zorozoro - 文芸寄港

スクイーズ

2025/01/14 01:13:25
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 買ったばかりのスクイーズを、捨てた。
 その行動は恐怖心からくるものだった。

 長い付き合いの友人と出かけた先で買った、うさぎのスクイーズ。流行に伴い最近いたるところで見かけるようになったガチャガチャ専門店でみつけたものだった。
 ガチャガチャの機械に貼られていたサンプルの写真では、そのうさぎはボールのように真ん丸で、あえてハイライトが描かれていないつぶらな瞳は人を魅了するものがあった。『もちぷに』というありふれた言葉で形容されたそのさわり心地に、なぜだかひどく心惹かれた。普段であればこんなもの目もくれないのに、不思議なものだ。なんて、どこか他人事のように思いながら、半ば無意識に銀色の硬貨三枚を穴の中へ押し込んだ。

 チャリン、チャリン、チャリン。がたっ、ガラガラ、ごとん。

 鈍い音を立てて外界へと解き放たれた黄色のカプセルを手に取る。中をじっと見てみたけれど、中にいるうさぎが白なのか黄色なのか判別がつかなかった。
 切りそろえたばかりの短い爪でカリカリとセロテープの端をめくり、少しの手間をかけて取り出したうさぎは、カプセルの色と同じ黄色だった。見本の写真と同じく小さな瞳でこちらを見つめてくる様はひどくいとおしい。しばらくの間、もちもちとしたその感触をあじわって、大方満足したのでそのスクイーズをカバンに無造作に突っ込んで、店を後にした。

 それから友人たちと他愛のない会話を交えながら帰路をたどる。久々に会った彼女たちとの別れはさみしいものだったが、胸の奥にこみあげる切なさに気づかないフリをした。
 家についてからは淡々と寝るための準備をするだけだった。風呂に入って、歯磨きをして、スキンケアをする。さぁ、あとは布団に入って寝るだけというところで、カバンの中にいるうさぎのことを思い出した。
 あぁ、そうだ。寝る前にもう一度あの子をもんでから布団に入ろう。
 そう思って、カバンの奥からあの黄色いうさぎを取り出した。

 すると、どうしてだろうか。先ほどまではあんなにかわいくて仕方がなかったうさぎのスクイーズが、突然私の眼にはひどく恐ろしいバケモノに見えた。
 自分でもわけがわからなくなって、ぎゅっと強く目をつぶって、恐る恐るもう一度手の中にあるうさぎを見る。もちろんその一瞬でうさぎが姿を変えるわけもなく、まるいフォルムのつぶらな瞳、そしてもちもちとした感触は、何一つ変わることなくそこにあって、そして私の恐怖心が消えることもなかった。
 手の中にいるこのうさぎが私に襲い掛かって食い殺してしまうのではないか。ゴムでできたこの体が私に触れたところから毒を流し込んでくるのではないか。
 そんな考えが頭にこびりついて離れなくて、死を恐れるように、私は自分の手の中の黄色いスクイーズを恐れた。
 生命の灯を感じないぶにぶにとした塊は、私の中で呪物と同等のものになり下がっただと、その時強く感じた。
 私は早くこの物体から離れたくて、色のついたビニール袋にうさぎの形をしたバケモノを押し込んで、ごみ箱の奥深くへと入れた。呪いから放たれたはずの手のひらからは、ゴムのにおいがしみ込んだ気がしてならなくて、急いで洗面台に駆け込み何度も何度も念入りに手を洗った。
 ようやく穢れが浄化できた自分の手のひらを見て、私はその場にしゃがみこんで安堵のため息をつく。
 そのため息に私のプラス思考はすべて持っていかれてしまったのだろう。座り込んだその場で、私はただのゴムの塊にあんな恐怖心を抱いたことが急に恐ろしくなり、冷え切った狭い部屋で、私は頭がおかしくなってしまったのだと、呆然とすることしかできなかった。

 私は、わたしはきっと、どこかもとからおかしくて、でもきっと、正常な人間のフリがこの二十年ずっとうまくできていて、今はそのメッキがだんだんと剥がれ落ちているのだ。

 そんな考えに支配されながらふらふらと自室へ戻り何も考えていない素振りで布団に入った。
 暗闇の中で私は、正常な自分を見失った丸裸な自分を想像した。それはきっと、とんでもなく醜いバケモノの姿をしている。今日手に入れてすぐに手放したあのスクイーズより、この世界のどんなものよりも、きっともっと醜悪だ。
 恐ろしい、あぁ、恐ろしい。もはやなにを恐れているのかわからないまま、私は祈るように自分の体を抱きしめた。

 手のひらからはまだ、ゴムのにおいがしている。
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