zorozoro - 文芸寄港

運命の相棒

2024/04/18 18:20:18
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 音楽理論室の少し建て付けの悪い扉を音を立てて開け、さして大きくない部屋の中央に座する君を撫でる。
「よぉ、スタちゃん。元気してた?」
 艶やかな黒が汚れてしまわないように気をつけて屋根を上げて、君の音がよく響くようにした。君の奏でる音は、余韻さえも美しいんだから。
「さぁて、調子はどうだい? スタちゃん」
 椅子の高さを少し下げて、鍵盤蓋を開ける。蓋の裏に書かれた君の名前は今日も美しく輝いている。
 鍵盤に指を添えて、君と心をひとつにする。最初はもちろん『運命』だ。
 沈み込む鍵盤の重み、室内に響く低音。
「さっすが、調子いいねぇ!」
 全身に響き渡る気品溢れる音楽。『運命』が素晴らしい楽曲であることはもちろん、俺のスタちゃんが奏でる音の美しさも相まって『運命』はより良いものとなる。
 俺の相棒、この高校の音楽理論室の住人スタちゃん。正式名称はスタインウェイ。世界三大ピアノに選ばれているうちの一つだ。
 俺が、音楽科があることを理由にこの県立高校に入学した四年前、スタちゃんと運命の出会いを果たした。
 スタちゃんは俺が高校生になる十年以上前からこの学校にいたけれど、先生も生徒もこの子を弾きたがらない。スタインウェイはこの学校にスタちゃんを含めて三台あるが、スタちゃんだけが何故か、誰の手にも馴染まなかった。このスタインウェイを弾くと手が妙に冷たくなる、なんて噂が流れてとうとう誰も寄り付かなくなった頃に、俺がここに来たわけだ。不思議なことに、スタちゃんに触れても俺の手は冷えるどころか温もりを感じた。指先から温まって、いつもよりずっとなめらかに動く。スタちゃんが俺を選んでくれたのだと、スタちゃんを伸び伸びと弾く俺を不思議そうに見る友人たちが噂していた。
 その日から、誰のものでもなかったスタちゃんを自分の相棒にして毎日ここで弾いた。おかしなほど馴染むこの子とずっと時間を共にしていたから、慣れないコンクールのピアノで少し苦労した日はもうセピアに染まっている。
 あれから四年、俺はもう大学生だ。今でも月に一度来校証を引っさげてここに来てはスタちゃんを弾きに来たけど、来月からはそれが叶わない。君に、会えなくなってしまう。
「スタちゃん、ほんととんでもねぇことしてくれたよな。もう俺君以外じゃ満足できねぇんだよ?」
 君に好かれてしまったせいだ。
 恨み言のような言葉が心に沈む。
 なのに、君は俺から離れていってしまう。
 俺がこの学校を卒業してから、スタちゃんを弾く人は校内にいなくなった。使われないピアノを維持し続けることを問題視した学校が、二週間前遂にスタちゃんの廃棄を決定したと音楽科の先生が気を利かせて俺に連絡してくれた。だから最後に、ここで君を弾くことにしたんだ。
「俺も、来月からハンガリーに行くんだ。向こうの大学に編入して、そのまんま向こうでピアニスト目指す。だからさ、スタちゃん」
 親も先生も、ずっと勧めてくれていた。それでも俺の足を日本にとどまらせたのは君で、その君ももういなくなってしまう。
「まだいたのね、鈴木」
「誰だ……あ、佐々野せんせー」
 俺とスタちゃんの時間を切り裂くドアの音にそちらを睨むが、見えた姿に苛立ちは一気に収まった。
 俺が高校時代の三年間世話になった、音楽科ピアノ専攻担当の佐々野舞香先生。低身長だがキツめのメイクと気迫のある声で彼女にナメてかかる音楽科の生徒は一人もいない。
「最後の時間は有意義に過ごせた?」
「ええ、相変わらずスタちゃんは最高です」
「私にもその感覚がわかったらよかったのに」
 悔しそうに言う佐々野先生に、心の中で優越感が膨らむ。スタちゃんは今でも俺の、俺だけの相棒なのだと。
 だから、相棒の危機は必ず助けてやらなければならない。
 佐々野先生の言葉をじっと見つめて待つと、怖いからその目やめなさいと文句を食らった。
「廃棄の決定は変えられなけど……許可、取れたわよ」
 佐々野先生が小脇に抱えていた封筒の中身を開き、一枚の書類を取り出す。それは、スタちゃんの譲渡を示す証明書だ。
 心が沸き立つというのは、こういうことか。まるで、初めてスタちゃんで『運命』を弾いた時のように全身が震えて目頭が少し熱くなる。
「スタちゃん、俺と一緒に生きようぜ」
 プロポーズみたいね、なんて佐々野先生は苦笑するけど言ってしまえば同じようなものだ。
 俺は一生音楽で生きていくと、ハンガリー行きを決めた日に心に誓った。その時、隣にいるのはどんな綺麗な人より可愛い人より、スタちゃんがいい。
「全部、君に好かれてしまったせいだ」
 恨み言なんかじゃない。ただ、それが俺の人生で何より嬉しいのさ。
春告紗雪(はるつげさゆき)と申します。よろしくお願いします。
選抜課題とタグ付けさせていただきましたが、実際には選抜課題の元となった1800字ほどの小説を投稿させていただきました。誤解させてしまったらごめんなさい……
春告紗雪
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コメント



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1.100かぱぴー削除
心情描写と情景描写のバランスが上手い!楽器に条件を与えることで、主人公との特別な関係へと綺麗に持っていく構成もよかった。綺麗に1200字で収まる構成なのもすごい。
2.90べに削除
ああ…これは通るなって思いました。
3.80削除
君に好かれてしまった「せいだ」の使い方がいいと思った。
4.90鬼氏削除
ピアノを弾くシーンがもっと見たかったです。
面白かった。
5.80HandCuff削除
「君に好かれてしまった」という表現があるべくしてあるような、そんな描写ができていて素晴らしいと思いました。