竜は夜空を飛びながら、大きく黒い鉤爪で、王室で使われる豪華なベッドを掴んでいた。そのベッドには他でもない、サンダーバード王国の若き国王が、ブランケットごと麻縄で縛り付けられている。
「ロレックス、城へ戻ってくれ」
「強引な手段へ出たことは申し訳ないです。しかし、それは出来ません、我が王よ」
「責務を果たさねばならぬのだ」
「出来ません」
王の頼みを、竜は頑なに拒否した。城からはみるみるうちに遠ざかっていく。
「頼む……」
「その頼みが、私に民を焼けというのならば、ええ、構いませんとも。隣国に唆され反乱を起こすような民など、その隣国と一緒に鏖にしたって構わない。私はあなたの為ならば、御伽話のような悪竜にもなりましょう。ですが、あろうことか、あなたは! 命を捨てようとしている!」
「王の責務だ」
「あなたはもう、王ではありません、セラクロム……」
竜は王の名を呼んだ。それを聞いた王は、最後に名で呼ばれたのは幾年ぶりだろうと思い返していた──
私が冠を手にしたのは、家族がみな病で死んだ十四歳の時だった。戴冠式の前夜、責任に怯える私に向けて、君はこう言った。「全てを捨てて逃げ出したくなったときは言ってください。私は王国ではなく、セラクロム、貴方に仕える竜なのですから」と。私は、何故そこまでする」と言ったよ。涙で腫らした顔でな。すると君は、とても優しい表情をして言った、「好きでやっていることです」と……。
いつの間にか、王の表情は切羽詰まったものではなくなっていた。
「ローラ、久しぶりに背に乗せてはくれないか」
王は竜の名を呼んだ。ロレックスとは、戴冠の際に王が与えた名であった。
「冷えますよ」
「そなたの体は温かいだろう、大丈夫だ」
竜は速度を緩め、手ごろな平野へ降り立つと、ベッドの縄を解いた。伸びをする主君を前にして、竜は今更ながら独断行動への罪悪感を覚え、気まずそうに目を逸らす。そんな心境を知ってか知らずか、王は竜の首筋を撫でながら語りかけた。
「竜の姿をした君を見るのは久しいな」
「そうですね、そうかもしれません。暑苦しいですか?」
「いいや、しなやかで美しいよ」
竜は恥ずかしそうにしながら頭を下げ。王を柔らかな毛の生えた後ろ首に掴ませた。本来は竜の急所である部位だが、ローラはそこに感じる重量に頬を緩ませた。
ふたりは再び、夜空へ飛び立った。
「我が命など、国のために捨てるものだと思っていた。それが父の……意思を継ぐということだと思ったからだ」
「……あなたの父上は国の事を一番に考えていました」
「でも今は、生きたいと願ってしまっている。君のせいだよローラ、王がこんな、我儘な願いを持ってしまうなんて」
「私のせいですか?」
「ああ、君に好かれてしまったから」
大きな雲の下を抜けると、月星が顔を出し、辺り一面に広がる白菫の花畑を照らし出した。
それは、セラクロムにとっては初めてとなる、国外の景色であった。
「ロレックス、城へ戻ってくれ」
「強引な手段へ出たことは申し訳ないです。しかし、それは出来ません、我が王よ」
「責務を果たさねばならぬのだ」
「出来ません」
王の頼みを、竜は頑なに拒否した。城からはみるみるうちに遠ざかっていく。
「頼む……」
「その頼みが、私に民を焼けというのならば、ええ、構いませんとも。隣国に唆され反乱を起こすような民など、その隣国と一緒に鏖にしたって構わない。私はあなたの為ならば、御伽話のような悪竜にもなりましょう。ですが、あろうことか、あなたは! 命を捨てようとしている!」
「王の責務だ」
「あなたはもう、王ではありません、セラクロム……」
竜は王の名を呼んだ。それを聞いた王は、最後に名で呼ばれたのは幾年ぶりだろうと思い返していた──
私が冠を手にしたのは、家族がみな病で死んだ十四歳の時だった。戴冠式の前夜、責任に怯える私に向けて、君はこう言った。「全てを捨てて逃げ出したくなったときは言ってください。私は王国ではなく、セラクロム、貴方に仕える竜なのですから」と。私は、何故そこまでする」と言ったよ。涙で腫らした顔でな。すると君は、とても優しい表情をして言った、「好きでやっていることです」と……。
いつの間にか、王の表情は切羽詰まったものではなくなっていた。
「ローラ、久しぶりに背に乗せてはくれないか」
王は竜の名を呼んだ。ロレックスとは、戴冠の際に王が与えた名であった。
「冷えますよ」
「そなたの体は温かいだろう、大丈夫だ」
竜は速度を緩め、手ごろな平野へ降り立つと、ベッドの縄を解いた。伸びをする主君を前にして、竜は今更ながら独断行動への罪悪感を覚え、気まずそうに目を逸らす。そんな心境を知ってか知らずか、王は竜の首筋を撫でながら語りかけた。
「竜の姿をした君を見るのは久しいな」
「そうですね、そうかもしれません。暑苦しいですか?」
「いいや、しなやかで美しいよ」
竜は恥ずかしそうにしながら頭を下げ。王を柔らかな毛の生えた後ろ首に掴ませた。本来は竜の急所である部位だが、ローラはそこに感じる重量に頬を緩ませた。
ふたりは再び、夜空へ飛び立った。
「我が命など、国のために捨てるものだと思っていた。それが父の……意思を継ぐということだと思ったからだ」
「……あなたの父上は国の事を一番に考えていました」
「でも今は、生きたいと願ってしまっている。君のせいだよローラ、王がこんな、我儘な願いを持ってしまうなんて」
「私のせいですか?」
「ああ、君に好かれてしまったから」
大きな雲の下を抜けると、月星が顔を出し、辺り一面に広がる白菫の花畑を照らし出した。
それは、セラクロムにとっては初めてとなる、国外の景色であった。