俺は犯罪者だ。そんなことはわかりきっている。正直どうだっていい。
それは高校三年の夏休みを目前に控えた、薄雲が混じる澄んだ青空がどこまでも自由で、自分はどこまでもちっぽけだと気付かされた日のことだった。俺は校舎の屋上の角で、フェンスを背もたれにしてその空を眺めていた。
遠くで建て付けが微妙に悪い鉄のドアが開く音が聞こえた。
「あ、やっぱいた」
音がする方向を見遣ると、ショートボブの黒髪が似合うゆかりが、屋上と四階へ続く階段を隔てるドアを開けてひょっこりと顔を出していた。彼女はそのまま俺の元に近づいて、どさっと学校用のリュックを置いた。夏休み前の小学生の荷物に匹敵しそうな重さを感じさせる音だった。気崩した制服をパタパタと仰いでいるのが妙に艶かしい。
「ねえ聞いた? 最近学校の近くに通り魔が出たって」
「え? 何それ」
ゆかりはこんな風に学校であった噂話を俺に持ってくる。彼女が楽しそうに話しているのを尻目にかけながら、俺は紙パックのいちごオレを飲んでいる。実のところ、紙パックの容器はすでに空っぽで、ストローで吸う意味はない。
「タイムマシンができたらさ、何がしたい?」
ゆかりが突飛な質問をしてきた。俺は理系科目にはできるだけ目を逸らしていたい文系だから、興味はなかった。
「んー……俺は何も」
「えー? あの頃に戻りたいって言ってたことあったじゃん」
過去に俺は実際にそう言っていたのかもしれない。数学のテストで赤点を取った時や、ゆかりと出かける約束の時間に寝坊した時、本当に時間が巻き戻って欲しいと願った覚えがる。だけど、
「いや、俺はもう過去を振り返らない。そう決めたんだ」
俺は、一度口に出した言葉を再度飲み込むのが癪だったため、虚勢を張った。
「うわぁ、なんか『漢ッ!』って感じでかっこいいね」
ゆかりは、そんな情けない意地を張っている俺に気づかずに笑ってくれた。
「そういうお前はどうなんだよ」
「うーん、もう一回ぐらい君との学校生活をやり直したいかな?」
俺は「何だよそれ」といつも通り笑ったが、思わずいちごオレをストローで吸った。
屋上で駄弁る時間はすぐに過ぎていき、ゆかりは塾へ行ってしまった。俺と違って頭が良い。俺は彼女が校門を出る姿を見届けながら、本当にタイムマシンを作ってしまうんじゃないかと思った。
俺も、もう一度やり直そうと、機器を取り出した。
「動かないで、時空警察です。時空法違反で現行犯逮捕します」
場違いな警官の制服をきっちり着こなした人たちが、俺に掴みかかってきた。まだ時間は稼げると思っていたのに、もうここまで辿り着いたか。意識下の時空の特定が早い。
「離してくれ! 俺は時間を遡行しただけで、まだパラドックスも起こしちゃいないぞ!」
フェンスに身体を押し付けられ、後ろ手で手錠をかけられた。
「パラドックスが起こる前に貴方を回収するんです。大人しくしてください、博士!」
俺がここで足掻いて叫ぼうとしても、何も知らない人たちには気づかれず、助けが来ることはない。タイムパラドックスを引き起こさないよう穏便に対処する方法を心得ている。流石は時空警察と言ったところか。
ゆかり、ごめん。「過去を振り返らない」なんて嘘を吐いて。本当の俺は過去に縋り付いてしまう情けない奴なんだ。漢を名乗る資格なんてあるはずがないのは頭では分かっている。
もう彼女に会えなくなる。澄み渡る青空も見られなくなる。いちごオレの甘さを味わえなくなる。俺の生きる理由が無くなってしまう。本当の時間で得た名誉も財産も要らない、全て捨てる代わりに、俺をずっとこの時間に居させてくれないだろうか。
ゆかりはたった今、人通りが少ない通学路に面した校門を出て、そのまま左へ向いて歩いて行った。少し遅れて、校門の右側から全身を黒い衣服で纏う人物がいた。その人物の右手には、刃渡りが長いナイフが青空に反射して眩しく光っていて。
それから——
それは高校三年の夏休みを目前に控えた、薄雲が混じる澄んだ青空がどこまでも自由で、自分はどこまでもちっぽけだと気付かされた日のことだった。俺は校舎の屋上の角で、フェンスを背もたれにしてその空を眺めていた。
遠くで建て付けが微妙に悪い鉄のドアが開く音が聞こえた。
「あ、やっぱいた」
音がする方向を見遣ると、ショートボブの黒髪が似合うゆかりが、屋上と四階へ続く階段を隔てるドアを開けてひょっこりと顔を出していた。彼女はそのまま俺の元に近づいて、どさっと学校用のリュックを置いた。夏休み前の小学生の荷物に匹敵しそうな重さを感じさせる音だった。気崩した制服をパタパタと仰いでいるのが妙に艶かしい。
「ねえ聞いた? 最近学校の近くに通り魔が出たって」
「え? 何それ」
ゆかりはこんな風に学校であった噂話を俺に持ってくる。彼女が楽しそうに話しているのを尻目にかけながら、俺は紙パックのいちごオレを飲んでいる。実のところ、紙パックの容器はすでに空っぽで、ストローで吸う意味はない。
「タイムマシンができたらさ、何がしたい?」
ゆかりが突飛な質問をしてきた。俺は理系科目にはできるだけ目を逸らしていたい文系だから、興味はなかった。
「んー……俺は何も」
「えー? あの頃に戻りたいって言ってたことあったじゃん」
過去に俺は実際にそう言っていたのかもしれない。数学のテストで赤点を取った時や、ゆかりと出かける約束の時間に寝坊した時、本当に時間が巻き戻って欲しいと願った覚えがる。だけど、
「いや、俺はもう過去を振り返らない。そう決めたんだ」
俺は、一度口に出した言葉を再度飲み込むのが癪だったため、虚勢を張った。
「うわぁ、なんか『漢ッ!』って感じでかっこいいね」
ゆかりは、そんな情けない意地を張っている俺に気づかずに笑ってくれた。
「そういうお前はどうなんだよ」
「うーん、もう一回ぐらい君との学校生活をやり直したいかな?」
俺は「何だよそれ」といつも通り笑ったが、思わずいちごオレをストローで吸った。
屋上で駄弁る時間はすぐに過ぎていき、ゆかりは塾へ行ってしまった。俺と違って頭が良い。俺は彼女が校門を出る姿を見届けながら、本当にタイムマシンを作ってしまうんじゃないかと思った。
俺も、もう一度やり直そうと、機器を取り出した。
「動かないで、時空警察です。時空法違反で現行犯逮捕します」
場違いな警官の制服をきっちり着こなした人たちが、俺に掴みかかってきた。まだ時間は稼げると思っていたのに、もうここまで辿り着いたか。意識下の時空の特定が早い。
「離してくれ! 俺は時間を遡行しただけで、まだパラドックスも起こしちゃいないぞ!」
フェンスに身体を押し付けられ、後ろ手で手錠をかけられた。
「パラドックスが起こる前に貴方を回収するんです。大人しくしてください、博士!」
俺がここで足掻いて叫ぼうとしても、何も知らない人たちには気づかれず、助けが来ることはない。タイムパラドックスを引き起こさないよう穏便に対処する方法を心得ている。流石は時空警察と言ったところか。
ゆかり、ごめん。「過去を振り返らない」なんて嘘を吐いて。本当の俺は過去に縋り付いてしまう情けない奴なんだ。漢を名乗る資格なんてあるはずがないのは頭では分かっている。
もう彼女に会えなくなる。澄み渡る青空も見られなくなる。いちごオレの甘さを味わえなくなる。俺の生きる理由が無くなってしまう。本当の時間で得た名誉も財産も要らない、全て捨てる代わりに、俺をずっとこの時間に居させてくれないだろうか。
ゆかりはたった今、人通りが少ない通学路に面した校門を出て、そのまま左へ向いて歩いて行った。少し遅れて、校門の右側から全身を黒い衣服で纏う人物がいた。その人物の右手には、刃渡りが長いナイフが青空に反射して眩しく光っていて。
それから——