あれ。間違えてない。
音楽室の分厚いドアの向こう側から、微かに漏れるエルガーの『愛の挨拶』の旋律が正しく聴こえてきた。「またミスったでしょ〜」という言葉を準備して待機していた私は、掴んでいたドアノブから手を離した。これだけ毎日毎日弾いていれば、上達もするか。
さぞ気持ちよく演奏しているであろう涼太に気を遣うことなんてせず、私はガチャと音を立てて重たい扉を押す。隔てるものがなくなり、部屋に充満していた柔らかく鮮やかな音色に体を包まれる。気づかないはずないのに、涼太は私のことなんてお構いなしに演奏を続けた。
窓が開いていて、揺れるカーテンから差し込む夕日が時折、音楽室をオレンジ色に染める。沈みかけの太陽が、真新しいピアノを照らし、より一層輝いて見える。もちろん、そこに涼太が座っていることが関係しているのも、私は理解していた。
涼太の弾く、自由で伸びやかで、鍵盤と戯れているようなピアノが好きだった。去年までは音楽の授業前に男子たちに唆されて適当な流行りの曲を速いテンポで弾く程度だったのに。今年度から新しく入ってきた君になってから、涼太は放課後わざわざ音楽室に寄るようになったんだよ。演奏する曲目も、私の知らないクラシック系に変わってしまったし。涼太がピアノと戯れ終わるまで待ちながら、私は心の中で文句を垂れてしまう。そんな自分が嫌だった。
風に靡くカーテンに吸い寄せられるようにして、私は窓際の、涼太の背後に回った。カーテンを潜って下を見ると、帰路に着く生徒がちらほらと見えた。その中には、去年同じクラスでいつメンだった美香と翔の姿もあった。記憶していたよりも二人の距離は近く、リュックにはお揃いの動物のマスコットが二人と一緒に並んでいた。
「はぁ〜。先越されちゃったなぁ」
涼太に聴こえればいいのに。そう思いながら呟いた言葉は、窓の外へと向かって流れ出る優しい音色で有耶無耶になり消えてゆく。夕日が、眩しかった。
いつもは見えない涼太のつむじ越しに、滑らかに動く指先が見える。覗くと少し見える涼太の表情は、学校にいる時間の中で一番穏やかで、リラックスしているように見えた。私はこの顔が好きだった。だって、私と話している時も彼は同じ顔をしているから。
このピアノの何かを、涼太は気に入ったのだろう。もはや、これが呪いのピアノで、涼太を魅了して取り憑いていると説明できたらどんなに良いか。
涼太は、君に好かれてしまった。そう。そうだ。私が介入できる領域にいない。私の自暴自棄な思考回路と共鳴したかのように、愛の挨拶は乱れてゆく。
「いつになったら完璧に弾けるんだか」
そう言い捨てた私は、涼太の顔も見ずに早足で歩き音楽室から出た。閉じかけのドアの向こうから、演奏を中断したらしい涼太の足音が近づいてくる。バタンと鳴るはずの音がしない。
「だって、お前が聴いてるから……」
涼太の頬は多分、夕日に染まっていた。
音楽室の分厚いドアの向こう側から、微かに漏れるエルガーの『愛の挨拶』の旋律が正しく聴こえてきた。「またミスったでしょ〜」という言葉を準備して待機していた私は、掴んでいたドアノブから手を離した。これだけ毎日毎日弾いていれば、上達もするか。
さぞ気持ちよく演奏しているであろう涼太に気を遣うことなんてせず、私はガチャと音を立てて重たい扉を押す。隔てるものがなくなり、部屋に充満していた柔らかく鮮やかな音色に体を包まれる。気づかないはずないのに、涼太は私のことなんてお構いなしに演奏を続けた。
窓が開いていて、揺れるカーテンから差し込む夕日が時折、音楽室をオレンジ色に染める。沈みかけの太陽が、真新しいピアノを照らし、より一層輝いて見える。もちろん、そこに涼太が座っていることが関係しているのも、私は理解していた。
涼太の弾く、自由で伸びやかで、鍵盤と戯れているようなピアノが好きだった。去年までは音楽の授業前に男子たちに唆されて適当な流行りの曲を速いテンポで弾く程度だったのに。今年度から新しく入ってきた君になってから、涼太は放課後わざわざ音楽室に寄るようになったんだよ。演奏する曲目も、私の知らないクラシック系に変わってしまったし。涼太がピアノと戯れ終わるまで待ちながら、私は心の中で文句を垂れてしまう。そんな自分が嫌だった。
風に靡くカーテンに吸い寄せられるようにして、私は窓際の、涼太の背後に回った。カーテンを潜って下を見ると、帰路に着く生徒がちらほらと見えた。その中には、去年同じクラスでいつメンだった美香と翔の姿もあった。記憶していたよりも二人の距離は近く、リュックにはお揃いの動物のマスコットが二人と一緒に並んでいた。
「はぁ〜。先越されちゃったなぁ」
涼太に聴こえればいいのに。そう思いながら呟いた言葉は、窓の外へと向かって流れ出る優しい音色で有耶無耶になり消えてゆく。夕日が、眩しかった。
いつもは見えない涼太のつむじ越しに、滑らかに動く指先が見える。覗くと少し見える涼太の表情は、学校にいる時間の中で一番穏やかで、リラックスしているように見えた。私はこの顔が好きだった。だって、私と話している時も彼は同じ顔をしているから。
このピアノの何かを、涼太は気に入ったのだろう。もはや、これが呪いのピアノで、涼太を魅了して取り憑いていると説明できたらどんなに良いか。
涼太は、君に好かれてしまった。そう。そうだ。私が介入できる領域にいない。私の自暴自棄な思考回路と共鳴したかのように、愛の挨拶は乱れてゆく。
「いつになったら完璧に弾けるんだか」
そう言い捨てた私は、涼太の顔も見ずに早足で歩き音楽室から出た。閉じかけのドアの向こうから、演奏を中断したらしい涼太の足音が近づいてくる。バタンと鳴るはずの音がしない。
「だって、お前が聴いてるから……」
涼太の頬は多分、夕日に染まっていた。
はい
おしまい
もちろん理解していたって何よずるい
ひょぇー🦭
尺も良いです。