zorozoro - 文芸寄港

機械仕掛けの海賊

2024/04/19 21:36:26
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 ここからは、海がよく見える。境界フェンスの金網の隙間から、夕陽様に調節された全空ライトで照らされた人工の波がきらきらと輝く。それでもなお、私はそれを美しいと感じてしまっていた。最近は作業部屋にこもりきりで、外的な光を感じる機会が少なかった。全空ライトの光を浴びなかったからといって、現代において僕の健康に対する影響は少ないだろう。それでもこんな暮らしをしていると、どうしても息が詰まる。遠い昔の「本物の海」もこんな風景だったのだろうか。聞こえるのは、ただ波が欠けたコンクリートの堤防に打ち寄せる音、そして——
「申し訳ありません、騒音レベルは正常の範囲内ですが、もしマスターが不快に感じる場合は直ちに給電を停止します」
 給電のモーター音に混じってイオの声がコンクリートに反響する。私は構わないよ、と伝えて、再び海に視線を戻す。
「それにしても、こんな辺鄙なところに給電設備があるなんてね。繁華街に出向く手間が省けて助かった」
「検索してみたところ、この辺りにはかつて貿易商の館が建っていたそうです。多くの使役体を抱えていたでしょうから、給電設備もあって然るべきかと」
「なるほどね。金があるのにこんな人けのないところに住むなんて、大層変わり者だな」
「マスターこそ、そんなことを仰る身分ではないのでは」
「あいにく、身分だけはあるんだけどね」
 苦笑しながらイオを振り返ると、フェンスにもたれているイオは果たして笑顔の一つも浮かべていなかった。その彫刻のような顔には、皺ひとつ刻まれていない。
「やっと冗談を言ってくるようになったかと思えば、主人の冗談は無視?」
「申し訳ありません、体内通知ウィンドウがポップアップしていました」
 虚空へと向けられていたイオの目がこちらを一瞥する。
「まったく、つい最近感情表現機構のテストアップデートをしたばかりでしょ。何も知らない人が君を見たら、低グレード体と勘違いされるんじゃないの」
「はい。それでもマスターは私がこの星でも最高峰のグレードの体-ドール-であることを分かってくださっているはずです」
「だったら何」
「私は、それで充分です」
「それってプロポーズ?」
 永遠の愛を誓ってくれるなんて嬉しいなあ、と敢えて古臭い言葉でおどけた。イオは相変わらず表情を変えずに、こちらをじっと見つめている。その人間離れした、しかしやけに有機的なあかるさの瞳を見つめて、そこで私ははたと、この味気ない生活に彩りを添えてくれていたのはイオの美しさだったことに、私は常にイオを「美しい」と感じていたのだということに気づいた。つくづく、見た目だけは素晴らしく造ることができたものだ。間違いなくイオは、私の生涯におけるマスターピースだろう。それはきっと、これからも更新されることはない。
「お言葉ですが、マスター。人間であるマスターと体-ドール-である私が『永遠に一緒にいる』ことは不可能です」
「そういうメタい話はいいから」
「メタ……? この近くで高次元エネルギー反応などは検出されていませんが」
「はいはい」
 また何かの作業に戻ったらしいイオの横顔を見つめた。長い睫毛の先を橙色の光が染める。よく手入れされた漆黒の長い髪が海風にあおられ、イオの額から鼻、口から顎のラインがあらわになる。その惚れ惚れとする稜線をひとしきり眺め、私は恍惚に浸った。
 再び振り返り、海に目を落とす。最後に海を眺めたのは、民間人は立ち入り禁止の砂浜だった。法で規制されているとはいえ、あの頃はまだ金網で囲われていない岸もあったから、侵入は簡単だった。今ではフェンスに隔てられていない海はこの地方には存在しない。それは、人類の安全のためでもあるのだ。
「マスター、そろそろ周辺空気ガスの安全性が低下してきました」
「じゃあ、帰ろっか。……イオは海、もっと見なくていいの」
「はい。給電は97%完了しました」
 イオはゆっくりと立ち上がり、給電ケーブルを引き抜いた。張力を失ったケーブルは、イオの白く柔らかい、それでいて引き締まった――ように誂られた――腹部に吸い込まれていった。
 私はそれを見て、やや安堵した。
 
「珈琲カップどこだっけ」
「私が淹れますので、マスターは座っていてください」
 そう言うイオの手には既にいつもの適当に買った安い珈琲豆が握られていた。『完全人工、無機栽培』という毒々しいピンク色の文字が踊っている。
「いや、それじゃなくて」
 怪訝そうなイオを横目に、まだ開けていないダンボール箱の山へと向かう。
「引越しの時に確実に入れたはずなんだけどな。確かこの辺……あ、あったあった」
 やや色褪せたパウチを手渡すと、イオはそれをしげしげと眺めた。
「随分と古いものですね」
「そ。ヴィンテージだけど、どうせ真空パウチだからまだいけるでしょ」
「お腹を壊しても知りませんよ」
「いいよ今更」
 イオはあっさりと引き下がると、少し背伸びして戸棚からミルを取り出した。私は1人でもやや窮屈な、ダイニングテーブルとも呼べない小ささのテーブルの前に座る。この研究所は、私の作業部屋と風呂場、そしてこの部屋というシンプルなつくりだった。玄関の役割も、リビングやダイニングとしての役割も果たしているので、全てがごちゃごちゃとしていたが、それがかえって今の気分に合っていて、落ち着くような気がした。
「マスターがそこまで拘るなんて、さぞかし美味しい豆なんでしょうね」
「いや、飲んだことないよ」
「え?」
「飲んだことないんだ。今初めて飲む」
 イオはいよいよ困惑した顔で、それでいて慣れた動作で豆を挽く手は止めない。ホーローの青いケトルが湯気を吐きだしはじめると、イオの白く長い指はIHコンロのボタンへと伸びた。
 この研究所を本格的に生活の拠点にしたのはつい二週間ほど前のことだ。元々広さは充分あったし、人間一人が生活するに事足りる設備もあった。それだけの環境が整っている研究所に今まで住んでいなかった理由はといえば、単純に、昔ながらの言葉で言うならワークライフバランスというものだろうか、何となく仕事と私生活の切り分けをした方がいいだろうと思ってのことだった。独り立ちしてすぐの頃住んでいたボロボロのカプセルアパートメントを飛び出して、以前の家に引越したのは五年前のことだった。白いコンクリートの壁が気に入っていた。
 イオと共に暮らし始めてからは半年になる。イオは私が製作した、最先端技術を詰め込んだ体-ドール-だ。数年前は無用の長物扱いされていた体-ドール-も、今では随分と普及したものだ。今では子育てや介護など、さまざまな場面で体-ドール-を見ない日はない。その開発者である私の、細々と暮らしていく予定の人生計画はあっけなく崩れ去り、ここ数年で比較的まとまった財産と、この社会における名誉とされている上級市民勲章を手にしてしまった。本来なら上級市民には専用の居住区画が設定されているため、こんな掘立て小屋のような研究所に住む必要もない。ただ私は、自分の一挙一動が常に人々の耳目に晒される生活に些かうんざりしていたのだ。
「どうぞ」
 やや鈍い音を立てて、雑然としたテーブルにはそぐわない、素朴なオフホワイトのマグカップが置かれる。いつも飲んでいるものとは全く違う、廃油のように黒々とした液体に一瞬怯んだが、ほどなくしてその液体から漂うなんとも言えない芳醇な香りに気付き、意を決して口に運んだ。
「いただきまーす……うわ」
 あまりの苦さに顔を顰めた私を、イオは不安げに見つめた。
「大丈夫ですか、マスター? 何かあればレスキューを呼びますが——」
「いや、大丈夫大丈夫。ちょっと、苦すぎて」
 イオも飲む? と差し出すと、ややあってから、イオはおずおずとカップを受け取った。神妙な顔で珈琲を口に含み、少しだけ顔を綻ばせた。
「美味しいです」
「まじ? すごいね、私もうブラックはギブかも」
 そう言うと目の前にポーションと糖液が差し出され、私はそれをありがたくどばどばと投入した。液体が見慣れた薄い色になってから再び飲むと、意外にも苦味が心地いい。甘党の私はそれでも薬のような焦げのような苦さを飲み下すのに苦労したが、せっかく淹れてくれたイオにも悪いので、粛々と飲み進めた。
「……あいつ、こんなの毎日飲んでたのか」
「何か言いましたか、マスター?」
「いや、なんでも」
 その後も嬉しそうに珈琲を飲むイオを、私は直視できなかった。聞くまでもなく、彼女と全く同じつくりをしたイオが、ヴィンテージのブラックコーヒーを好むのは至極当たり前のことなのだが、もうそのことについて考えたくはなかった。
「ごめん、まだ作業あるから部屋戻るね」
「かしこまりました、マスター。おやすみなさい」
「……うん、おやすみ」

 私は深呼吸をしながら、後ろ手でドアを閉めた。一緒に過ごせば過ごすほど、イオが彼女そのものに思えてきてしまう。
 仰々しいモニターや機材の前に設計図や鉛筆が乱雑に放置された研究室の作業台を、温かみのないライトが白白と照らしている。クッションが半分飛び出した椅子に腰掛けると、ギィと今にも壊れそうな音がした。
 体-ドール-は、表向きには、現在第9モデルまで開発されている。イオは、まだ市場に出回っていない、秘密裏の最新モデルだった。既存モデルとイオの一番の違いは、「実在する人間のコピー」として作られているという点だ。第9モデルまでの間に、体-ドール-は本物の人間と見分けがつかないほどの感情表現を手に入れた。豊かな表情はもちろんのこと、人工知能の演算に基づき汗すらかいてみせる。イオはその更に上を行くテストモデルとして、既存の人格を基に自律的な思考・情動を備えたモデルとなる予定だった。「だった」というより、実際、そうなっている。イオはぱっと見ただけでは本物の人間と区別がつかないほど自然な振る舞いをしていた。問題は、インストールした人格がそもそもあまり感情的ではないことだった。
 かつて私と一緒に研究をしていた、イオの人格の元となっている人間は、今ごろこの星が誇る要塞のような独房の中だ。海に侵入するというのはそれだけ重い罪だった。私たちが生まれるよりも前から、沿岸部への立ち入り、ましてや海を構成する液体に触れることは固く禁じられている。それは政治的な理由もあるだろうが、何より人体にとって有害だからだ。もっとも、まともな感覚を持つ人間なら、強烈な薬品臭を放つ海を眺めはすれど大昔のように遊泳しようなどとは夢にも思わないだろう。

 彼女は昔から、やたらと海に執着していた。現代ではありえない「海水浴」という習慣について力説し、私がどんなに止めてもやめなかった。作業が行き詰まると彼女は決まって海を見に行って、その頃になると私は別段追いかけることもしなかった。あの夜以外は。
 その日、私たちは些細なことから口論になった。本格的に商業流通を始めた体-ドール-の処遇について、彼女と私の意見は食い違っていた。あくまでも体-ドール-は自分たち二人の財産であるべきで、開かれた技術であるべきだというのが彼女の口癖だった。
 いつの口論も、彼女にとっては些細なことなどではなかったのだ。彼女の自由な精神を窮屈な枠組みに閉じ込めて、彼女を追いつめていったのは他でもない私自身だった。そのことに気付いて尚、私は追憶すら欺瞞で塗り固めるのか。
「結局どこにも、あたしが自由に生きられる場所はないんだ」
 その言葉が最後だった。

 気付くと私は肩で息をしていた。呼吸がうまく継げない。今日はもう仕事にならないだろう。浅くゆっくりと息を吸い込むと、冷たい空気がじわじわと肺を刺す。なんとか整うのを待って、作業中という体裁を辛うじて保っていた右手の製図ペンを置いた。
 この閉塞的な星においても、囚人と面会する権利くらいは保障されている。しかしながら、有毒の海に長時間浸かっていた元相棒はとても面会に応じることができるような状態ではなかった。
 あの時の光景は、今でも鮮明に思い出せる。暗い、冷えた夜の海を黙って突き進む彼女の背中。じっとりと彼女の体に張り付く、波に揉まれた長い黒髪。聳え立つ湾岸ビルの尖った切っ先。けたたましい警報とサーチライト。臆病で卑怯な私は、その一部始終を、ただ立ち尽くしたまま見ていることしかできなかった。
「……イオ、イオリ」
 もう夢の中でしか彼女の名を呼べない。

 ふと目が覚めると、私は作業台に突っ伏したまま眠ってしまっていたようだった。肩にはブランケットが掛かっていた。恐らくイオが様子を見に来た際に掛けてくれたのだろう。
「おはよう」
 一応挨拶を発しながら居間に入ったものの、そこにイオはいなかった。嫌な予感がした。

「マスター」
 昨日と同じ海辺のフェンスにイオは立っていた。昨日と違うのは、給電もせずにただじっと海を見つめていることだ。私達の間を、湿った質量をもった風が吹き抜ける。イオの髪は意志ある生物のようにうねり、イオの表情を隠した。
「なんで? ……なんて、君に聞いても仕方ないよね、ほんとにさ。でも、」
 昨日はあんなに興味なさそうにしてたのに、と、残りの言葉をやっとのことで絞り出す。
「何故でしょうね。自分でも分からないんです。どうしてもここに来たいと思ってしまったから」
 イオはこちらを見ていない。イオの目は、ただ海を見つめている。
「私、向こう側へ行ってみたいです。……そうすれば、マスターが何故時折悲しそうな顔をするのか、わかる気がします」
 辺りに機械音が響く。イオは、レーザーで金網を切断しようとしていた。
「イオ、イオ!」
 呼びかけてもイオは振り向かない。
「問題ありません、マスター。私は体-ドール-ですから。人間であるマスターと違ってダメージは受けません」
 私はイオの首に手を伸ばし、力いっぱい強制終了ボタンを押した。瞬間、イオは動きを停止したのち、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「どうして」
 私は呆然とイオを抱きかかえたまま、うずくまっていた。どのくらいそうしていたのだろうか、まるで昼寝している幼子のように安穏とした顔に手を伸ばし、頬を撫でた。見慣れた寝顔だ、と思って、「イオの寝顔」を見るのは初めてだったことに気付いた。イオはまだ、人肌の温かさをかすかに持っている。空は白みはじめていた。
「どうして君はいつもそうなんだよ。……イオ」
 ただ波の音だけが聞こえていた。


「いやはや、博士直々に最新式の体-ドール-をお譲りいただけるとは」
 赤ら顔の政治家は、ひどく上機嫌な様子だった。新しいもの好きで有名な人間が、最先端の技術を駆使した製品を手に入れられるのだから道理である。
「はは、最新式といっても大したものじゃありませんよ」
「でも、第10モデルでしょう」
 政治家はでっぷりとした顎を撫でながら、イオ、もとい体-ドール-第10モデルに目を落とした。
「機能としては既存モデルとなんら変わりません。追加機能などもありません。見た目に個体差をつけるようになったぐらいですかね」
「そう言われれば、誰かに似ている気もしますな」
 政治家の視線がイオの体表面を不躾に舐める。私は嫌悪感を極力出さないように努めながら微笑を浮かべた。ここ数年で私も随分と社会性が身についたものだ。あいつが、イオリが見ていたらなんと言うだろうか。
「特定のモデルは定めていませんよ。皆さんが家族の一員として迎えやすいようにね」
「ハッハッハ、そこまで言うなら名前でもつけないとな。博士はなんと呼んでいたんです?」
「そうですね、第10世代なので、まあ適当に『イオ』と呼んでいました」

 政治家を見送り、私は珈琲ミルに手を伸ばした。戸棚を開けると、ヴィンテージの豆といつもの豆の袋が落ちてきた。
 私は一瞬逡巡して、いつもの豆を手に取った。
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コメント



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1.100v狐々削除
素晴らしかったです。ドールになってさえイオリを思い通りに出来なかった主人公の苛立ちと、同じようなものを読者である私も感じることができた気がします。このラストはそういうことだと思うのです。主人公がイオリに向ける感情からは、欲望や執着のようなものを感じます。これらはあまり健全なものとは思えない感情です。一方、主人公はイオリから向けられている感情について言及しません。主人公には欠陥があり、そうしたものを気にかけることが出来ずにいたのではないか。イオの行動からして、イオリは主人公のことを悪く思っていたとは思えないのです。何か別の、上手くいった世界があるのではないかと夢想せずにはいられません。
2.70名も無き文芸生削除
世界観を描写で映してくれるともう少し見えやすくなると思いました。視点訳の気持ちが絵より先走っている所も同様な感じがします。
こんなにも思い入れのあるドールが最後生活の中に降ろされてしまうのがちょっと悲しい。
3.90インマヌエル削除
地の文では少々唐突に感じる部分は多いものの、会話の自然さはものすごく好きです。
4.90べに削除
ガラテアの話を思い出しました。世界観の説明を、ドール絡みじゃないところにももう少し増やして欲しいなと思います。素敵な話でした。