zorozoro - 文芸寄港

Dive

2024/04/08 14:46:28
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 誰かが、「インターネットは電子の海だ」と言った。半分正解かもしれないけど、言った奴はきっと海に潜ったことなんかないんだろうなと思う。
最後に潜ったのはもう一年前になるだろうか。海は怖い。船から降りて沈んでいくときに、音がなくなるのも、光が溶けるように淡くなるのも、全身が余すところなく水に包まれるのも、怖い。海底が見えていたとしても、ふと気を抜くとどこまでも沈んで行ってしまうのではないかと思うときがある。そんな時に、自分の吐いた空気が水面に向かって昇っていくのを見ると、なんだか泣きたくなる。
 目を開いた。体はちゃんと硬いマットレスに上だった。網戸をこするカーテンが一定の間隔でざざ、ざざという音をたてている。その向こう、窓の向こうがオレンジ色に輝いていながら、すでに部屋の七割ほどが影に黒く覆われている。眠れない夜になるな。直感的にそう思った。
 海は沈むたびに暗く冷たくなっていくけれど、ネットはどこまでも画面の明かりが絶えることがないしファンが吐き出すエアはずっと温かい。パソコンの前に座って、起動するまでの数秒の間にそんなことを考えた。だから海とネットは違うのだと思おうとした。それでもレギュレーターの代わりにヘッドセットをつけて、BCDの代わりにマウスを握り、眼鏡をかけるころには両者の本質は同じなのかもしれないと思い始めた。レギュレーターもBCDもダイビングのそれは溺れないための物なのに、今身にまとっているそれはより深くに沈むための物だった。
 ここは停滞することがない。画面いっぱいに開いたウインドウをとめどなく流れていく情報は社会を、時には理性や道徳までリアルのすべてを置き去りにする。政治家の失態からアイドルのゴシップからゲームの新作情報からインフルエンサーのくだらない自己啓発から愛くるしいペットの写真から流行りの音楽へ。『あなたへのおすすめ』で接続された様々な海域を脈絡もなく漂っているだけ。漂流して、漂着して、潜航して、浮上し、出航して、座礁する。
ここには確かに誰かがいる。昨日も、一昨日もいた誰かがいる。ただ今日ここにいる誰かはきっと昨日いた誰かとは違う誰かなんだろう。口調は大概同じだし、同じような話をしている。違うのはアイコンと、十六桁のIDだけ。顔も、住んでいるところも知らないがずっと近くにいるように感じる。それが、なんとも心地よかった。
いつの間にか、手元を照らす灯が画面の発光だけではなくなっていた。時間などあってないような場所だった。そういうところはやっぱり海に似ているのかもしれない。
ヘッドセットを外して、眼鏡もとって、もう間もなく外の方が明るくなってしまう画面を消した。そうしてベッドに倒れ込み、画面に乾いた目を閉じた。階下の道路を通る人や車が増えてきたのを感じたがあの明るい世界に出ていくには、だいぶ酸欠だった。
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コメント



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1.80🦭🦭🦭削除
すきです!
主人公が思考するに至る背景があったらもっといいかもって思いました!
🦭🦭🦭
2.70v狐々削除
良い発想だと思いました。序文感は否めない
3.70鬼氏削除
最後の一文がめっちゃ良いと思いました。