朝起きると、交際している彼女から「今度『黒歴史博物館』行こうよ」と連絡が来ていた。
脳科学が急速に発展し、最近は法律の範囲でなら人の記憶を操作することも、珍しくなくなっていた。『黒歴史博物館』と言うのは、文字通り人の黒歴史を抜き取って展示する新しい公共施設だ。人の記憶が操作できるようになり、黒歴史を忘れたい人と他人の黒歴史を覗き見たい人との間で需要と供給が一致したことによって、いつしか黒歴史は一種のエンタメや芸術の側面から親しまれるようになっていた。
彼女は久しぶりのデートに浮き足立って、俺の手を引いた。警備員は俺の顔を見ると、眉ひとつ動かさずにゲートを開けてくれた。
館内には様々な黒歴史が展示されていた。告白に使ったクサい台詞、自作小説や自由帳の設定集。どれもこれもが、いかにも少年時代の恥ずかしい出来事ばかりで、それを観ながら俺も彼女も一緒になって笑っていた。展示のすぐ横には記憶を追体験できるブースも置かれていた。自分にはこういった経験がまるでなかったので、人の記憶を借りてでも恥ずかしくなれるのは新鮮だった。
順路に沿って進んでいると大きく『至極の黒歴史展』と書かれた看板が立てられていた。彼女と顔を見合わせて、せっかくならと覗いてみる事にした。受付を通ると「料金は結構です。注意事項ですが、心臓の弱い方、昔を思い出してしまう方にはご遠慮頂いております。」
少し奇妙な言い回しだが、これも『黒歴史博物館』特有のユーモラスな注意なのだろう。
なにせ至高の黒歴史だ。それはそれは恥ずかしい、とんでもなく共感性羞恥を覚えるものが展示されているのだろうと俺は思った。
入り口には黒い膜のようなものが掛けられており、それを潜って奥に入る。どんなものが見られるのか、内心ワクワクとすらしていた。
しかし俺は中に展示されていたものを見て、思わず息を呑んだ。
遅れて入ってきた彼女が「どうしたの?」と声をかけるが、展示を見た瞬間に俺と同様に言葉を失った。
ディスプレイに映し出されていたのは、人間の焼死体だった。
すぐ横のキャプションには『20XX年○月×日 △△市連続放火事件』と書かれていた。
「なんだ、これ」
そんな言葉が口から溢れる。
展示場には他にも様々な殺人事件や放火事件、ひき逃げや作業事故などの、人の死にまつわる事件の記録がたくさん展示されていた。中にはニュースで見たことのある有名な事件や事故なんかも散見された。博物館側の配慮なのか記憶を共有するブースはなかった。その代わりなのか、横には必ず、その事件の加害者の名前が書かれてあった。
それは黒歴史などではなく、犯罪歴だった。
「ねえ、やっぱり帰ろうよ」
目の前の光景に俺が動けないでいると、彼女が袖を引いた。
俺は「ああ…」と気のない返事をしてその場を後にしようとすると「お久しぶりですね、田村さん」と声をかけられた。振り向くとそこには年配の男性が立っていた。ネームプレートからこの男が館長であることがわかった。
この男は誰だ?どうして俺を知っているんだ?
「まあまあ、せっかくなので最後まで見ていかれては?」
「いやでも」
「まあまあ」
促されるまま、奥へ案内される。入り口からはわからなかったが、展示場の最奥には一際大きなディスプレイが設置されており、それを見て、俺は目を疑った。
『〇〇市幼女監禁殺人事件』
見せられたのは目を覆いたくなるほど凄惨な殺人の記録。しかし何より信じられなかったのは加害者の欄。
『加害者 田村宏樹』
書かれていたのは、間違いなく自分の名前だった。
「違う、俺はこんなことしてない!」
「いいえ、気づいていないだけで、新聞の記事などを調べていただければこの事件の記録は残っていると思います。最も、この時の貴方は少年法で守られていましたが」
「そんなはずはない!」
激昂する俺に、男はあしらう様に聞いてきた。
「では、高校生の時の話、出来ますか?」
「そんなの…」
あれ、おかしい。
俺、あの頃、何してたっけ?
高校生の時の記憶が、まるで空洞のように丸々抜け落ちていた。
「罪の意識に耐えられない人なんかは、ここにきて黒歴史を寄贈していただいたりしているんですよ」
それを聞いて、全てを思い出した。俺はあの日……罪の意識に耐えられなくなって……でもこの記憶が正しいとしたら……こんなの知られて。
彼女が心底冷え切った目で俺を見てくる。
こんなの、最悪な黒歴史じゃないか。
「どうしましょう?この記憶も、寄贈いたしましょうか?」
返事は決まっていた。男は笑っていた。
「はい、彼女の分もお願いします」
脳科学が急速に発展し、最近は法律の範囲でなら人の記憶を操作することも、珍しくなくなっていた。『黒歴史博物館』と言うのは、文字通り人の黒歴史を抜き取って展示する新しい公共施設だ。人の記憶が操作できるようになり、黒歴史を忘れたい人と他人の黒歴史を覗き見たい人との間で需要と供給が一致したことによって、いつしか黒歴史は一種のエンタメや芸術の側面から親しまれるようになっていた。
彼女は久しぶりのデートに浮き足立って、俺の手を引いた。警備員は俺の顔を見ると、眉ひとつ動かさずにゲートを開けてくれた。
館内には様々な黒歴史が展示されていた。告白に使ったクサい台詞、自作小説や自由帳の設定集。どれもこれもが、いかにも少年時代の恥ずかしい出来事ばかりで、それを観ながら俺も彼女も一緒になって笑っていた。展示のすぐ横には記憶を追体験できるブースも置かれていた。自分にはこういった経験がまるでなかったので、人の記憶を借りてでも恥ずかしくなれるのは新鮮だった。
順路に沿って進んでいると大きく『至極の黒歴史展』と書かれた看板が立てられていた。彼女と顔を見合わせて、せっかくならと覗いてみる事にした。受付を通ると「料金は結構です。注意事項ですが、心臓の弱い方、昔を思い出してしまう方にはご遠慮頂いております。」
少し奇妙な言い回しだが、これも『黒歴史博物館』特有のユーモラスな注意なのだろう。
なにせ至高の黒歴史だ。それはそれは恥ずかしい、とんでもなく共感性羞恥を覚えるものが展示されているのだろうと俺は思った。
入り口には黒い膜のようなものが掛けられており、それを潜って奥に入る。どんなものが見られるのか、内心ワクワクとすらしていた。
しかし俺は中に展示されていたものを見て、思わず息を呑んだ。
遅れて入ってきた彼女が「どうしたの?」と声をかけるが、展示を見た瞬間に俺と同様に言葉を失った。
ディスプレイに映し出されていたのは、人間の焼死体だった。
すぐ横のキャプションには『20XX年○月×日 △△市連続放火事件』と書かれていた。
「なんだ、これ」
そんな言葉が口から溢れる。
展示場には他にも様々な殺人事件や放火事件、ひき逃げや作業事故などの、人の死にまつわる事件の記録がたくさん展示されていた。中にはニュースで見たことのある有名な事件や事故なんかも散見された。博物館側の配慮なのか記憶を共有するブースはなかった。その代わりなのか、横には必ず、その事件の加害者の名前が書かれてあった。
それは黒歴史などではなく、犯罪歴だった。
「ねえ、やっぱり帰ろうよ」
目の前の光景に俺が動けないでいると、彼女が袖を引いた。
俺は「ああ…」と気のない返事をしてその場を後にしようとすると「お久しぶりですね、田村さん」と声をかけられた。振り向くとそこには年配の男性が立っていた。ネームプレートからこの男が館長であることがわかった。
この男は誰だ?どうして俺を知っているんだ?
「まあまあ、せっかくなので最後まで見ていかれては?」
「いやでも」
「まあまあ」
促されるまま、奥へ案内される。入り口からはわからなかったが、展示場の最奥には一際大きなディスプレイが設置されており、それを見て、俺は目を疑った。
『〇〇市幼女監禁殺人事件』
見せられたのは目を覆いたくなるほど凄惨な殺人の記録。しかし何より信じられなかったのは加害者の欄。
『加害者 田村宏樹』
書かれていたのは、間違いなく自分の名前だった。
「違う、俺はこんなことしてない!」
「いいえ、気づいていないだけで、新聞の記事などを調べていただければこの事件の記録は残っていると思います。最も、この時の貴方は少年法で守られていましたが」
「そんなはずはない!」
激昂する俺に、男はあしらう様に聞いてきた。
「では、高校生の時の話、出来ますか?」
「そんなの…」
あれ、おかしい。
俺、あの頃、何してたっけ?
高校生の時の記憶が、まるで空洞のように丸々抜け落ちていた。
「罪の意識に耐えられない人なんかは、ここにきて黒歴史を寄贈していただいたりしているんですよ」
それを聞いて、全てを思い出した。俺はあの日……罪の意識に耐えられなくなって……でもこの記憶が正しいとしたら……こんなの知られて。
彼女が心底冷え切った目で俺を見てくる。
こんなの、最悪な黒歴史じゃないか。
「どうしましょう?この記憶も、寄贈いたしましょうか?」
返事は決まっていた。男は笑っていた。
「はい、彼女の分もお願いします」