マーメイド。それは美しい女性の頭と上半身に魚の尾を持つ生物。そして悠久に等しい時を生きるという。僕の隣の席の彼女は確かにマーメイドだった。
車椅子で生活している彼女は他の人間と同じように学校に通っている。「人魚って別に地上に上がっても死にはしないんだよ」というのは彼女のお決まりのセリフだった。膝から下の鰭をタオルで覆った彼女は一見すると普通のヒトと大差がない。普通に授業を受けていて、普通に友人だっている。どこにでもいる高校生だった。
「はいこれ」
彼女は僕にハートの形をした包みを手渡した。赤いリボンをあしらった片手の掌ほどの大きさの包み。
「はじめて作ったから、あんまり期待しないでね」
彼女はそう言うと僕から逃げるように俯いた。まだ朝が早いので教室には僕らしかいない。今日はバレンタインデーだった。
「僕に?」
「そう、だよ」
彼女は時折上目遣いに僕の様子を伺った。居心地が悪そうに膝——というか鰭の上で組んだ手をしきりに入れ替えている。その両手の指の先にはいくつもの絆創膏が巻かれていた。
「食べてもいいかな?」
僕がそう言うと彼女はパッと顔を上げて微笑んだ。ふわりと膨らんだ髪が、陽の光を浴びて煌めく。赤いリボンを解くと、包みの隙間からいい匂いが溢れて来る。包みの中には二つのチョコレートが身を寄せ合うようにして入っていた。
口に含むと、どろりと溶けて甘かった。彼女は少し不安そうな顔をしていたが、僕が飲み込むのを見届けると幾らか安心したようだった。
「どう?」
「うん」僕は彼女の隣に椅子を引いていくとそこに座った。「おいしいよ」
「よかった」
そう言う彼女の瞳は潤んでいた。
「どうして僕なんかに?」
「君が私の歌をほめてくれた初めてのヒトだから。ほら私、仲間の中じゃ下手な方だしね」
「——だからずっと一緒に居たいなと思ったんだ」
彼女は前髪をくるくると指先に巻いた。その頬がほんのりと紅くなっている。僕はもう一つのチョコを半分齧った。やっぱり甘かった。
「ねえ、マーメイドとか、人魚の肉を食べると不老不死になるってホント?」
「飲み込んでから話しなよ——そんな訳ないでしょ」
もごもごとしながら言う僕に彼女は呆れたようにそう言った。
「寿命は私達と同じくらいになるみたいだけどね」
僕はチョコレート飲み込んだ。張り付くような甘さが喉の奥まで広がっていたが、その裏には微かに、だが確かに鉄の味がある。彼女の指の先にはいくつもの絆創膏が巻かれていた。
僕はこんなにも、君に好かれてしまった。
彼女は僕を真っすぐに見ている。その瞳は底の見えない海のようだった。マーメイドは悠久に等しい時を生きるという。そして、その血肉を得たものは——。
しかして僕は、人間だ。
「ずっと一緒にいたいと思ったんだ——」
だがそれが本当だと言うのなら、況やそれも本望だ。僕は残りのチョコレートを口に放り込むと絆創膏だらけの彼女の手を優しく握った。
車椅子で生活している彼女は他の人間と同じように学校に通っている。「人魚って別に地上に上がっても死にはしないんだよ」というのは彼女のお決まりのセリフだった。膝から下の鰭をタオルで覆った彼女は一見すると普通のヒトと大差がない。普通に授業を受けていて、普通に友人だっている。どこにでもいる高校生だった。
「はいこれ」
彼女は僕にハートの形をした包みを手渡した。赤いリボンをあしらった片手の掌ほどの大きさの包み。
「はじめて作ったから、あんまり期待しないでね」
彼女はそう言うと僕から逃げるように俯いた。まだ朝が早いので教室には僕らしかいない。今日はバレンタインデーだった。
「僕に?」
「そう、だよ」
彼女は時折上目遣いに僕の様子を伺った。居心地が悪そうに膝——というか鰭の上で組んだ手をしきりに入れ替えている。その両手の指の先にはいくつもの絆創膏が巻かれていた。
「食べてもいいかな?」
僕がそう言うと彼女はパッと顔を上げて微笑んだ。ふわりと膨らんだ髪が、陽の光を浴びて煌めく。赤いリボンを解くと、包みの隙間からいい匂いが溢れて来る。包みの中には二つのチョコレートが身を寄せ合うようにして入っていた。
口に含むと、どろりと溶けて甘かった。彼女は少し不安そうな顔をしていたが、僕が飲み込むのを見届けると幾らか安心したようだった。
「どう?」
「うん」僕は彼女の隣に椅子を引いていくとそこに座った。「おいしいよ」
「よかった」
そう言う彼女の瞳は潤んでいた。
「どうして僕なんかに?」
「君が私の歌をほめてくれた初めてのヒトだから。ほら私、仲間の中じゃ下手な方だしね」
「——だからずっと一緒に居たいなと思ったんだ」
彼女は前髪をくるくると指先に巻いた。その頬がほんのりと紅くなっている。僕はもう一つのチョコを半分齧った。やっぱり甘かった。
「ねえ、マーメイドとか、人魚の肉を食べると不老不死になるってホント?」
「飲み込んでから話しなよ——そんな訳ないでしょ」
もごもごとしながら言う僕に彼女は呆れたようにそう言った。
「寿命は私達と同じくらいになるみたいだけどね」
僕はチョコレート飲み込んだ。張り付くような甘さが喉の奥まで広がっていたが、その裏には微かに、だが確かに鉄の味がある。彼女の指の先にはいくつもの絆創膏が巻かれていた。
僕はこんなにも、君に好かれてしまった。
彼女は僕を真っすぐに見ている。その瞳は底の見えない海のようだった。マーメイドは悠久に等しい時を生きるという。そして、その血肉を得たものは——。
しかして僕は、人間だ。
「ずっと一緒にいたいと思ったんだ——」
だがそれが本当だと言うのなら、況やそれも本望だ。僕は残りのチョコレートを口に放り込むと絆創膏だらけの彼女の手を優しく握った。