校にも行かなかった。(来いともいわれなかった)私の興味を惹いたのは、本の中にいるアインシュタインやホーキングといった人物だった。彼らと同じ時代にいたら、どんなに楽しかったろう。この頃から、私はアイマスクと耳栓をして暮らすようになった。頭の中で天才たちと語らうのを楽しんだ。構造を全て覚えていたので、家の中で暮らす分にはアイマスクと耳栓を外す必要も無かった。しかし、この挙動は親の気に障ったらしく、怒られてしまった。叱られたのではなく怒られたのが、当時の私にはショックだった。私は私のままでは、親を喜ばせることは出来ないのだと感じた。それが今までの人生で、きっと一番悲しかった。それから四日後に、私は家を出て一人暮らしを始めた。
自分でも意外だったのは、勉強に手が詰まったことだった。問題を解くのは得意だったが、問題を見つけるのは中々に難しかった。様々な分野に関して記憶しすぎるのは思ったよりも体に負担が掛かった。いよいよ成長も自由にできないとなると、何だかバカバカしく感じてきた私は、暇つぶしに大学へ行くことにした。半分は人の少ない図書館を利用したかったこと、もう半分は戯れで、新京都大学を選択した。
そこで、私は、憧れのアインシュタインに出会ったのだ。
「コーヒー飲んだら帰る?」
そう口にした彼女の目元には隈が浮かんでいる、バイター放射の説明を準備するのに相当徹夜したのだろう……いいや、語弊がある。バイター放射を”準備するのに”時間がかかったのだ。
地球上に私、柏木襟より問題を解くのが上手い人間はいない。
では、自分自身に問題を出してみよう。
バイター放射は実在するか?
……。
……。
実在する。
なんて馬鹿げたことだろうな。信じられないことだ。
先述の通り……面白いのは、本人が私を騙していると思っている点にある。
騙していないのだ。騙せていないのだ。
全て真実なのだから。
徹夜した? 当然だ、地球外生命体の見つけ方を考えだしてしまったのだから。というより、三日や四日の徹夜で生まれて良い理論ではない。仮に学会に持っていったら大騒ぎでは済まない。そもそも、前提となる紫線、痺原子? ネーミングセンスは兎も角、理論上は実在するのだ。どれも今後二百年を支える未来技術の基礎となるだろう。それを、一人で考えついたのだ。
「そうする……良かったら、私の家に来ない」
「いいの? 行ってみたい! あはは、天才サマのご自宅かあ、楽しみだな」
彼女は私を褒める時、右唇を強張らせる。劣等感を抱いたときの癖だ。私に対して……普通にやったら柏木襟なんて疾うに置いて行ってしまう才を持っているのに。それなのに、劣等感を抱いている!
おかしくて堪らない。江見一一なんて名前、誰も知らない。読み方もきっと分からないだろう。私が勝手に論文にして、学会にでも出してしまえば一瞬にして名が知れるだろう。彼女の劣等感も解決するし、二人で研究だって出来る。
でもやらない。
私だけ。
世界で私だけが、彼女を知っても良いのだ。
だから私にとって、喫茶店は戦場なんだ。
「つまり、特紫線発電機の事案には地球外生命体が関与しているんだ。原子老衰説の話は前もしたよね、痺原子の観測に成功した以上、近似した銀河環境内での特紫線発電が行われているとしか考えられない……以上がバイター放射の説明」
「へー」
街外れにある小さなカフェの、ほつれたソファが向かい合う席。煩雑とした話にお天道様も首を傾げてしまったらしく、彼女の睫には橙色の果実が実っていた。はいはいお疲れ様、一段落しましたよ。自分自身を労わるようにして、私は残りひとかけのショートケーキをまるっと飲み込んだ。ホイップクリームのしっとりした油分が二時間以上喋り続けた喉に艶を与える。
柏木襟(かしわぎえり)は新京大において、歴代最高の天才だ。頭の中には小麦畑のような広さの計算用紙があり、脳内であれば三十か所の同時筆記が出来るらしい。私の向かいで口を半開きにしている彼女は濡れたレジ袋みたいに腑抜けて見えるだろう。けれど大抵の人間はその瞳にあてられるだけで恐怖する、隠しごとを暴くような視線に貫かれ絶命する! そんな圧倒的天才が柏木襟なのだ。
私だって、中学生の間までは賢いねえと褒められ育ってきたし、自分をノーベル賞級の天才だと信じてやまなかった。でも、大学生になって……柏木襟に出会ってから、世界が変わってしまった。何が起こったかはよく覚えていない。私は地平の彼方まで続く広大なキャンバスを塗り広げていたつもりだったのに、彼女は私にカメラを向けて、パシャリと小さな光沢紙に収めてしまった。
私は焦った、見限られたくないと強く思った。そんな負け犬の私が請け負ったのが、彼女専属のニュースキャスターだ。直近一週間で発表された研究や論文の内容を纏めて、口頭で教える役をしている。何故わざわざそんな回りくどい事をするかというのは、彼女の異常な記憶力に起因していた。彼女は読書と研究を除いた殆どの時間をアイマスクと耳栓を付けて過ごす。一度知ったことを忘れないので、そうでもしないと情報でパンクしてしまうらしい。情報の洪水であるインターネットでの調べ物なんかは、特に頭に負担がかかるんだとか。今回は宇宙科学と物理学について話した。私にとっては得意分野だが、そんなの彼女からすればまるで関係ない。きっと土筆の背の違いのようなものだ。ともかく賽は投げられた。後は……先ほどハ行の四番目で返事をした彼女を待つだけ。
怪物、悪魔、或いは神だとか。私の目の前にいるのは、そう呼ばれているやつだ。きっと一言で私を……粉微塵に出来る。
彼女の唇がゆっくりと開き、私の背筋を緊張が這う──
「ブレンド、一つ」
「あっ私も同じの」
彼女が手を挙げて注文するのに私も同調した。醤油顔のマスターが白髪混じりの頭を縦に振った。はあ、折角の緊張が台無し。天才お嬢さんは自由気ままで困ります、ほんと。コーヒーが細かく擂り潰される音を聞いていると、彼女の方から病院で話すときみたいな静かな声が飛んできた。
「そんなに唇を尖らせないで、長く話してくれたし疲れてるだろうなって、心配だった」
「お気遣いどーも……そういう貴方はどうなんですか」
「ちょっと疲れた、今回の話は特に凄い」
私はニマニマと口元が緩みそうになるのを、上唇を噛んで止めた。そりゃ凄いでしょう、今回は特に頑張って”考えた”からね。
バイター放射……近年物理学会で注目を集める紫線とそれを利用する特紫線発電は、通常リヒテンベルク形を描く放電現象が特定の条件下でピンと張るのを利用して、抵抗を極限まで減らした状態で独自のコイルを作り……お湯を沸かしてタービンを回す発電方法だ。しかし、特紫線発電は自然界に紫線が存在しないのを前提としているデリケートは発電方法なので、宇宙のどこかで紫線が使われていた場合は発生する痺原子によって線が縺れて小爆発してしまう。仔細は省くが条件は近似する銀河内で紫線が使用されていること。つまり事故が起こったということは文明の発達した地球外の存在を示唆しているのだ。バイター放射とは紫線に干渉する痺原子が速度にとらわれず行動する現象である。
というのは全て嘘である。
私が考えた嘘である。
そもそも紫線なんて存在しないし、バイター放射なんて言葉は存在しない。
つまり、こういうことだ。
「特紫線発電機(*1)の事案(*2)には地球外生命体が関与しているんだ(*3)。原子老衰説(*4)の話は前もしたよね、痺原子(*5)の観測に成功した以上、近似した銀河環境内での特紫線発電(*6)が行われているとしか考えられない……以上がバイター放射(*7)の説明」
(*1)私が考えた (*2)私の想像 (*3)そうなの?
(*4)似た理論はあるけど私が考えた (*5)私が考えた (*6)だから存在しないって
(*7)私が考えた
始まりは只の冗談だった。冥王星には液体の水が存在するのが判明したらしいって嘘をついた私に、彼女は「どうして?」と言ったのだ。試されているような気がした私は、架空の理由を並び立て始めた。メタンの層、カロンの引力……気が付けば夢中で捲し立てていた。二十分にも亘る熱弁の末、彼女は一言、ぽつりと零したのだ。
「なるほどね」
その瞬間の背徳を忘れたりなんかしない。決して忘れる事のない頭脳に刻まれた、一片の汚れ。世界遺産に落書きをするような、高級ワインの樽に虫の糞を零すような、どんな自慰よりも背徳的な行為だった!
「お待たせ致しました」
渋い男声によって、脳内の世界に耽っていた私の意識が呼び戻された。私たち二人の間に湯気の立ったコーヒーが置かれる。
「ありがとうございます」
礼を言うと、マスターは会釈をしてカウンターへと戻っていった。一方彼女はというと、嬉しそうな顔をして、どぽどぽと角砂糖をカップに沈めていた。
「やっぱりこれが無いと」
彼女はおおよそマスターに対して失礼になるであろう量の角砂糖を入れると、マドラーでカップの内側を撫で始めた。かき氷を作るみたいな音を立てて、黒茶色が渦巻く。
──消化が始まった、軽く俯いた彼女の頭が本気で回転しているのが分かる。私が血を吐きながら組み立てた嘘に、高速で赤ペンを付けるようにして追いついていく。私は彼女の頭を開いて、その中で行われるオーケストラを聞いてみたい好奇に駆られた。
やがてシャクシャクとした音が消えた頃、彼女はゆっくりと頭を上げた。
「今回の事故は人類にとって大きな得。ああ、怪我をされた研究員の方には悪いけど」
彼女は……柏木襟は、容易く本質を見抜いて魅せた。信じられない速度、改めて格の違いを思い知る。でも、それが堪らなく良かった。私は出来る限り平静を装って答える。
「流石、早いね」
「要点を絞った話し方でわかりやすかったから」
「どうも……今更だけど、やっぱり知らなかったんだね。この話」
「うん、知らなかった。貴方との会話は勉強になる」
それを聞いた私は、カップをそっと手に取った、口元を隠す為だ。お前の唇は表情豊かだと母親から散々言われてきたから。歪んだ口元から充足感が流れ込み、胃が温かく痺れる。あはは、あははは、この味、世界中の誰にだって味わえない。あの柏木襟に、モノを教えるだなんて!
彼女と対等だなんて、普通にやったら絶対にかなわない。なら、虚構の中でもいい。
世界で私だけが彼女の隣にいられる。
*
私の友達は、私に嘘をつく。
別に悲しいとか思っているわけじゃない。愛おしいとすら思う。裏まで許せたからこそ私の唯一の友達だったし、私は彼女の気持ちを汲んでしらばっくれた返答をする。
「本当に頼りになる、いつもありがとう」
「いいってば……友達でしょ?」
面白いのは、本人が私を騙していると思っている点にある。この子は賢いのに、どこか抜けているところがある。今も、お礼なんて言ってみたけど、そのせいでこの子は罪悪感を感じている。それがわかっているからこそ、恥ずかしげもなく「いつもありがとう」なんて言えるのだけれど。
今までの人生においても、友達と呼べる人間は彼女しかいなかった。子供の頃、周りが漢字テストに苦悩するのを見て、どうして皆が悩んでいるのか分からなかった。こんなの覚えて書くだけじゃないかと思った。教科書を読めば分かることを、何故わざわざ授業で教え直すのか分からなかった。そのうち学校に行くよりも本を読むほうが好きになった。頭が良いところを魅せると親が喜ぶから、勉強はした。親を喜ばせるのはとても良い事な気がしていた。そのうち、頭の良さをアイデンティティとして保持するようになっていった気がする。私は小学六年になると同時に、大学までの勉強を終えていた。
何度も飛び級の打診を受けたが、大学に早く入ったところで何かが変わるとも思えなかった。かといって一応入った中学校にも行かなかった。(来いともいわれなかった)私の興味を惹いたのは、本の中にいるアインシュタインやホーキングといった人物だった。彼らと同じ時代にいたら、どんなに楽しかったろう。この頃から、私はアイマスクと耳栓をして暮らすようになった。頭の中で天才たちと語らうのを楽しんだ。構造を全て覚えていたので、家の中で暮らす分にはアイマスクと耳栓を外す必要も無かった。しかし、この挙動は親の気に障ったらしく、怒られてしまった。叱られたのではなく怒られたのが、当時の私にはショックだった。私は私のままでは、親を喜ばせることは出来ないのだと感じた。それが今までの人生で、きっと一番悲しかった。それから四日後に、私は家を出て一人暮らしを始めた。
自分でも意外だったのは、勉強に手が詰まったことだった。問題を解くのは得意だったが、問題を見つけるのは中々に難しかった。様々な分野に関して記憶しすぎるのは思ったよりも体に負担が掛かった。いよいよ成長も自由にできないとなると、何だかバカバカしく感じてきた私は、暇つぶしに大学へ行くことにした。半分は人の少ない図書館を利用したかったこと、もう半分は戯れで、新京都大学を選択した。
そこで、私は、憧れのアインシュタインに出会ったのだ。
「コーヒー飲んだら帰る?」
そう口にした彼女の目元には隈が浮かんでいる、バイター放射の説明を準備するのに相当徹夜したのだろう……いいや、語弊がある。バイター放射を”準備するのに”時間がかかったのだ。
地球上に私、柏木襟より問題を解くのが上手い人間はいない。
では、自分自身に問題を出してみよう。
バイター放射は実在するか?
……。
……。
実在する。
なんて馬鹿げたことだろうな。信じられないことだ。
先述の通り……面白いのは、本人が私を騙していると思っている点にある。
騙していないのだ。騙せていないのだ。
全て真実なのだから。
徹夜した? 当然だ、地球外生命体の見つけ方を考えだしてしまったのだから。というより、三日や四日の徹夜で生まれて良い理論ではない。仮に学会に持っていったら大騒ぎでは済まない。そもそも、前提となる紫線、痺原子? ネーミングセンスは兎も角、理論上は実在するのだ。どれも今後二百年を支える未来技術の基礎となるだろう。それを、一人で考えついたのだ。
「そうする……良かったら、私の家に来ない」
「いいの? 行ってみたい! あはは、天才サマのご自宅かあ、楽しみだな」
彼女は私を褒める時、右唇を強張らせる。劣等感を抱いたときの癖だ。私に対して……普通にやったら柏木襟なんて疾うに置いて行ってしまう才を持っているのに。それなのに、劣等感を抱いている!
おかしくて堪らない。江見一一なんて名前、誰も知らない。読み方もきっと分からないだろう。私が勝手に論文にして、学会にでも出してしまえば一瞬にして名が知れるだろう。彼女の劣等感も解決するし、二人で研究だって出来る。
でもやらない。
私だけ。
世界で私だけが、彼女を知っても良いのだ。
最初の2人のセリフはどっちがどっちのものなのか、もっと直感的にわかるようにすれば良くなりそうだと思います。