「私、流産してるんですよ」
雨が打ちつけるフロントガラスを後方で眺めながら恵麻が溢した。友人だった翡翠の墓参りの道中、未だうまく弾まない思い出話が止まった時だった。
「言ってませんでしたっけ」
「……聞いてない」
ハンドルを強く握ったまま、ため息まじりに玲が言う。歪んだ赤信号で踏んだブレーキは乱暴で、半笑いの彼女が少しこわばるのが見えた。
「もう過去のことなんで、ゆるく聞き流してください」
拗ねた子供のようにそっぽを向いて、そう前置いた。水滴に反射した逆さまの自分の顔が揺れだした。
「翡翠との婚約指輪は流石に捨てられないんですけど、もう一つ、忘れたいものがあって。お焚き上げしてもらうつもりで持ってきたんです」
鞄から取り出したのは桃色の手帳。キャラクターがポーズを決めているファンシーな表紙が、コラージュのように車内で浮いていた。
「取っておこうかとも思ったんですけど、このままだと婚期逃しそうですし。来年で三十ですよ?三十。子供を作る気もないですから、思い切って」
三本指を立てて、どこかすっきりとした表情の恵麻と対照に、玲が眉を顰めた。長かった髪をばっさり切った彼女と、翡翠が死んでから髪を伸ばし続けている彼。二年が経った今、髪を一つで結んでいるけれど、また鬱陶しそうに手で払った。車がまた揺れる。僕がいた水滴は地面に溶けて、また強くなった雨が鼓膜を揺らした。
「それは、翡翠の子?」
「もちろん」
そっか、と玲が小さく言う。彼の重い口調とは裏腹に、彼女はごく当たり前の事を話すように軽快に口を開く。やけになっているみたいだった。見苦しい。軽蔑するように鏡ごしに彼女の目を見るけれど、嫌でも視界に入った彼の視線が思っていた数倍優しいもので恥ずかしくなった。
「どうして今まで言わなかったんだよ、何か……してあげられたかもしれなかったのに」
責めるような、震えを抑える強い語気に、綺麗事が似合わない。ひとえにその美辞麗句は彼女に向けた恋心から起因したものであって、それを彼の本性というにはあまりに整いすぎていた。
「ないですよ。そんなこと」
それを見抜いてか見抜いていないのか、彼女は彼を優しく突き放す。一呼吸置いた後、ないです、と念を押すようにまた言った。
「気持ちだけ、受け取っておきますね」
彼が滲ませたその気持ちの重さは、たとえ彼女が存在を知っていたとしても、想像よりずっと重く、長く、拗れたものであることはきっと僕しか知らない。カーナビが能天気に「二百メートル先、右折です」と鳴る。ぐっと体が揺れて、ワイパーが擦れる音がして、そこでようやく、いつの間にか雨が止んでいたことに気がついた。
玲が髪を耳にかけて、口を開こうとする。話題が変わるような気がして、もう少しだけこの暗さの中に居たかった僕は無理やり声を出した。
「……お葬式の日も、雨だったよね」
あの時は止まなかったけれど、と続ける。彼が半開きの唇を閉ざした。
「命日も――舞台の日も雨でしたね。あの時は、お天気雨だったけれど」
僕の話題に寄り添うように、彼女は鏡から逃げるように身を寄せながら言う。ふと玲ごしに外を見ると、小さな劇場がぽつんと立っていた。丁度劇が終わったところなのか、ぞろぞろと人が出ていくのが見える。僕たちもその中の一人だった、それはお話の終わりではなく、照明の落下事故によるキャストの死によって中断されてしまった舞台だったけれど。
「あれ、どんな話だったっけ」
「親子愛と夫婦愛の話です。子供を亡くした母親が、死んだはずの子供と出会って幸せに暮らす話――あれのオチ、知ってます?」
母親の幻覚オチですよ。嘲笑うように彼女が吐き捨てる。
「翡翠が演じてた父親役が黒幕かな、なんて考えてたのにがっかりでした。はっきり言ってあれは駄作でしたよ」
確かに駄作、だったのかも知れない。ストーリーはほとんど覚えていなかったし、そんなものは心底どうでも良かった。脳裏に焼き付いているのは、舞台中央で相手役の女性キャストに差し伸べる、迷いと覚悟の救いの手。
「端役の舞台で死ぬなんて、私だったら死にきれない」
確かにそうかも、と差し込んだ光の眩しさに目を細めながら言った。あんな素晴らしい演技をしても、物語の中心は彼ではなかった。舞台の上で死ぬのが本望だ、なんてよく聞くけれど、舞台の端でいざあっさり死んでしまうと釈然としない。不条理小説の方が、まだ納得できるような。そんな理不尽さ。
だんだんと空が晴れていく。僕はこれ以上翡翠の話を広げるつもりはなくて、会話はそこで途切れた。しばらく黙っていた玲が、今度は穏やかな声を発した。
「ねえ、その手帳、少し読ませてもらうことって出来る?」
不自然な会話の繋ぎ方だったけれど、彼女は特に不快感も表さずにすぐ、構いませんよ、と僕にそれを手渡す。途中まで付箋が貼られていて、そこから先は白紙。しおり代わりにマタニティーマークのストラップが挟まっている。もう一度使えそうだな、なんて不謹慎なことを思いながら信号待ちのタイミングで玲に渡した。神妙な顔で受け取って、ぱらぱらと捲る。初めはきちんと読もうとしたのか目線が動いていたけれど、書かれているところの半分を過ぎたあたりから明るい言葉が辛くなったのか、ただ親指の腹で残りのページを急かしていた。
白紙に辿り着いて、ありがとう、と彼女に手帳を返す。ごめんね、と声を出さずに彼が言ったのに気づいて、それを慰めるように恵麻が笑った。
「さっきも言いましたけど、これに関してはもう吹っ切れてるので。私の身体が悪かったわけでもないですし、もちろんその時は悲しかったですけど、キャリアとか考えたらむしろ運がよかったとも取れますから」
非情なふりをして、彼女はそう言い訳した。恵麻が玲から目をそらしたのが見えて、車がまた動き出す。がたんと大きく揺れて、禁足地のように不自然な自然の目的地が見えた。
「お焚き上げって、当日やってもらえるものなの?」
「いえ、ちょっと前にお寺の方に問い合わせていたので、今日預かってもらえるらしいです。実際燃やす日はもっと先になるらしいですけど」
玲から手帳を受け取って、今度は彼女が目を通す。彼女は何度、その手帳を読み返したのだろうか。何もないページも無表情で黙々とめくっていたが、途中、表情が変わった。
「……琥珀」
「え?」
声に惹かれて、身を乗り出して振り返った。彼女の睫毛に、真珠が見えた気がした。
「琥珀、ってつけようと思ってたんです。男の子でも、女の子でも」
彼女が紙面に指を滑らす。緩く口角を上げる。懐かしむような、慈しむような、その表情が翡翠に見えて心臓が跳ねた。
「宝石の名前で揃えるって、素敵じゃないですか」
晴れやかな横顔が髪の隙間から見えた。その凛々しさに見惚れていたら、またカーナビが空気を壊した。駐車場に車を停めて、雲も晴れてきた中三人で歩く。彼女の琥珀色の瞳が雨あがりの空に揺れて、翠の黒髪が風で揺れる。それから目が離せなくなって突っ立っている玲に、若干の呆れを覚えた。
まずは墓地へ向かう。砂利を踏み締め、スニーカー越しに伝わる凸凹がもう懐かしい。萎れた花を生け直して、三人並んで手をあわせる。不運な事故で亡くなった翡翠に思いを馳せながら目を閉じる。猫っ毛で、距離感が近くて、なんでも見通してしまいそうな大きな瞳が一途に向けられる先は、僕、ではない。思い浮かんだ彼の顔はみんなに向けるそれとあまりにも変わらなくて、恋人だけに見せる表情を自分が知らないということが少し、悔しかった。早めに目を開けて、隣の恵麻を横目で見る。白い肌に差す赤い頬に、僕より十五センチほど低い背。こういうのが好きなんだ、なんて小馬鹿にするような心の声が聞こえた。それに耳を塞いで、墓石に彫られた「星野尾家代々之墓」の文字を目でなぞった。
それから手帳を預けて、帰り際に駐車場のすぐ隣の葬儀場から立ち上る煙をぼんやり眺めていた。
「行きましょうか」
恵麻が視線を煙から外す。帰りは私が運転します、と言って運転席に乗り込んだ。三人ともが車に乗った後、すすり泣く人々が視界の端に見えた。何も理解していなさそうな子供が不思議そうに、泣く大人を眺めている。そうして、つられて俯いた。もし彼女の子がもっと早く生まれていたら、ああやって翡翠の死を記憶の端に刻んでいたのだろうか。
助手席に玲、その後ろに僕が座る。つい三十分ほど前までの話題はどこへやら、昼下がりの青天、二人は昼ごはんの話をしていた。寝たふりをして目を閉じる。日光のせいで視界は赤みがかったベージュで、思い浮かぶのは翡翠ばかり。僕が完全に寝てしまったと思ったのか、玲の声が甘く柔くなる。それに呼応するように恵麻の笑い声も増えた。
子を宿したのに、どうして他の男と笑っていられるのだろう。
僕が恵麻だったら母子手帳を捨てたりしないし、桃色のストラップは大切に取っておくし、流産したことは誰にも言わない。吹っ切れた、なんて軽率に使わないし、運が良かったなんて死んでも言わない。注がれた遺伝子をこぼしてしまったのは彼女のせいではないけれど、どうせ落としてしまうのなら、僕に渡して欲しかった。
最悪な三角関係は、翡翠と琥珀の死をもって終止符が打たれた。僕はただ、熱を孕めない下腹部を抑えて、彼が愛した恵麻の幸せと玲の恋愛成就を邪な心で願うことしかできなかった。
雨が打ちつけるフロントガラスを後方で眺めながら恵麻が溢した。友人だった翡翠の墓参りの道中、未だうまく弾まない思い出話が止まった時だった。
「言ってませんでしたっけ」
「……聞いてない」
ハンドルを強く握ったまま、ため息まじりに玲が言う。歪んだ赤信号で踏んだブレーキは乱暴で、半笑いの彼女が少しこわばるのが見えた。
「もう過去のことなんで、ゆるく聞き流してください」
拗ねた子供のようにそっぽを向いて、そう前置いた。水滴に反射した逆さまの自分の顔が揺れだした。
「翡翠との婚約指輪は流石に捨てられないんですけど、もう一つ、忘れたいものがあって。お焚き上げしてもらうつもりで持ってきたんです」
鞄から取り出したのは桃色の手帳。キャラクターがポーズを決めているファンシーな表紙が、コラージュのように車内で浮いていた。
「取っておこうかとも思ったんですけど、このままだと婚期逃しそうですし。来年で三十ですよ?三十。子供を作る気もないですから、思い切って」
三本指を立てて、どこかすっきりとした表情の恵麻と対照に、玲が眉を顰めた。長かった髪をばっさり切った彼女と、翡翠が死んでから髪を伸ばし続けている彼。二年が経った今、髪を一つで結んでいるけれど、また鬱陶しそうに手で払った。車がまた揺れる。僕がいた水滴は地面に溶けて、また強くなった雨が鼓膜を揺らした。
「それは、翡翠の子?」
「もちろん」
そっか、と玲が小さく言う。彼の重い口調とは裏腹に、彼女はごく当たり前の事を話すように軽快に口を開く。やけになっているみたいだった。見苦しい。軽蔑するように鏡ごしに彼女の目を見るけれど、嫌でも視界に入った彼の視線が思っていた数倍優しいもので恥ずかしくなった。
「どうして今まで言わなかったんだよ、何か……してあげられたかもしれなかったのに」
責めるような、震えを抑える強い語気に、綺麗事が似合わない。ひとえにその美辞麗句は彼女に向けた恋心から起因したものであって、それを彼の本性というにはあまりに整いすぎていた。
「ないですよ。そんなこと」
それを見抜いてか見抜いていないのか、彼女は彼を優しく突き放す。一呼吸置いた後、ないです、と念を押すようにまた言った。
「気持ちだけ、受け取っておきますね」
彼が滲ませたその気持ちの重さは、たとえ彼女が存在を知っていたとしても、想像よりずっと重く、長く、拗れたものであることはきっと僕しか知らない。カーナビが能天気に「二百メートル先、右折です」と鳴る。ぐっと体が揺れて、ワイパーが擦れる音がして、そこでようやく、いつの間にか雨が止んでいたことに気がついた。
玲が髪を耳にかけて、口を開こうとする。話題が変わるような気がして、もう少しだけこの暗さの中に居たかった僕は無理やり声を出した。
「……お葬式の日も、雨だったよね」
あの時は止まなかったけれど、と続ける。彼が半開きの唇を閉ざした。
「命日も――舞台の日も雨でしたね。あの時は、お天気雨だったけれど」
僕の話題に寄り添うように、彼女は鏡から逃げるように身を寄せながら言う。ふと玲ごしに外を見ると、小さな劇場がぽつんと立っていた。丁度劇が終わったところなのか、ぞろぞろと人が出ていくのが見える。僕たちもその中の一人だった、それはお話の終わりではなく、照明の落下事故によるキャストの死によって中断されてしまった舞台だったけれど。
「あれ、どんな話だったっけ」
「親子愛と夫婦愛の話です。子供を亡くした母親が、死んだはずの子供と出会って幸せに暮らす話――あれのオチ、知ってます?」
母親の幻覚オチですよ。嘲笑うように彼女が吐き捨てる。
「翡翠が演じてた父親役が黒幕かな、なんて考えてたのにがっかりでした。はっきり言ってあれは駄作でしたよ」
確かに駄作、だったのかも知れない。ストーリーはほとんど覚えていなかったし、そんなものは心底どうでも良かった。脳裏に焼き付いているのは、舞台中央で相手役の女性キャストに差し伸べる、迷いと覚悟の救いの手。
「端役の舞台で死ぬなんて、私だったら死にきれない」
確かにそうかも、と差し込んだ光の眩しさに目を細めながら言った。あんな素晴らしい演技をしても、物語の中心は彼ではなかった。舞台の上で死ぬのが本望だ、なんてよく聞くけれど、舞台の端でいざあっさり死んでしまうと釈然としない。不条理小説の方が、まだ納得できるような。そんな理不尽さ。
だんだんと空が晴れていく。僕はこれ以上翡翠の話を広げるつもりはなくて、会話はそこで途切れた。しばらく黙っていた玲が、今度は穏やかな声を発した。
「ねえ、その手帳、少し読ませてもらうことって出来る?」
不自然な会話の繋ぎ方だったけれど、彼女は特に不快感も表さずにすぐ、構いませんよ、と僕にそれを手渡す。途中まで付箋が貼られていて、そこから先は白紙。しおり代わりにマタニティーマークのストラップが挟まっている。もう一度使えそうだな、なんて不謹慎なことを思いながら信号待ちのタイミングで玲に渡した。神妙な顔で受け取って、ぱらぱらと捲る。初めはきちんと読もうとしたのか目線が動いていたけれど、書かれているところの半分を過ぎたあたりから明るい言葉が辛くなったのか、ただ親指の腹で残りのページを急かしていた。
白紙に辿り着いて、ありがとう、と彼女に手帳を返す。ごめんね、と声を出さずに彼が言ったのに気づいて、それを慰めるように恵麻が笑った。
「さっきも言いましたけど、これに関してはもう吹っ切れてるので。私の身体が悪かったわけでもないですし、もちろんその時は悲しかったですけど、キャリアとか考えたらむしろ運がよかったとも取れますから」
非情なふりをして、彼女はそう言い訳した。恵麻が玲から目をそらしたのが見えて、車がまた動き出す。がたんと大きく揺れて、禁足地のように不自然な自然の目的地が見えた。
「お焚き上げって、当日やってもらえるものなの?」
「いえ、ちょっと前にお寺の方に問い合わせていたので、今日預かってもらえるらしいです。実際燃やす日はもっと先になるらしいですけど」
玲から手帳を受け取って、今度は彼女が目を通す。彼女は何度、その手帳を読み返したのだろうか。何もないページも無表情で黙々とめくっていたが、途中、表情が変わった。
「……琥珀」
「え?」
声に惹かれて、身を乗り出して振り返った。彼女の睫毛に、真珠が見えた気がした。
「琥珀、ってつけようと思ってたんです。男の子でも、女の子でも」
彼女が紙面に指を滑らす。緩く口角を上げる。懐かしむような、慈しむような、その表情が翡翠に見えて心臓が跳ねた。
「宝石の名前で揃えるって、素敵じゃないですか」
晴れやかな横顔が髪の隙間から見えた。その凛々しさに見惚れていたら、またカーナビが空気を壊した。駐車場に車を停めて、雲も晴れてきた中三人で歩く。彼女の琥珀色の瞳が雨あがりの空に揺れて、翠の黒髪が風で揺れる。それから目が離せなくなって突っ立っている玲に、若干の呆れを覚えた。
まずは墓地へ向かう。砂利を踏み締め、スニーカー越しに伝わる凸凹がもう懐かしい。萎れた花を生け直して、三人並んで手をあわせる。不運な事故で亡くなった翡翠に思いを馳せながら目を閉じる。猫っ毛で、距離感が近くて、なんでも見通してしまいそうな大きな瞳が一途に向けられる先は、僕、ではない。思い浮かんだ彼の顔はみんなに向けるそれとあまりにも変わらなくて、恋人だけに見せる表情を自分が知らないということが少し、悔しかった。早めに目を開けて、隣の恵麻を横目で見る。白い肌に差す赤い頬に、僕より十五センチほど低い背。こういうのが好きなんだ、なんて小馬鹿にするような心の声が聞こえた。それに耳を塞いで、墓石に彫られた「星野尾家代々之墓」の文字を目でなぞった。
それから手帳を預けて、帰り際に駐車場のすぐ隣の葬儀場から立ち上る煙をぼんやり眺めていた。
「行きましょうか」
恵麻が視線を煙から外す。帰りは私が運転します、と言って運転席に乗り込んだ。三人ともが車に乗った後、すすり泣く人々が視界の端に見えた。何も理解していなさそうな子供が不思議そうに、泣く大人を眺めている。そうして、つられて俯いた。もし彼女の子がもっと早く生まれていたら、ああやって翡翠の死を記憶の端に刻んでいたのだろうか。
助手席に玲、その後ろに僕が座る。つい三十分ほど前までの話題はどこへやら、昼下がりの青天、二人は昼ごはんの話をしていた。寝たふりをして目を閉じる。日光のせいで視界は赤みがかったベージュで、思い浮かぶのは翡翠ばかり。僕が完全に寝てしまったと思ったのか、玲の声が甘く柔くなる。それに呼応するように恵麻の笑い声も増えた。
子を宿したのに、どうして他の男と笑っていられるのだろう。
僕が恵麻だったら母子手帳を捨てたりしないし、桃色のストラップは大切に取っておくし、流産したことは誰にも言わない。吹っ切れた、なんて軽率に使わないし、運が良かったなんて死んでも言わない。注がれた遺伝子をこぼしてしまったのは彼女のせいではないけれど、どうせ落としてしまうのなら、僕に渡して欲しかった。
最悪な三角関係は、翡翠と琥珀の死をもって終止符が打たれた。僕はただ、熱を孕めない下腹部を抑えて、彼が愛した恵麻の幸せと玲の恋愛成就を邪な心で願うことしかできなかった。
それだけに人称のぶれ(?)てしまっているのが気になりました。