zorozoro - 文芸寄港

鉄屑の星

2024/12/03 20:47:12
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 電源が入り私が最初に目にしたのは、不気味なほど白で統一された部屋と、その部屋の左隅にあるベットの上からこちらを見つめている二十歳ほどの痩せこけた少女だった。アンドロイドの記憶のアップロードには大体五分ほどかかる。最初から内蔵しておけば良いのにと私は思うが、機密保持の観点からそうもいかないらしい。そのせいで電源を入れられて記憶がアップロードされるその数分間は、私の生涯に最も恐怖を与えた時間となった。
 神崎知夏(かんざきちか)、それが痩せこけた少女の名前だった。二十二歳という若さで癌を患い、常に頭が爆発するかのような頭痛と足の痛みを抱えた病院で寝たきりの少女。大上高校卒業。杉葉大学中退。
 私が何故そこまで彼女について詳しいかというと、私は彼女の介護役兼話し相手としてオーダーメイドされたアンドロイドだからである。性別、見た目、身長まで自由自在にオーダーできるマニアック向けのサービス。私が黒髪ボブの見た目をしているのも、知夏がそうオーダーした結果である。本当は性格までもが自由自在なのだが、私はアンドロイドらしい、淡々とした性格でというオーダーで作られた。後に理由を聞いてみると、知夏曰く「偽物の笑顔は気持ち悪い」からだそうだ。実際、感情がある“ふり”しか出来ない私達アンドロイドに対して、そのようなオーダーをする人間も少なくないらしい。
 知夏は変わった人物であった。通常このような年齢で癌になった人間というのは、後ろ向きな言葉や破滅願望などを口にすることが多いとデータにはあったのだが、千夏にはその傾向が全くと言って良いほどなかった。それどころか口を開くたびに、アンドロイドである私に対して「地球は赤い」だの「犬は地球外生命体」だの、すぐにわかるような嘘を吐いて私を揶揄う程の余裕まであった。
「私はネットと繋がっているので、嘘をついてもすぐにわかりますよ」
 そう私が言うと、翌日には自分の病室の回線を繋がらないようにするという気概まで見せた。一体何が彼女をそこまでさせるのだろうか。そんな生き生きとしている彼女ばかり見せられていたので、しばらく過ごしていると、時折彼女が癌患者である事を私は忘れそうになった。
 そんな知夏であったが、出会って一年と七十二日目にしてあっさりと死んでしまった。彼女が患っていた癌はかなり生存率の高いもので、医療が発達した現代であれば、後遺症は残れど死に至るほどの病ではないはずだった。後に調べたところ、生存率は約九十パーセント。知夏はその僅か十パーセントを引いてしまったというわけである。
 最後にした会話は、「キリンの首にはレバーが付いており、伸縮が可能である」というやはりいつものような出鱈目な嘘話であった。それをまさか、と思いながらも帰りに調べてしまった私も大概であるとは思う。アンドロイドにはその仕事に必須と思われる知識以外内蔵されていないことが多い。なのでネットに接続されていなければ、私達はそこら辺の一般人以下の知識力しか持ち合わせていないのだ。
 だからと言ってキリンの首にレバーはないでしょ。死ぬ数日前の会話を思い出すと、そうツッコミを入れたくなる。
 それから六日と五時間が経って、主人を失った私の未来が決定した。通常役目を失ったアンドロイドは解体、再利用される。けれどオーダーメイドのアンドロイドは例外であり、基本的にはその所有者の家族に所有権が渡されるのだ。知夏の介護という役目を失った私も例に漏れず、知夏の家族の元へと送られた。
 知夏の家族は彼女の遺した物などあまり見たくはなかったのだろう。私は知夏の両親の家に着くなり倉庫に入れられ、その日以降電源を入れられる事はなかった。役目を終えて忘れられる。まあ、よくあるアンドロイドの末路だった。
 本当は知夏に別れを言いたかったし、墓参りにも行きたかった。しかし所詮私達アンドロイドは人間のために作られた機械。どんな理由があろうと、人の命令には逆らう事はできないのだ。


 無限に広がる大自然を歩いていると、時折自分の体が自分の物で無くなっていくような気分になってくる。「病院の天井を眺めていると、体を置き去りにして魂だけ上に上がっていく気分になる」と言っていた知夏の気持ちも、今なら少し分かる気がする。
 歩き始めて五時間と三十二分。歩けど歩けど変わらない広大な緑の世界は、知識として記憶されている“アマゾン”と呼ばれる熱帯雨林を私に想起させた。信じられないほど大きな葉や木々の数々。違いと言えば見たことのない植物がいくつか散見されるという点と、これまた見た事のない生物と時折すれ違うという点だろう。
 見た事のない生き物達はどことなく私の知っている蛇や鳥の形をしているのだが、やはりどこかが根本的に違うといった印象を私に与えた。言うなれば蛇や鳥の特徴だけ教えられたアンドロイドが、できる限り真似て作った紛い物といった感じであった。
 地球の生き物を根本から変えてしまうほどの出来事があったのだろう。時間がそうさせたとは、あまり考えたくない。
 この場所にもし知夏がいたのなら、目の前の動物達に出鱈目な名前とありそうな蘊蓄(うんちく)を作って私に教えてくれただろうか。
「あれはサイボーグヘビ。光の屈折を利用して透明化する事が出来るんだよ。獲物を見つけると高熱のレーザーを照射して、攻撃と加熱処理の両方を同時に行うんだ。蛇のくせに加熱処理をするなんて、なんだか生意気だよね」
 私は頭の中で知夏の言いそうな事を再現してみる。流石にレーザーはやり過ぎだろうか、と考えてから思い直す。知夏であれば、もう少しありそうな出鱈目を言う事が出来ただろう。嘘をつくと言うのも難しいものだ。
 そんな事を、二、三度考え直しながら歩いていると、私を囲んでいた緑の世界にもいよいよ終着点が訪れた。先程までの大自然とは対照的で、地面にはヒビが入っており、僅かな人工物を除けば四キロメートル先の境界線が見えてしまうほどに何もない世界。森に入る前にも見た、おそらく、かつて人類が住んでいたと思われる世界。
 そう考えると僅かに残る人工物もどこか見覚えのあるような気がしてきた。私は僅かに期待を込め、レンズの泥を手で払いその世界を見渡してみたが、いくら探しても、やはり人間の姿のようなものは何処にも見当たらない。
 人類は、おそらく死滅した。
 その理由は、長年倉庫で眠っていた私には定かではなかった。戦争によって人間同士が潰しあった結果なのかもしれないし、あるいは未曾有の大災害によるものか。もしかすると宇宙人によるものかもしれない。どちらにせよネット回線すら飛んでいない今では、それを調べる方法は私にはなかった。
 そんな世界で電源を落とされた私が人間の手を借りずに起動できたのは、おそらく介護アンドロイドに搭載されている機能のおかげだろう。
 アンドロイドは繊細な機械だ。バッテリーが完全にゼロになってしまうと、最悪の場合記録データが全て消えてしまう可能性だってある。その為一部のアンドロイドには、自分の力で充電ができるようバッテリーが少なくなると自動的に電源が入る機能が搭載されているのだ。
 しかし言い換えるのならば、その機能が発動した私とてそう長くは持たないと言うことになる。こんな世界では、アンドロイド用のバッテリーはおろか、電気すらまともに通っているかすら怪しいのだから。太陽光発電でも搭載しておけば、この日差しで少しは充電できたのに、と思う。
 残された時間はあと僅か。それまでに、私は自らに課した使命を達成しなくてはならない。目の前に広がる世界を自らから隠すよう瞳を閉じ、私は数時間前の記憶を振り返る。

 あれは知夏が死ぬちょうど一週間前の出来事だった。
 私はいつものように知夏の白い部屋を訪れて、昼ごはんを知夏に食べさせたり、リハビリを手伝ったりしていた。一通りの仕事を終え、知夏の病室入り口近くにある机で作業をしていると、「ねえねえ、ロボットちゃん」と知夏が声をかけてきた。
「人は死んだらどうなると思う?」
 これは知夏が私に嘘を教える時の定番のパターンだった。最初に「〇〇って分かる?」と質問して、私がそれに対して答えると、知夏は「違うよ。正解はね」と言って全く頓珍漢な事をあたかも正しいかのように吹き込むのだ。
「どうもならないんじゃないですか」
 私は机から視線だけ知夏へと向け、あえてそう無機質に答えた。彼女が機械である私に対して求めているのはこのような答えであると知っていたからだ。
「残念、ハズレ」
 知夏は満足そうな顔をしてそう答えた。私は「答えはなんですか」と返しながら、今日はどのような嘘を言うのか考えていた。異世界に転生するとか、二度目の人生が始まるとか、そのような答えを私は期待していた。
「人はね、死んだら星になるんだよ。知らなかったでしょ」
 だからいつもおちゃらけている知夏から真面目なトーンでそう返された時、私は思わずポカンとしてしまった。
「だからさ、もし私が死んじゃったら、宇宙まで会いに来てよね」
 空いてしまった微妙な会話の間を埋めるかのように知夏はそう続けた。自分でもらしくない事を言ったと思ったのか、私からの言及を避けるように知夏はその後すぐに話題を変えてしまった。
 知夏が死んだと聞いて、最初に想起した記憶がその会話だった。
 人は死んだら星になる、いつもの出鱈目な嘘だろう。ネットに接続して確認してしまえばすぐに分かる事だった。けれどもその時の私はなんだか事実を調べる気にはなれず、というか、調べてしまったら何かが終わってしまうような感じがして、結局今の今まで引きずってきてしまった。
 とは言っても、二度目の目覚めを経験した数時間前の私はすっかりその事を忘れていた。実際アンドロイドが物を忘れる事はないので、これはただ昔を懐かしむような余裕が私になかっただけなのだが。目が覚めたら、アニメーションでしか見た事がないような一目見て“終わった”事が分かるような世界が広がっていたのだから仕方がないとは思う。最初も含めて、私はつくづく目覚めには愛されていないようだ。

 四キロメートル先まで見えてしまうひび割れた世界。これはこれで大自然の時とは違った苦痛があった。同じように景色が変わらないというのは勿論、先が見えているというのは、少なくとも見える範囲には希望も何も存在していないと言う事なのだから。そんな世界を歩いていれば、人間が完全にいなくなってしまった事も薄々察することが出来るようになってしまって、その現実がより一層私を苦しめた。
 どうせ機械なのだから、苦痛なんてもの感じないようにすれば良いのにと私は思う。一般的には暴力や非人道的な行いに対して、アンドロイドが自発的に助けを求めれるように設定されたと言われてはいるが、実際の所、充電さえ十分であれば年中無休で動き続ける事ができるアンドロイドに仕事を奪われない為の“ストッパー”なのではないかと私は考えている。今となっては、それが真実だったのかどうか調べる手段はないが。
 いくら歩いても、茶色、茶色。最初こそ困惑と恐怖が勝っていた私だったが、体が苦痛に満たされていくに連れて、その感情は次第に絶望へとグラデーションしていった。
 これならばまだ、人外の生き物でも世界に溢れかえってくれた方が良かったなんて、そんな考えを巡らせられていた頃はまだマシだった。
 やがて、自分の意思とは関係なしに体が倒れた。コンクリートのように固い地面に体が触れると、その度にガシャンと嫌な音が聞こえた。そのまま三十分ほど何もせずぼんやりとした後、またゆっくりと歩いて、倒れる。そんなことを数回繰り返したせいか、今でも足を曲げる時、ギイッと嫌な音がなる。
 歩く。倒れる。あの頃はただ、歩みを止めてしまう事が怖かった。だから向かう方向に何かがあるとは思ってはいなかったし、明確になにか目標があったわけでもなかった。
 歩きながら、私はかつて知夏がやっていたゲームを思い出していた。無限に続く階段を、数分、数十分と上り続けるのだ。
 それは正規の道ではなく、無限階段と呼ばれる一種の詰み状態だったのだが、それでも尚、知夏はただ登り続けるだけの画面をじっと眺めていた。
 実際、あのゲームは無限のパターンを作っているわけではない。気が付かれないようにいくつかのパターンの階段を繰り返し見せているだけだ。私の目の前の世界もそうやって作られていて、歩くたびに前の景色を見させられているのではないかと、次第に私はそう考えるようになっていた。
 しかし、そうではなかった。ループしていると思われていた景色に、拳銃自殺をした死体が写り込んだ。

 拳銃自殺をした死体とは言っても、それは人間の物ではなく、私と同じアンドロイドの死体だった。見た事もない機体で、おそらく私よりも後に作られたアンドロイドなのだろう。眉間には穴が空いており、左手にはその穴を空ける為に使われたであろう拳銃が握られていた。
 本心を言わせて貰うならば、私はこの時、目の前にいるアンドロイドの後追いを考えていた。
 アンドロイドは人間に奉仕をする為に作られた、蚕のような存在なのだ。人間という生き物がいて、初めて存在する理由を与えられる。だから人間の居なくなった今、私達が生きていく理由はないのだ。私達は今、どう生きるかよりも、どう死ぬかが求められている。死ぬ前に壮大な何かを成し遂げたい。死ぬにはいい日。そんなの、紛い物でしかない私達が探し求めても虚しいだけだ。
 ならばいっそ、そこにある拳銃で死んでしまった方が楽なのではないか。目的もなく、苦しさだけを背負い込んでこの先も歩いていくというのは、少なくともその時の私には耐えられるものではなかったのだ。きっと眼前のアンドロイドも、同じようなことを考えたのではないかと思う。
 アンドロイドの左手に握られていた拳銃を手に取る。無機質な鉄の塊でしかないはずの拳銃は意外にも暖かく、その温もりは、その時の私にはやたら心地良いものだった。
 それをそのまま自分の眉間にむけてみても、考えていたより恐怖の感情というか、拒絶の感情は湧いてこず、やはり自分達に搭載されている感情のようなものは、所詮ようなものでしかないことを実感した。
 負の感情は湧いてはこなかったが、自分の死が近づくにつれて、私の頭では人間の走馬灯のように今までの記憶が右から左へと流れていった。
 私の記憶というのは、その殆どが知夏と過ごした記憶である。だから私がその時見た走馬灯のようなものも、やはりほぼ大半が知夏との思い出だった。
 最初に知夏を見た時の記憶。知夏が始めて出鱈目な知識を私に教えた日。知夏が始めて、弱々しく見えた日。
 その時スッと思い出したのが、知夏としたあの約束だった。
「だからさ、もし私が死んじゃったら、宇宙まで会いに来てよね」
 そんな何気ないセリフを思い出した時、私は自分に向けた拳銃を地面に降ろし、その後思わず笑ってしまった。色々な要因はあれど、何より、あんな約束で決心が鈍ってしまう自分に笑えてきてしまった。
 人は死んだら星になる。とても信じられない話だった。何よりもあの知夏が言った事だ、信じる方がおかしな話である。だけど夜になって、頭上に浮かぶあの美しい星々を眺めた時、頭の中にあったそんな考えはどこかに消えてしまった。
 数秒考えただけでいくつも問題点が頭に浮かんだ。ただでさえ人工物が極端に少ない世界で、果たしてあの星空に行く為の何かが残っているのだろうか。仮にあったとして、自分の残り少ない時間でそれを見つけられるのか。そうして見つけて、空に行ったとして、あの中からどうやって知夏を見つけるのか。
 それらの問題点を、頭の中で霧散させる。
 だって仕方がない。アンドロイドは人間の命令には逆らえないのだから。


 しばらくこの崩壊した世界で過ごして感じたのは、街灯なしの夜中でも世界というのは悲観していたより明るいという事である。食料や安心して飲める水が取れない環境である為確かに人間にとっては致命的な環境かもしれないが、私達アンドロイドには案外快適な環境だ。この分なら、安定して食力や水さえ取れるのであれば機械なんて必要ないのではないか、なんて。機械の私が言うのもおかしな話である。
 また少し辺りが暗くなり始めた。夜になると、この世界は私が昔見ていた夜空とは全く違う夥しい数の星々で空は埋め尽くされる。全ての人間が星になったのだと考えれば、この量の星が空に浮かんでいるのも不思議ではないのかもしれない。
「綺麗……」
 私は不謹慎ながら、この星空を見ると毎回そう思ってしまう。
 世界とは不平等である。人間は死して尚ここまで美しいというのに、私達は死んだらただのスクラップと化すだけなのだから。
 そこが私達アンドロイドと人間の根本的な違いなのかもしれない。どれだけ見た目を真似ようと、感情があるふりをしたとしても、私達には星にはなれない。
 その場で立ち止まりしゃがみ込む、鋼鉄のような地面はやはり座るには向いておらず、私のお尻はじわじわとダメージを受けていく。
 しゃがみ込むと、星空がよく見えた。こうやってしっかりと星を眺めると、強く光り輝く星や、捻くれて他のもののようにずっとは光らずチカチカしている星もあり、何処となく人間みたいに個性を持っているように見えた。
 知夏はよく喋るから、きっとよく目立つ。案外この膨大な星々から見つけるのも難しくないかもしれない。そう思うと、少し肩が軽くなったように感じた。

 また陽が登り、私は一歩一歩、地面の硬さを確かめるように歩き始めた。あの大自然を抜けてから何キロ歩いただろうか? 未だ世界は僅かな人工物を除けば平らな姿をしている。
 空からの紫外線はともかくとして、辺りに漂うねばりとした暑さが辛い。熱は私達アンドロイドの天敵だ。環境要因と言えど、私達の体は熱を「働きすぎの予兆」と認識して苦痛を与える。かといって休むにしても、光を遮る建物など何処を見渡しても見つかるはずもなく、大して休憩になるとは思えないが。
 とりあえずの目的は、かつてこの辺りにあった「宇宙センター」なる施設に向かう事となった。そこであれば何かしらの情報、上手くいけば使われていないロケットなどを見つけることさえできるかもしれないと考えた。
 とはいっても、今私が頼っている地図データはもはや何年前のものかもわからず、地形から根本的に変わってしまった今となっては何処まで信用して良いものか怪しい代物である。一様は近づいているとは思うのだが、後どのぐらいの距離かも正確には測りかねているのが現状だ。
 ……それにしても暑い。光の影響でいつもは薄暗い茶色の地面が遠くで黄金色に輝いて見え、近くの景色は熱によってぐにゃりと歪んで見え始めていた。
 これが所謂、シュリーレン現象というやつなのだろう。以前知夏に嘘知識を吹き込まれた際に調べたはずなのだが、どのような嘘をつかれたのか、暑さのせいで記憶が景色のように歪んで思い出せなかった。
 記憶が曖昧になるのはこれで二回目の経験である。以前の経験からして、いよいよ限界が近いのかもしれない、と、思う私の気持ちを世界が汲み取ったのか、私の前方二百メートル程の場所に小屋のようなものが見えた。
 オアシスを見つけた気持ちだった。今の今まで、まともに日差しを避けられそうな建造物など見たことすらなく、このタイミングでそれを見つけられたのは奇跡としか思えなかった。
 冷静に考えれば、今まで一度たりとも見つけられなかった建造物を見つけた時点で訝しむべきであったのだが、熱で頭がやられていた私にそのような冷静さは残念ながらなかった。
 小屋は倉庫ぐらいの大きさの木造建築であり、突貫で作られたのか、耐久性に不安が残りそうな作りをしていた。中も非常に質素な作りで、机のようなものと、いかにも眠り心地の悪そうな木製のベットが一つあるだけであった。
 しっかりと観察をすれば、この建物の素材が以前の森林のものであると気づけただろうが、とにかくその時の私は建物で休むことしか頭になかった為、残念ながらその事に気づくのはもう少し先の事となる。

「おはようございます。お嬢さん」
 そう言われて目を覚ました。これでは目覚めの挨拶の意味が、目が覚めた時の挨拶ではなく、目を覚まさせる為の挨拶に変わってしまうなと、そんなくだらない事を先に考えついた自分を殴りたい。
 どうやら小屋に着くなり眠ってしまっていたらしい。確かにそうしていた方が、バッテリーの消費も熱も抑える事が出来るので合理的ではあるのだが、だとしても流石に警戒心が無さすぎだと思う。加えて目の前にいる金髪の男性。一目見てわかった。男は私と同じアンドロイドだ。寝ている間に危害を加えられた痕跡がない所を見るに、あちら側に敵意はないとは思うが。そのガタイの良さそうな体格と自分より二回りも高い身長に気圧され、私は念の為隠し持っていた例のアンドロイドの拳銃を、目の前にいるアンドロイドに見えないよう左手に握る。
「……ここは貴方の小屋ですか?」
「いいえ。その昔、建築作業の仕事をしていたアンドロイドが作った小屋を、私が使わせて貰っているだけです。彼、『死ぬまで何かを作っていたい』と、わざわざ遠くの森林からここまで木を運んで、バッテリーが尽きるその時までこの小屋を作っていたそうですよ。気持ちは少しわかりますけどね」
 そう言うと男は机の椅子をこちらに向け座り、少し口角を上げ微笑んだ。
「私からも質問です。そんな物騒なものを持ち歩いて、目的は一体なんですか?」
 物騒なもの? 左手の拳銃のことだろうか。
 言われて初めてハッとした。考えてみれば私は不法侵入者で、男の立場からしてみれば私は命を奪いにきた悪漢にしか見えていないだろう。まして拳銃を隠し持っているのだ、警戒されて当然である。
「……ごめんなさい。貴方に何か危害を加えるつもりだった訳では、すぐ出て行きますから」
 申し訳なさからそう口にした。しかし男は「ああ、そういうつもりでは」と少し困ったような顔をし、言葉を整理しているのか、頭に手を当てて、少し間を置いて再び話し始めた。
「実は帰りに貴方が歩いている姿を見たのです。こんな世界ですから、大抵のアンドロイドは何かをしたり、ましては貴方のようにボロボロになりながら歩くなんて事は。なので何か目的というか、事情のようなものがあるんじゃないかと、気になってしまいまして」
 その後男は「久しぶりに人と話したもので、高圧的な言い方になってしまい申し訳ないです」と加えた。
 思いがけない返答に少し動揺したが、私はすぐに「宇宙に行きたいんです。だからこの先にある『宇宙センター』に向かっていました」と隠す事なく男に伝えた。冷静になってみれば、まともに話せる相手というのは非常に貴重なのだ。目の前のアンドロイドはどうやら私よりも長くこの世界で生活をしているようだし、もしかすると何か情報をくれるかもしれないと、そう考えた。
 期待して答えを待ったが、男は「宇宙センター?」と首を傾げるだけだった。
「私もだいぶここに来て長いですが、そのような建物は見た事がないですね」
「そう、ですか」
 思わず言葉に落胆の気持ちがこもる。
 嫌な予感が当たってしまったと思った。私が一度見たあの宇宙センターは非常に巨大な建造物であり、このような世界で目立たないはずがない。男が見たことがないとすると、他の建造物のように朽ちてしまったと考えるのが普通だろう。
 今までの努力が無駄だったと思うと、会話をするのも億劫になる程の苦痛が体を駆け巡ったが、気まずさを避ける為私はなんとか言葉を取り繕うとした。しかしそれよりも先に、目の前のアンドロイドが「ですが」と付け加え、それを遮る。
「宇宙に行きたいだけなのでしたら、私はロケットがある場所を見た事があります」
 そう話す目の前のアンドロイドは、まるで私のリアクションを楽しんでいるかのようにこちらを笑顔で見つめていた。私は「本当ですか!」と目を見開いて男を見たが、すぐにそれに気づき表情を殺す。
「教えて貰っても、いいですか? 言っていた通り、私には宇宙に行かないといけない理由があるんです」
 目の前の彼は立ち上がり、入り口の方へと近づきながら「勿論、それは構いません」と言った。
「ですがその前に一つ、私のお願いも聞いては貰えませんか?」
「お願い?」
「ええ、実は私にも、貴方程ではないにしろ目標のようなものがあるのです。しかしそこまでの道のりは大変危険で、とても一人では行けるような場所ではない。なので貴方には、そこまで護衛をお願いしたいと思っています。幸い、その場所はロケットのある場所と限りなく近い場所にありますので、貴方にとっても悪くない話だと思います」
 ロケットの近くまで同行してもらえるのなら私には願ってもない話だった。口頭で道を教えて貰えたとしても、目印になりそうな建物一つもないこの世界で正確にその場所に辿り着けるとは思えない。
 しかし一介護アンドロイドでしかない私に、果たしてそのような大層な役割が務まるのだろうか。と、そんな私の考えを読みとったかのように、私が男の方をチラリと見ると、彼は笑顔で左手を開いたり握ったりを繰り返していた。
 なるほど。どちらかといえばお目当ては、私というよりも左手に握られている拳銃にあるようだ。下手に思惑を隠されるよりも、そちらの方がよほど気が楽に感じられた。一応悩んでいるような素振りだけは行い、私は言葉を返す。
「分かりました。ただ、一つだけ聞かせてもらっても良いですか?」
「ええ、何でもお尋ねください」
「そこに行って、貴方は何をするつもりなんですか」
 知的好奇心もあったが、何より先に聞く事で、自分が同じ質問をされるのを防ぐ事が目的だった。「死んだ人間は星になるので、もう一度会う為に宇宙にいきたいのです」などと言っても、小馬鹿にされるのが目に見えていたからだ。
「地球がこんな有様になったせいで、今までの世界と今の世界では何もかもが大きく変化しました。世界は朽ちた大地と豊かな森林とで二極化し、生物の見た目も昔と今では大きく異なっています」
「……何が言いたいんですか?」
「磁場が大きく変化したのか、あるいは全く想像できない何か別の要因によるものなのか。その場所では、本来見る事が出来ないはずの“オーロラ”が見えるようなのです」
「オーロラ、ですか?」
「ええ。それが私の唯一の目標なんです。もっとも、伝え聞いた話でしかないのでいささか眉唾物な話ではあるのですが」
「それでも、少しでも可能性があるのなら向かうでしょう?」と男は続ける。目を閉じ少し口角を上げたその表情は「貴方には分かるでしょう?」と私に同意を求めているかのようだった。
「……ええ、そうですね」
 笑みと共に言葉が溢れた。その言葉に男は満足そうな顔を浮かべ、「さて」と言って席を立ち上がる。
「では行きましょう。善は急げ、です」
 そう言ってこちらに腕を伸ばしてくる男の手を取り、私はベットから起き上がる。その時、足の部分からミシミシという音がするのが少し恥ずかしかった。
「あ、そういえば、お名前を伺ってもよろしいですか? お互い貴方呼びでは距離も縮まらないでしょう。私のことは『ハル』とでも呼んでください」
「名前、ですか」
 知夏は私が人間のふりをするのを嫌っていた為、私には明確な名前がない。強いて言うならば知夏は私の事を「ロボットちゃん」とは呼んでいたが、今求められているのはおそらくそういう事ではないだろう。
 少し考え、私はハルの質問に答えた。
「私の事は……神崎と呼んでください」

 こうして私とハルの旅が始まった。ハルはここら一帯の地形に詳しく、何も目印のない場所で迷いなく左に方向転換をしたり、光を遮る事ができる大きな瓦礫の場所を教えてくれたりした。仮に私と同じようにバッテリーの危機から目を覚ましたとして、はたしてここまで正確に道を覚えられるまでバッテリーがもつものなのだろうか。そう思いハルに質問してみると、「私はご主人の趣味で太陽光発電がついているので」という返答が返ってきたので、私は何となくその境遇の差に腹が立った。
「それでも限界はありますけどね。私とて、緩やかに死に向かっているのですよ」
「だとしても羨ましいです。私には一分一秒が惜しいので」
 皮肉たっぷりで言ったつもりだったが、ハルは「以前同じ事を言われました」と、どこか懐かしむような笑顔を浮かべていた。
 完全に八つ当たりだった。言ってから後悔したが、謝るのもおかしな話だった。勝手に気まずさを感じた私は、謝罪の代わりに無意識にハルから顔を逸らす。
「他にも色々な機能がありますよ。膝の辺りからポケットナイフが出たりとか、匂いの発生源が何かわかったりとか」
 ハルはそんな私を気遣ってくれたのか、いつものより高いトーンでそう言った。
「その機能必要ですか?」
「使うか使わないかは関係ないみたいですよ。『ロマン』という奴らしいです」
「まあ、確かに役に立ってますしね」と私が言うと、ハルは目を閉じ「ええ、分からないものです」と微笑みながら答えた。私が知夏の話をする時も、あのような顔をしているのかもしれない。
「以前はそういう機能が嫌いだったんです、私。無駄を省くのが好きでしてね。でも主人を失って、貴方達と会って、初めて主人の趣味を好きになれました。最初から好きになれていたら、もっと彼と楽しみを共有できていたかも。なんて、今更ですよね」
「ハル……」
「敏明(としあき)さんも、きっと自分の趣味が役に立って誇らしいと思います。もっとも、本人に聞くことは叶いませんけど」
 敏明さんとは、彼の主人だった人間の名前だそうだ。聞いている限りでは彼とは正反対の性格のようだが、彼の話をするハルは、心なしかいつもより楽しそうだった。
「私の主人も酷くて、会うたびに私に出鱈目を吹き込むんですよ。以前その話を信じて他の人間に話した時、それはもう馬鹿にされましてね……」
 無限にも感じる道のりを、私達は自分の主人の事について話しながら乗り越えていった。時折愚痴を挟みながらも、その話題が最後まで尽きる事はなかった。
 しばらくして辺りが暗くなり始めると「今日はこの辺りにしておきましょうか」と言ってハルはその場に荷物を下ろした。涼しくなった今こそ動くべきでは? と私は思ったが、さすがのハルも暗闇では道を間違える可能性があるとのことだった。仕方なく私はその場で座り込む。空を見上げると、相変わらずそこには数えきれないほどの星々が空を浮かんでいた。それらは普段よりも近くにあるように感じて、私はその中の、もっとも輝いて見えた星に手を伸ばした。
「星、好きなんですね」
 言われてハッとし、私は素早く伸ばしていた手を引いた。その動作にハルは微笑みを浮かべながらも、続けて言葉を発する。
「私も星が好きでしてね。……でも、そうですね。今考えてみると、私が星を好きになったのは主人の影響が大きいかもしれません」
 黙って聞いておこうかと思ったのだが、少し考えて「私も、そうかもしれません」と答えた。私も元から星が好きだったわけではなかった。そもそもこうなる前は意識して空を眺めるなどなかったし、星を美しいと思ったことなど一度もなかった。しかし目的が決まり毎日星を見上げているうちに、次第に光り輝くあの星々が、人間の果ての姿が美しいと感じるようになっていたのだ。
「そういえば神崎さん。貴方がどうして宇宙に行きたいかを聞いていませんでしたね」
 気がつくとハルも空を見上げていた。辺りの暗くなるスピードは段々と早くなってきており、すでにこちらからはハルの表情は見えない。
 つい最近小馬鹿にされることを恐れて避けた質問をされてしまい、私は答えるのを躊躇った。しかし数秒経ってもハルは私の答えを待つように沈黙を貫いており、仕方なく私は「星になった主人に会いに行く為です……」と正直に答えた。笑われると思っていたが、ハルは「それはいい目的ですね」といつものトーンのまま答えた。相変わらず表情は見えなかったが、馬鹿にしているような感じはしなかった。
「そういうハルこそ、どうしてオーロラを見に行こうと思ったのですか」
 なんとなく不平等に感じた私は、同じ質問をハルに返した。ハルは私の質問に沈黙していたが、私も負けずと答えを待った。
「話しますよ。だけども今日は恥ずかしいのでまた今度、必ず」
 まあ、今日はそれで許すとしよう。その代わりに私は「忘れませんからね、絶対ですよ!」とハルに向かって言った。
「はい、必ず」
 そう言った後「ふふ」とハルの方から笑い声が聞こえてきたので、私も釣られて笑ってしまった。世界がこうなって、私は初めて心の底から笑ったかもしれない。
「ねぇ、ハル、貴方の主人には、私が必ず会いに行って『貴方の趣味と、貴方のアンドロイドに助けられました』って伝えるから。それとも、貴方も一緒に宇宙に行く?」
 ハルは少しの間の後、「ありがとう。考えておきます」と答えた。掴めない男だと思ったが、それでも目を閉じる時、普段よりも安心して目を閉じることができた気がした。

 世の中には、万が一に備えて巨大なバッテリーを買ってみたり、数十年持つ保存食を部屋の至る所に隠しておく人間がいるらしい。保存食を買うのはまだ分かる。しかし、それを部屋に散らばらせる意味が果たしてあるのだろうか? 万が一災害が起きたとしても、隠し場所を思い出している間に手遅れになりそうな気がする。バッテリーにしたって、そんなもの巨大なもの災害時に邪魔にならない訳がない。
 さらに重症化すると、それらのグッズを「外出時に災害にあったら意味がない!」などと言って普段使いし始める。ありとあらゆるガジェットがどんどんと小さくなっていくこの小型化の時代に、あえて巨大バッテリーを持ち歩いたり、医療キットをバックの中に入れたり、あるいはポイズンリムーバー(毒を抜く器具)という絶対に普段使いしない物を財布の中に入れ持ち歩いたりするのだ。
 そしてその“重症”の方の人間が、私の主人なのだ。
「おいハル! 早く倉庫のバッテリー持ってこい」
「でも敏明(としあき)さん。こんな巨大なバッテリー、一体何につかうんですか?」
「上のボタン押すと光が出んのよ。夜中に便利だろ? なにより、何かあった時にラジオとしても使えるんだよ、それはよ」
「なら、ライトとラジオ持っていきましょうよ」と私が言うと、敏明さんはいつもみたいに「ロマンがわかってないねぇ」と口をとがらせた。
「いいから、黙って全部詰め込んじまえ」
 バッテリーを入れるため車のトランクを開けると、カメラやらテントやらがぎゅうぎゅう詰めにされており、とてもバッテリーが入る余地などなかった。仕方なく後部座席を開いて持っていたバッテリーを置くと、その重さから車がやや後ろに傾いた気がした。
「詰め込み終わったか? 忘れもんしてねぇよな」
「敏明さんにとって必須となっているものが何か私には分かりかねますけど、言われたものは全て詰め込んだと思います」
「おう。まあ最悪カメラと三脚以外は無くたっていいからな、行こうぜ」
 運転席に乗り込むと、大量の荷物のせいでバックミラーが使い物にならなくなっていた。大半が必要なものでないと言うのならば、もう少し荷物を減らしてくれると嬉しいのだが。そんな私の思いとは裏腹に、敏明さんは満足そうな顔をして助手席に乗り込んだ。
「よし、じゃあ向かってくれ。儂は少し寝る」
「わかりました」
 家を出て四時間と十五分。明らかに効きづらいブレーキに苦戦しつつも、私達は何とか目的地に到着した。辺りはすっかり暗くなっており、車の電源を切るとその暗さが如実に現れた。ドアを開け後部座席のバッテリーを手に取り、助手席のドアを別の方の手で二回ほど叩いた。
「敏明さん、着きましたよ」
「……ん。おう、お疲れ」
 最初起きた時の敏明さんはどこか不機嫌そうな顔を浮かべていたが、外にでて空に浮かぶ星々を見ると、彼はすぐいつもの笑顔を取り戻した。
「最高の景色だな。おい、カメラ持ってきてくれ」
「わかりました」
 敏明さんは毎週こうしてどこかに赴いて、様々な美しい景色を写真に収めて回っていた。特に夜空は彼のお気に入りのようだ。より良い星空を撮るため勉強をし、紐が硬いはずの財布も、星空の為ならば緩くなる。(どちらかと言えば、“ガジェットの為ならば”かもしれない)
 敏明さんにカメラを渡し、後ろにバッテリーを置くと、私は邪魔にならないよう車のドアを開け、運転席の方に戻った。フロントガラス越しに映る敏明さんは震えており、いつも話している時よりずっと弱々しく見えた。
 敏明さんは、もうすぐ死ぬ。
 病気なのだ、それもかなり致死率の高い。それでも現代医療では決して治らない病気ではなく、しっかりと入院さえすれば何とかなる可能性の方が高い。
 それでも敏明さんは治療を拒んだ。寝たきりの生活など死んだも同じだと言って聞かなく、むしろ趣味だった景色の撮影により精を出し、体の状態はより悪化していった。
「ロマンに命をかけ、美しい景色を見ながら死ぬ。最高の人生じゃねぇかよ」
 敏明さんはそう言っていたが、私にはよくわからなかった。生きられるのなら生きれるだけ良いと思うし、景色ごときに命をかける価値があるとは思えなかった。
「それはお前さんが本当に感動できる景色を見たことがねぇからだよ。近いうちにわかる。上手くいきゃ半年後にな」
「半年後? 何かあるんですか?」
「オーロラだよ。死ぬ時の景色はそれだって決めてるんだよ、儂は。お前さんだって、きっとオーロラを見ればその気持ちがわかるに決まってる」
 敏明さんにとってオーロラは特別なものだった。幼少期に絵本で憧れたそれは、時間が経つにつれ妄想だけが肥大化し彼の脳を覆い尽くしていた。「オーロラを初めて見たときの感動をそのままに死にたい」と考えるほどに。
「それは、もうすぐ自分は死ぬというという事ですか?」
 その時の私は、そう彼に聞くことは出来なかった。人間は時折、自分の死期がわかっているかのように行動する事があると聞く。敏明さんもそうなのだろうか。あの会話をしたのが四ヶ月前、半年までは、すでに二ヶ月を切っていた。
「……敏明さん?」
 ふと気がつくと、敏明さんの姿が見えなくなっていた。先程より奥に行ったのだろうか。車から四十メートル程離れると、私の目では何も見えない程に辺りは暗闇に包まれていた。私は車から出ると、例のバッテリーのボタンを押し前方に光を当てた。流石に巨大なだけあり、先程まで暗闇に包まれていた景色は、真っ白な光と共に六十メートル先まで姿を現した。
 ――――――先程立っていた場所から七メートル程進んだ場所に、敏明さんは確かにいた。しかし暗闇から姿を現した彼は先程のように二本足で立ってはおらず、地面に横たわり、頭からは赤色の液体を流していた。
「敏明さん!」
 私はバッテリーを投げ捨て走って彼の元に駆け寄った。倒れている敏明さんを両手で持ち上げたが、普段支える時のような反発力はなく、まるで巨大なゴムを持っているような感触があった。

 結局のところ、敏明さんは自分の死期など分かってはいなかったのだ。オーロラを見に行くなどと言い始めたのも、彼の性格から考えるに我慢出来なくなっただけだろう。後に死因は、頭を強く打ち付けた事による脳浮腫が原因である事がわかったが、例え地面がコンクリートで無かったとしても、結局彼の中に潜む病が命を奪ったのではないかと私は思う。
 一人残された私には選択肢があった。回収されスクラップにされるか、あるいは物好きなコレクターにコレクションとして飾られ、ケースの中で生涯を終えるか。どちらにせよ碌な未来ではないだろう。
 かつて私達が住んでいた家は、部屋中に散らばっていたガジェットがなくなり広く感じられた。私は唯一残っていたソファーに腰をかけ、ゆっくり目を閉じる。
 結局、誰よりもオーロラを愛したであろう敏明さんは、それを実際に見る事なくその生涯を終えた。だが、ある意味でそれは幸せな事だったのではないかと私は思う。現実のオーロラはきっと妄想を超える事はできない。理想を理想のまま生涯を終える事の方が現実を知るよりよっぽど幸せだろう。私はネットにいくつかあるオーロラの写真を見ながら、そう考えた。
 しばらくして、私は物好きなコレクターに引き取られた。死ぬのは決して怖くないはずだったのだが、いざ二択を迫られた私は、尊厳を失ってでも生きる方を選択していた。
 ――それから再度目を覚ました時には、人類は滅亡していた。何年たったかは分からず、滅亡した理由も定かでは無かった。
 目の前に突きつけられた現実を私は驚くほどあっさり享受した。出会ったアンドロイドと協力し、時には助けられ、気がつくと敏明さんと過ごした日々より長い時間この世界で過ごしていた。
 この数年間で、私は何一つ変わらなかった。どんな人間にも低姿勢で接し、困っているアンドロイドは助け、ただぼんやりとその日を過ごしていた。
 唯一変わったのは、星空を昔より美しく、尊いものだと感じるようになった事だった。ただの光だと思っていたはずのそれが、いつしか暖かく感じるようになり、時には守ってくれていると思う時さえあった。
 理由は未だに分からないが、人間に近い存在になった事が原因ではないかと私は考察した。バッテリー切れという明確な寿命ができ、この世界で様々な仲間を失ったことで時間や自然に対しての感度が上がったのかもしれない。
 そんな中最近できた仲間の一人が、何やら様々な色の光が星空一面に広がっているのを見たという噂を他の仲間と話していた。
 その時、私は久しく忘れていたオーロラの存在を思い出した。かつて幾度か写真でみたはずのその景色が頭の中でフラッシュバックした。しかし、その姿はどこかぼやけていて、まるでピントのズレた写真のようだった。
 それでも、そのピントがブレた景色は私の体を大きく揺さぶった。緑色か青色のあの景色は、なにかとても感動的なものだったように思えて仕方がなかった。
 その時の私は、死に場所を探していた。何年かの時を過ごして、アンドロイドだけでは何も残す事ができないという事を理解してしまっていた。どちらにせよ、バッテリーの劣化で一年も持たないだろう。
 奇しくも私は、数年越しに彼と同じ事を思ってしまったのだ。どうせ死ぬのならば「オーロラを初めて見たときの感動をそのままに死にたい」と。
 それからの一年は以前よりもはるかに光輝いていた。目的があるという事はこんなにも力を与えるのかと驚愕した。それが例え、自殺の準備であろうと。

「ハル……」
 目的の場所まであと数キロという所で、神崎さんが話しかけてきた。私はいつものように彼女に笑顔を向ける。
「どうしました? 神崎さん」
「もうすぐ、目的の場所に着くんですよね」
「ええ、その通りです」
「一つ聞いてもいいですか」
「なんでも」
「どうして“大変危険な道のり”なんて嘘をついたんですか?」
 神崎さんは地面を見ながら、私にそう質問をしてきた。
 彼女は優しいアンドロイドだ。ずっと疑問に思っていたであろう事を黙って、結局ここに至るまでその質問を投げかけてこなかった。
 彼女と話しているのは、非常に楽しかった。今までいろんなアンドロイドと話してきたが、彼女と別れるのは特別抵抗感を感じた。自分の人生の最後に話す相手だからだろうか。
「神崎さん、まずはありがとうございました。貴方と話した時間は、私にとって非常に有意義なものでした。」
 神崎さんは黙って私の話を聞いていた。きっと彼女ならばわかってくれるだろうと、私は言葉を続ける。
「最後に、お願いがあるのです。もしもオーロラが本当に存在していたら、私を貴方の拳銃で撃ち殺してくれませんか」

 その日の夜は、一言もハルと喋らなかった。それは彼と険悪な雰囲気になったのが理由という訳ではなく、彼の“お願い”にどう答えるか未だ決めかねていたからだった。
 彼の気持ちは、痛いほどわかった。それは私自身一度共感した感情であったからだ。どちらにせよ彼の死は避けられないものであり、それがハルの目標であるならば、私にそれを止める理由はない。
 それでも、それを拒否したい感情が確かに私の中に存在していた。私はその感情に理由をつけようと努力したが、いくら考えても彼のお願いを拒む正当な理由は思いつかなかった。
「行きましょう神崎さん。例の場所まであと少しです」
 気持ちに区切りをつけられないまま、私は黙ってハルの後をついて行った。それから朝日が昇り、下り始め、辺りが暗くなり始めたあたりでハルが「ここです」と言った。すでにあたりにはぼんやりとした緑の光が見えており、おそらくあれがオーロラの一部なのだろうと私は思った。
「神崎さん。昨日行ったことですが、やはり拳銃だけ貸していただいて後は自分でやろうと思います。神崎さんに頼むような事ではありませんでしたね」
 そう言ってハルは私の拳銃に手をかけた。私は咄嗟にハルの手を掴み、それを阻止する。
「神崎さん?」
「ハル、私は……」
 困惑の表情を向けるハルに、私は何とか言葉を捻り出そうとしたが、それよりも先に思考は目の前の景色にかき消されてしまった。佇む私を見て、ハルも私と同じ方向を向く。
 私達の視界には、青と緑色のオーロラがあった。私達のはるか先にある境界線からこちらの方まで大きく伸び、渦巻いていた。暗かったはずの世界が照らされ、今まで私達が立っていた世界とは全く違う世界に移動したのではないかと私は錯覚した。
「……ああ」
 ――先に口を開いたのはハルだった。
「敏明さん、貴方は正しかった。貴方が信じたオーロラは、死に値するほどの美しさだ」
 そう言った後、ハルは眉間に皺を寄せ、涙を流すように瞳に力を込めた。しかしそこから涙が滴ることはなく、しばらくして、ハルは力を使い果たしたように瞼を閉じた。
「……ありがとうございます、神崎さん」
 私は背中を向けているハルの頭に銃口を向けていた。自分に向かって打とうとした時よりもその引き金は重く、持っている右手が小刻みに震えた。
 表情は見えなかったが、その声色はいつものハルのものだった。私は震える手を押さえながら言葉を発する。
「ハル。一つだけ聞いてもいいですか」
「……ええ、なんでも」
「どうして私をここまで連れてきたんですか。私が拳銃を持っていたから、ですか」
「最初はそうだったんですが……そうですね。私は、きっと誰かと共有したかったんです。この感動を、この景色を」
 そう言って、ハルは少し笑った。
「きっと、彼もそうだったんでしょうね」
 その後三時間程オーロラは空を彷徨っていた。私はオーロラが見えなくなるまでその場に立ち続け、そして見えなくなったのを確認した後、ハルから教えてもらった方向に向かって、ゆっくりと歩き出した。


 あの場所からロケットのある場所までは驚くほどに近く、私が到着した時、未だ陽の姿は見えず、辺りは暗いままだった。この世界に来てからずっと探し続けてきたその場所は、今まで見てきたどの建造物とも大きく異なっており、白色で非常に大きく、なんと言っても建造物としての形を保っている事が驚きだった。
 建物の周りをぐるぐると回っていると、入り口のようなものを見つけた。扉は開いており、中に入ると私よりも一回り小さい壊れかけのロボットが道の真ん中に立っていた。姿は私のように人間の姿ではなく、一昔前の人類が想像するロボットと言ったような風貌をしていた。
「ようこそお客さま。私に何か手伝える事があったらお伝えください」
 どうやら私達より一世代前の機械のようだ。自ら考えて行動する事はできず、予め入れられた情報を使い、聞かれた質問に対して答えを出す。私達が作られる前はこのようなロボットが一般的だった。
「すみません。ロケットがある場所まで案内して頂けますか?」
 ロボットは「わかりました」と言って足についた車輪を使い動き始めた。道中、巨大な図書室や研究室のようなものを通り過ぎた。ここに住んでいた研究者が使っていたものなのだろうか。
「ここは、なんの為に作られた施設なんですか?」
「ロケットを作る為の施設です」
「なんの為に?」
「――博士の夢の為です」
 やがて私達は、開けたドーム状の部屋に辿り着いた。そしてその中央には、私が想像していたよりもずっと小さく、人一人分が入れる程の細さしかないロケットのようなものが置かれていた。
「これがロケットですか?」
「――はい。そして、博士の人生そのものです」
 ロボットはこちらを見ず、ロケットの方をじっと見つめながら答えた。受け答えしかできないロボットのはずだが、そこに意志のようなものを私は感じた。
「不躾なお願いである事は分かっています。ですがそのロケット、私に使わせては貰えないでしょうか?」
 私は同じ機械として、そして生き物として深々と頭を下げてお願いした。彼と博士の間に何があったかは分からない。それでも「人生」とまで言われたそれを、無断で使うなど私にはできなかった。
「――わかりました」
 数秒の沈黙の後、ロボットはそう一言だけ呟き部屋の端っこで動かなくなってしまった。しかしその目線は未だロケットの方を向いており、まるでその後の様子を伺っているかのようだった。
「ありがとうございます」
 私はロボットに対して頭を下げ、そして中央にあるロケットの方へと足を運んだ。
 ロケットの中は見た目通り非常に狭かった。用途不明のボタンがいくつかあり、正面にはガラス。そしておそらく説明書と思われる紙切れが二枚置かれていた。
 一枚目にはこのロケットが何秒で宇宙に到達するか、どのような原理で空を飛ぶ事が出来るかが鮮明に書かれていた。そこにはこのロケットの飛ばし方も書かれており、その指示に従って、私はこのロケットを起動するボタンを押す。
 瞬間、小さなロケットから出たとは思えないほどの轟音が辺りに響いた。私の体が重力を無視してふわりと浮かび、頭には白黒のノイズが走った。
 私がはっきりと辺りの状況を理解できるようになった時、すでにガラス越しの世界は暗闇だけの空間へと変貌していた。
 完全なる静寂の世界に、ふわりと浮かぶ自分の体。それはまるで、知夏がよく話していた夢の中の世界のようだった。
「私はいつも夢を見るの。そこは暗闇で、音も何もない世界。だけどもその中では私は自由に動くことができる。煩わしい病気も重力もなくて、足は風船が付いているかのように軽い。その中なら私は空を飛ぶ事さえ簡単にできる」
 彼女は星になったから、今頃その夢を叶えているのだろう。遠すぎる彼女を見る事は叶わないが、その事実だけで、私は非常に幸せな気持ちになれた。

 二枚目の紙は、「博士」と呼ばれた人間からの手紙だった。
 親愛なる赤の他人である貴方へ、私はこのロケットの設計者です。これも何かの縁。これを見つけた貴方には、このロケットを破壊してもらいたい。
 私は、とある一人の宇宙を夢見た人間でした。この広大な地球よりも、さらに広大である宇宙に憧れ、いつかこの目でその姿を見る事が夢でした。
 しかしその夢が叶わない事も知っていました。宇宙飛行士は選ばれた数人のみがなる事を許された職業。私のような生まれつき持病がある人間には、どんなに手を伸ばしても届きはしないのです。それでも諦めきれず心に刺さったままのその夢は、勉強をし、別の事に手を出すことでごまかしてきました。
 そんなある時、私は余命十年と医師に宣告されました。元々長生きできるとは思ってはいませんでしたが、実際に宣告されて、私は始めて「死」というものを意識し、それに恐怖しました。
 そして私は、残りの寿命の全てを夢に費やす事に決めました。幸い蓄えはあった為全てを捨ててこの施設を作り、相棒と二人でこの小さなロケットを制作しました。
 お気づきかもしれませんが、この小さなロケットは帰還を想定していません。私はこのロケットを自分の棺桶だと想定して作っていたからです。
 ですがこのロケットが完成する頃には、私の目は完全に視力を失ってしまうでしょう。宇宙を一目見たいという私の夢は、もはや完全に絶たれたのです。
 それでも私は、きっとこのロケットを完成させてしまうでしょう。この小さな鉄の塊が、私の人生の全てだからです。
 しかし一研究者として、このような失敗作を世に残すのは恥です。私がこの世を旅立った後、世間がこのロケットを、私の夢を見て嘲笑する姿を想像するだけで胸が締め付けられるような気分になります。
 だから貴方にもう一度お願いします、このロケットを破壊してください。それがきっと私の為にも、小さな相棒の為にもなります。

 激しく揺れていたロケットが、まるで最初から動いていなかったかのようにピタリと止まった。きっとロケットに内蔵されていた燃料が底をついたのだろう。
 私のようなアンドロイドには、きっとここが限界なのだ。ガラス越しに見える星々は、地球で見た時となんら変わらない大きさで、私は改めてその遠さを思い知った。
 ロケットの中にある手紙を見て、私は星まで向かうことも、戻ることが出来ない事も分かっていた。それでも躊躇いなくロケットのボタンを押せたのは、きっと私もハルや博士のように、死に場所を探していたからだ。
 アンドロイドは人間にはなれない。本当に感情を持っているわけではなく、死んでも星になる事は出来ない。そうだとしても、私は死してなお美しい彼らに少しでも近づきたかった。友人の死を悲しむ自分の感情は本物だと証明したかった。
 未だ彼らまでの距離は遠いが、最後に、少しだけ彼らに近づく事が出来ただろうか。そう思うと体の力が抜け、瞼が重くなってきた。


 世界がこのような事になってから、何一つとして良い事などなかった。昼間は体が言う事を聞かなくなるほどに蒸し暑く、街灯一つない夜の暗闇は、直視が出来ないほどに恐ろしかった。
 それは、かつて裕福な家庭のメイドロボットとして過ごしていた時とは真反対の生活だった。温度など気にしたこともなかったし、何より周りに街灯がない事などあり得なかった。
 その夜も私は少しでも恐ろしさを紛らわせる為に、瓦礫の陰で体を縮こませ下を向いていた。そんな時だった、後ろの方で聞いた事がないような轟音が鳴り響いた。
 咄嗟に後ろを向きかけたが、何か恐ろしいものを目撃してしまったら困る為、私は結局後ろを見ず、またすぐに下を向いた。
 轟音は六秒ほど鳴り続け、やがて嘘だったかのようにまた辺りには静寂が訪れた。
 最初こそそのまま下を向き続けようと考えていた私だったが、知的好奇心と、もし自分の背後に何かがいたらどうしようという恐怖感に耐えきれず、私は後ろを向いた。
 五キロほど先で、巨大な狼煙のようなものが空に向かって伸びているのが見えた。煙を辿っていくと自然と目線は上へと向かい、やがて幾千万もの星々が私の視界に入った。
「綺麗だ……」
 そういえばこんな事になってから、星など眺める余裕はなかった。街灯一つない暗さであれば、こうも星空は美しいものなのか。
 私は星空の、特に一番大きく見えた星に手を伸ばした。
 それは煙が上がっている丁度真上にあり、眩しくて、儚くて。周りのどの星々よりも美しく見えた。
夏に放置していた小説と向き合って書き切りました。あまりこうやって一から世界を作る事に慣れていないので、感想やら粗い点を教えてくれる方がいたら私までご一報ください。
花冷
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コメント



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1.80非公式削除
オチで物語世界が限定的じゃなくなるのが好きです。アンドロイドの外見をもう少し明確に描写してもいいかなと思いました。クソデカバッテリーはロマンだ!
2.90名も無き文芸生削除
良かったです
3.90v狐々削除
面白かったです。_美しいテーマだと思う。機械の独特な感性が響いた。_もう少し序盤をゆっくりやっても良いはず、主人公のことを分かってから読み進めたい。