「……俺さ、弟死んでて」
躊躇って、それから、俺は絞り出すようにして言った。吉祥寺大通りから見える夜空には、細い月の光に紛れ冬の星座が瞬いている。
「そうだったの……。訊いちゃって、ごめん」
彼女は頭を垂れた。つい先ほどまでの稽古で彼女は演出に、もう少し演技に、死へのリアルさがほしいと言われていたのだ。
「いや、全然いいよ。言ってなかっただけだし」
彼女は静かに頷いた。温かい色合いの街灯に照らされ、長い睫毛が頬に美しい影を落としている。
「元々南三陸に住んでて、東日本のアレで被災してさ。濁流の中で、手を、離しちゃって、それで」
左手に感触が甦る。何度も押し寄せる灰褐色にうねる水の中で、かじかんだ小さな手はするりと抜けていった。波が引いたあと、左手の中には、もう、何も、なかった。
「今回役者をやろうと思ったのも、本当はそこからなんだ」
神妙な表情の彼女を前に、俺は努めて明るく言った。
「俺が手を離したから、弟は死んだ。仕方ないとかそういうんじゃなくて、ただ事実として。そのことに俺は、夢を叶えるとか誰かに愛し愛されるとか、そういう資格がないっつーか、なんか後ろめたさがあってさ」
二人の靴が一定のリズムを奏でている。沈黙が、優しい。
「でも、役を与えられて何かを演じていれば違うかなって。きっと俺は俺じゃない、フィクションになれるかなって、そう思ったんだ。けどやっぱり、ふとしたときどこか違うような気もする。逃げなのかなって」
声とともに出る息が白かった。北口のイルミネーションは眩しいほど青く光っている。
「私さ、上京して四年だけど、やっぱたまにどうしようもなく寂しくなるんだよね。でもそういうとき、このあたりに、みんながいる気がするの」
彼女は胸の下あたりを押さえて言った。俺も真似して手を胸の下へと当てる。
「そうそう、きっといるよ、そのあたりに。弟さんも南三陸も。少し、違うかもしれないけど」
彼女の美しい微笑みが、目に沁みた。
「あそこに見えるのが、太陽系よ。……本当に、帰るのね」
小さな劇場で彼女の声が響く。
「ああ。死んだこの星の皆や仲間たちのためにも。俺はもうこれ以上、この星にいてはいけない」
ステージの宇宙船に乗り込む。観客の息を呑む声が聞こえそうだった。
「君のことは、忘れないさ」
「ええ、私も。貴方のことは、決して、忘れない」
迫真の眼差しで見つめる彼女が、舞台袖へ捌けていく。
「ああ、俺は最っ低だ。君に好かれてしまった」
徐々にライトが暗くなり、やがて完全に暗転すると盛大に拍手が鳴った。演じ切ったことへの恍惚感が、全身を包んでいた。
鳴り止まぬ拍手のなか、ふと、胸の下のあたりへと手をやった。ここに弟がいるのかは分からない。けれどそこから、何か温かな感覚が確かにじんと広がっていくような気がした。
南三陸の景色と、弟の顔を思い返す。優しく温かなそれらは、しかし、やがて灯ったスポットライトの光の中へと淡く溶けていった。
躊躇って、それから、俺は絞り出すようにして言った。吉祥寺大通りから見える夜空には、細い月の光に紛れ冬の星座が瞬いている。
「そうだったの……。訊いちゃって、ごめん」
彼女は頭を垂れた。つい先ほどまでの稽古で彼女は演出に、もう少し演技に、死へのリアルさがほしいと言われていたのだ。
「いや、全然いいよ。言ってなかっただけだし」
彼女は静かに頷いた。温かい色合いの街灯に照らされ、長い睫毛が頬に美しい影を落としている。
「元々南三陸に住んでて、東日本のアレで被災してさ。濁流の中で、手を、離しちゃって、それで」
左手に感触が甦る。何度も押し寄せる灰褐色にうねる水の中で、かじかんだ小さな手はするりと抜けていった。波が引いたあと、左手の中には、もう、何も、なかった。
「今回役者をやろうと思ったのも、本当はそこからなんだ」
神妙な表情の彼女を前に、俺は努めて明るく言った。
「俺が手を離したから、弟は死んだ。仕方ないとかそういうんじゃなくて、ただ事実として。そのことに俺は、夢を叶えるとか誰かに愛し愛されるとか、そういう資格がないっつーか、なんか後ろめたさがあってさ」
二人の靴が一定のリズムを奏でている。沈黙が、優しい。
「でも、役を与えられて何かを演じていれば違うかなって。きっと俺は俺じゃない、フィクションになれるかなって、そう思ったんだ。けどやっぱり、ふとしたときどこか違うような気もする。逃げなのかなって」
声とともに出る息が白かった。北口のイルミネーションは眩しいほど青く光っている。
「私さ、上京して四年だけど、やっぱたまにどうしようもなく寂しくなるんだよね。でもそういうとき、このあたりに、みんながいる気がするの」
彼女は胸の下あたりを押さえて言った。俺も真似して手を胸の下へと当てる。
「そうそう、きっといるよ、そのあたりに。弟さんも南三陸も。少し、違うかもしれないけど」
彼女の美しい微笑みが、目に沁みた。
「あそこに見えるのが、太陽系よ。……本当に、帰るのね」
小さな劇場で彼女の声が響く。
「ああ。死んだこの星の皆や仲間たちのためにも。俺はもうこれ以上、この星にいてはいけない」
ステージの宇宙船に乗り込む。観客の息を呑む声が聞こえそうだった。
「君のことは、忘れないさ」
「ええ、私も。貴方のことは、決して、忘れない」
迫真の眼差しで見つめる彼女が、舞台袖へ捌けていく。
「ああ、俺は最っ低だ。君に好かれてしまった」
徐々にライトが暗くなり、やがて完全に暗転すると盛大に拍手が鳴った。演じ切ったことへの恍惚感が、全身を包んでいた。
鳴り止まぬ拍手のなか、ふと、胸の下のあたりへと手をやった。ここに弟がいるのかは分からない。けれどそこから、何か温かな感覚が確かにじんと広がっていくような気がした。
南三陸の景色と、弟の顔を思い返す。優しく温かなそれらは、しかし、やがて灯ったスポットライトの光の中へと淡く溶けていった。