zorozoro - 文芸寄港

血勿れ

2024/05/10 13:53:04
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「どうして泣かないの! どうして!」
 湊はそう言って、馬乗りになって僕を殴りつけた。長い髪のカーテンが降りてきて夜みたいに暗くなった。僕は殴られながら、綺麗な顔だなと思って見つめる。下手な殴り方だった。身体ばっかり痛かった。きっと、僕を泣かせようとしてくれたんだと思う。とてもとてもありがたかった。だから、それを止める大人には嫌気がさした。このまま、泥になりたかった。してほしかった。ちょっと恥ずかしいけれど、呪いなんかに殺されるくらいなら、僕は湊にころされたかったんだ。
 六歳の誕生日に母さんが死んだ。十二歳の誕生日に父親が死んだ。二人とも血を吐いて死んだ。
 僕には家族を殺す呪いがかけられているらしい。妖怪みたいな爺さんが、ごくごく稀にお前みたいなやつが産まれるって言ってきた。きっと、次はお前が死ぬとも言われた。十八の誕生日に、家族を殺す呪いで、僕は死ぬ。
 線香の香りがした。僕にとっては家で毎日嗅ぐ、珍しくもないものだった。棺桶の中には父親がいる。自分の死期が近づいても決して暗い顔を見せずに、僕を旅行に連れて行ってくれた。優しい人だった、周囲にも慕われていて友人も多かった。斎場では知らない奴らが頑張ってだとか立派になれとか言ってきた。誰もかれも見えなかった、全部どうでもよかった。父親の死を悼んでいるのは、窓を濡らしている灰色の雨だけのようにも思えた。
 湊は泣いていた。顔も歪めずに、綺麗に泣いていた。涙はもっとみっともないものだと思っていたから、少しショックだった。そんなぐちゃぐちゃした彩りに、僕は憧れていたから──



「おい」
 部屋の明かりが目に沁みた。ぶっきらぼうな声を浴びたソファは、少し寝心地が悪くなったような気がした。我が家の家具といえども、強い方の味方に付くらしい。僕が上体を起こして見ると、窓を潜り抜けて差し込む西日を背にして、エプロンと三角巾を身に付けた湊が立っていた。あの頃は長かった髪も、随分短くなった。
「湊の夢見てた」
「おれの? 何言ってんだ」
 湊は手に持っていたお玉で僕の頭を小突いた。夢の中よりは幾分か優しかった。
「夕飯」
「もう出来たの?」
「ちげーよ、今から作るから、寝てるのがムカつくってんだ……だいたいお前、寝過ぎなんだよ。無駄な時間ばっか過ごしやがって」
 そんなことで起こしたのかと思わないでもないけれど、僕は料理が出来ないので、包丁を手に持たれている間は頭が上がらないし、二度寝をするほど眠いわけでもなかった。テレビの前には映画のDVDや、ゲーム機が乱雑に置かれている。遊んでいるのも悪い気がするし、これ以上に機嫌を損ねるのも危険な気がするので、湊の横顔をボーっと眺めた。そこにいるだけで空を押しのけるようで、目を離せば、すぐに死んでしまいそうで、僕の知っている一番綺麗なものだった。長らくいるけれど、いつも怒っていて、不機嫌で、嬉しそうにしているところを見たことは無い。勿体ないと思う。きっと湊が笑ったら、とても素敵だと思う。
 湊は料理をするたびに白い三角巾と水色のエプロンを付けた。律儀なやつだと思う、些細なことまで信仰心を巡らせて、見て見ぬふりを何よりの悪だと思っている。そんなだから、僕なんかに付き合ったりするのだろう。
「おい……何見てんだよ。出来たぞ」
 柔らかな味噌汁の香りと、炊けた白米の香りがした。これを嗅ぐと喉が湿りだす。これに、温野菜とか、生姜焼きとかを足したものを、湊は作ってくれる。元手は僕の親の遺産とか、保険とかから出ている。金の心配はあんまりないのだ、どうせ先が短いから。いつの間にか窓の外は黒色で塗りつぶされていた。
「いただきます」
 食卓についた湊は手を合わせた。僕も倣ってから味噌汁を手に取った。やや薄味で、それが好みだった。味噌の中にワカメが隠れてしまわない位の薄味が良い。少し硬めの白米とも合う。
「おい」
 今日は温野菜と焼き鮭だった。温野菜と言っても、野菜を温めるだけではない。言い訳の効かない真剣勝負ともいえる。その点、今回はツナが添えてある。一緒に食えということだろうか。おずおずと口に運ぶと、これが楽しい味わいだった。本来、野菜には存在しない筈の脂の旨味が──
「……おい!」
 バン、と机を叩く衝撃で我に返った。湊は不機嫌そうな顔でこちらを睨み付けている。
「えっと、美味しいよ」
「ちげーよ、ほんとバカだな……風呂どうすんだ」
「まだ外は寒いし家で済ませようよ、先に入って」
 湊はまた手を合わせて、椅子から立った。いつも食べるのが早い、僕が遅いのかもしれない。
「はぁ、ほんと美味そうに食いやがって」
湊がぼそっと言ったので、僕は少し恥ずかしくなった。高く積もった雪も地面に還りつつある。これから少しずつ暖かくなっていくだろう。僕の十八歳の誕生日まで、あと二ヶ月ほどだった。



 なんだか寝苦しくて、ぱっちりと目が覚めた。直前まで見ていた夢も忘れてしまった。今見ている光景が、夢か現か分からなかったからだった。
「何してんのさ」
 湊は月明かりに当てられながら、寝ている僕の胸に手をついて腰に跨っていた。淡白なキャミソールが胸の尖ったところで、月の光をもみくちゃにするのに、心臓が鼓動を速めるのを感じた。そんな呼吸も手のひらの内で、二人分の熱を溜めていった。
「何してんだろな」
「殴る?」
「別に。布団に飲み物を零したから入れろ、良いだろ、それくらい」
 僕が身を捩ると、空いたスペースに湊が寝転んだ。退けた先の布団は冷めていた。僕は壁を見た。少しでも考えたりしたくなかった。背中から聞こえてくる吐息も、瞬きをする瞳も。向き合ってしまえば、なんだかはちきれてしまう気がした。
 どれくらいの間を、そうしていたかわからない。暗闇の中で、意識が徐々になだらかになるにつれて、身体が夜に馴染んできた。背中に伝わる熱も、呼吸の音も、ほのかな石鹸の香りも、少しずつ心地よくなってきた。思えば、こうして人に触れるのは何時ぶりだろう。
「おれの……湊って名前は、自分で決めた」
 湊は自ずと語り出した。独り言のように弱々しかった。
「施設の皆に決めて貰った名前が気に入らなかったから。勉強も一人でやって料理も自分だけでやった。お前は家族を失ったけど、おれには元々家族がいなかったから、寂しいって気持ちがずっとわからなかった。家族を欲しいと思ったことさえ無かったさ」
 湊の手が、僕の背中を撫でた。十二歳の頃から変わらない、小さい手だった。
「でも最近、少し寂しいんだ。もうすぐ終わると思ったからかな。お前が……いなくなると思ってさ」
 一人称が「おれ」になったのは、男らしく振舞うようになったのはいつからだろう。僕の名前を呼ばなくなったのは、いつからだろう。きっと、僕と湊の関係は、今後ろに向き直るだけで、簡単に壊れてしまう。逆に言えば、湊は僕といるために、そうした振舞いを選択してくれたのかもしれなかった。
 小さな手が僕の首に触れた。血流に乗って、熱が頭に昇る。僕はそれがひどく幸せに感じた、半ば恍惚としていたかもしれない。僕は湊の手を包むようにして、手を重ねた。
「君の手で、終わらせてくれるの?」
「それもいいな。お前はこの寂しいってやつを、ずっとやらされていたんだろう。耐えられないよな、今なら少しわかるよ」
 湊は首に添えた手を回して、僕を抱きしめた。切羽詰まったような、優しいような、色々な感情でぐちゃぐちゃしていた声で続けた。
「でもさ、もうちょっと、ほんのちょっとだけ待ってくれないか。時間は少ないけど、確かにあるんだ、もうすこしだけ……」
 僕は、湊を大切にしようと思った。あと二か月程度の、ごくごく短い間だけれど。何かを大事にしようと思ったのは、凄く久々かもしれない。ふと、僕の父親も、こんな気持ちだったのかなと思った。僕も、父親がしてくれたようなことを、湊にしたくなった。
「今度、どっか行こうよ。温泉にでも行こう、楽しくなくても、有意義じゃなくてもいいからさ、どっかに二人で」
 暫くすると、背中越しに安らかな寝息が聞こえてきた。それを聞いた僕はすっかりと安心してしまって、沈むように眠りに誘われた。



 錆びた匂いがして、目が覚めた。まだ日は登っていないようで、ぼんやりと暗い。枕元には焦げた血の跡があった。ああ、遂にか、と思った。覚醒と共に昨晩の記憶が蘇ってくる。別に焦らなくたって良い筈だ、すぐに動けなくなるわけじゃないんだから。ゆっくりで良い。ゆっくり……やっていけばいい。そう考えると、枕にべっとりとついた赤黒い血の跡も、大したことではないように思えた。
 布団の脇では、湊がこちらに背を向けて座っていた。僕より早く起きていたんだ。というか、湊が起きたから、僕も起きたのか?
 どくん、と、心臓が鳴るのを感じた。嫌な汗が額を流れる。僕は、声をかけた。
「湊?」
「あ、あぁ……起きたんだ」
 掠れた声だった。喉から手が出たような声色だった。今まで、聞いたことも無い。
「ねぇ、みてよ春……これがさ、これが欲しかったんだ……」
 久々に僕の名前を呼んだ湊は、赤黒く汚れた口元をゆがめて、嬉しそうに笑っていた。
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コメント



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1.90鬼氏削除
バイオハザード7の体験版かと思った。
面白かったです。
2.80べに削除
呪いの設定がいい分それを前に推してきて欲しかった。面白かったよー。(ง ˘ω˘ )ว
3.70削除
匂い、感触、温度の描写が好き。映像的にするすると読める。