「夕飯エビフライにするんで、帰ります」
時刻は十七時五十三分。いつもなら、二分後にやってくる上司の『お願い』を快く受け入れるが、今日はそういうワケには行かないのだ。どうしても。大股で上司のデスクに歩み寄ると、デカめの声で宣戦布告した。
「そ、そうか。それも良いんだが、これだけ……」
よく熟れた西陽はオフィスの窓を舐めながら、夜にじっくり溶け始めている。
「良いですよね、エビ。おっと、早く行かないと売り切れるので。お先に失礼します!」
ネクタイを緩めたら、十八時三分。遠くの銀杏並木から運ばれてくる秋の匂いは、私の背中をサラリと撫でるだけ。今日はいつもの商店街ではなく、最近できた大型スーパーに向かうのだ。少し遠回りだが、魚介類特売のチラシを見てしまったからには仕方がない。買い替えて欲しそうにヨレている革靴の中でつま先を丸めたら、少しむくんだ脚を進めた。
「重いな」
エコバッグを覗き込むと、いつもは見向きもしないネーブルに加えて、つまみが三つも入っていた。絶望。
「大型スーパー怖え」
思わず独り言まで漏れる帰り道。今後はなるべく商店街で済ませた方が吉かと考えていたら、アパートの前に止まっていたトラックに気が付かなかった。
「ただいまぁ」
手を洗って、十九時ちょうど。薄暗くぼんやりとした部屋の中が、疲れた目をじんわりと癒していく。街はとっくに暗いのに、大空はまだ星が見えない群青色をしていた。
ピンポーン
「はい」
「宅急便です」
変に慌てて、電気をつけてしまった。パチリと音がした途端、虹彩がググッと伸びて、身体が再び雑踏の中に戻された気がする。再び消す勇気がなかったので、そのまま扉を開けるしかなかった。
「田代一哉さまですね? ここにハンコかサインお願いします」
さっきは背中でしか感じられなかった秋風が、配達員のおっちゃんと私の前髪を荒らして、騒がしく家の中まで吹き込んでくる。
「はい、お疲れ様です」
「どうも、ありがとうございましたー。失礼します」
差出人は両親だった。
柿、かぼちゃ、白菜、沢庵、さつまいも、パンツ。頂上に手紙を添えた、大きなダンボール箱が届いた。
「秋……? パンツのせいで季節感わかんなくなるな」
実家の土のにおい、猫の毛、新聞紙の擦れる音。懐かしい箱の中は、手を入れたら微かに暖かい気がした。沢庵だけ冷蔵庫に入れて、残りはあとで。
二十時十二分。ツヤツヤな白米の炊き上がりを告げるファンファーレは、大きめの音だからこそ嬉しい。まっすぐ揚げたエビフライを盛り付け、換気扇を弱に切り替えたら、ようやくありつける。サクリとした軽い音は、舌も耳も幸せにする魔法の音だ。
「うまいなあ」
タルタルソースを作る元気は薄れてしまったので、たまには醤油で。サラっとした塩気が揚げたての衣にじんわり広がって、ソースとは異なるしみ込み具合とうま味を演出してくれる。米と千切りキャベツと三角食べしたら、健康そのもの。
「ちょっと暑いな」
窓を開ければ、籠った熱が逃げる。真っ暗な夜空には、衣の色にそっくりなオレンジ色の下弦の月がふわりと浮かんでいた。もう少し伸ばしたらエビフライになるかも。しかし指でつまもうとしても、月は月のままだった。
時刻は十七時五十三分。いつもなら、二分後にやってくる上司の『お願い』を快く受け入れるが、今日はそういうワケには行かないのだ。どうしても。大股で上司のデスクに歩み寄ると、デカめの声で宣戦布告した。
「そ、そうか。それも良いんだが、これだけ……」
よく熟れた西陽はオフィスの窓を舐めながら、夜にじっくり溶け始めている。
「良いですよね、エビ。おっと、早く行かないと売り切れるので。お先に失礼します!」
ネクタイを緩めたら、十八時三分。遠くの銀杏並木から運ばれてくる秋の匂いは、私の背中をサラリと撫でるだけ。今日はいつもの商店街ではなく、最近できた大型スーパーに向かうのだ。少し遠回りだが、魚介類特売のチラシを見てしまったからには仕方がない。買い替えて欲しそうにヨレている革靴の中でつま先を丸めたら、少しむくんだ脚を進めた。
「重いな」
エコバッグを覗き込むと、いつもは見向きもしないネーブルに加えて、つまみが三つも入っていた。絶望。
「大型スーパー怖え」
思わず独り言まで漏れる帰り道。今後はなるべく商店街で済ませた方が吉かと考えていたら、アパートの前に止まっていたトラックに気が付かなかった。
「ただいまぁ」
手を洗って、十九時ちょうど。薄暗くぼんやりとした部屋の中が、疲れた目をじんわりと癒していく。街はとっくに暗いのに、大空はまだ星が見えない群青色をしていた。
ピンポーン
「はい」
「宅急便です」
変に慌てて、電気をつけてしまった。パチリと音がした途端、虹彩がググッと伸びて、身体が再び雑踏の中に戻された気がする。再び消す勇気がなかったので、そのまま扉を開けるしかなかった。
「田代一哉さまですね? ここにハンコかサインお願いします」
さっきは背中でしか感じられなかった秋風が、配達員のおっちゃんと私の前髪を荒らして、騒がしく家の中まで吹き込んでくる。
「はい、お疲れ様です」
「どうも、ありがとうございましたー。失礼します」
差出人は両親だった。
柿、かぼちゃ、白菜、沢庵、さつまいも、パンツ。頂上に手紙を添えた、大きなダンボール箱が届いた。
「秋……? パンツのせいで季節感わかんなくなるな」
実家の土のにおい、猫の毛、新聞紙の擦れる音。懐かしい箱の中は、手を入れたら微かに暖かい気がした。沢庵だけ冷蔵庫に入れて、残りはあとで。
二十時十二分。ツヤツヤな白米の炊き上がりを告げるファンファーレは、大きめの音だからこそ嬉しい。まっすぐ揚げたエビフライを盛り付け、換気扇を弱に切り替えたら、ようやくありつける。サクリとした軽い音は、舌も耳も幸せにする魔法の音だ。
「うまいなあ」
タルタルソースを作る元気は薄れてしまったので、たまには醤油で。サラっとした塩気が揚げたての衣にじんわり広がって、ソースとは異なるしみ込み具合とうま味を演出してくれる。米と千切りキャベツと三角食べしたら、健康そのもの。
「ちょっと暑いな」
窓を開ければ、籠った熱が逃げる。真っ暗な夜空には、衣の色にそっくりなオレンジ色の下弦の月がふわりと浮かんでいた。もう少し伸ばしたらエビフライになるかも。しかし指でつまもうとしても、月は月のままだった。