zorozoro - 文芸寄港

愛に慣れるまでのベター・ハーフ エンド

2024/07/23 16:02:21
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 私たちは嘘を愛している、と思う。感情に嘘をついて、言葉に嘘をついて、それでも私たちはその嘘に潰される前に残ったわずかな本当を感じて、嬉しくなっている。それを愛している。

 *
 香水の匂い。それは、僕の記憶の中の彼女と強烈に結びつく数少ないものだったと思う。寝起きでも、そばにいても、彼女を感じさせる確かなもの。
 僕はじっとりと手汗の滲んだ右手を彼女の左手から離す。
「あれ、あそこ薙の言ってたところじゃない?」
 僕が指差したのは、ピンク色のファンシーショップだった。青空の下に、それはある。
 店名は〈FIX〉。がらくたを連想させるようなデザインに、現代風の手が加わった雑貨屋だ。
「お、ついたね」
 薙は自分のスマホで開いていたGoogleマップに一度目を落とす。案内終了の文字ともに、GPSで示された自分たちの位置を確認する。
「何が欲しかったんだっけ」
 とくに何を求めるでもなく、そう訊いた。僕はひとつでも薙と言葉を交わしたかった。それはとても傲慢なことだった。
「腕時計とペンケース」
「へえ……」
 感心したような声を出す。身に着けるものにはこだわりがあってほしい、という気持ちの表れだった。それでも、言葉上は、何の意味はない。
「そういえば、無くしたって言ってたもんね」
「そう。見つかんなくて。だからもうここで買っちゃう」
 僕は彼女の左手を奪う。絡めるように手を取った。先ほどより少し冷えた手が、彼女の柔らかな掌にしっとりと吸い付いた。
 店内は、カップルが大半を占めていた。そのもう半分は女子高生で、あとは見分けがつかない女子大生がいるらしかった。
 女子高生たちが何で盛り上がっているのかはわからない。SNSで人気の商品を、自撮りをしながら摘んでいる。買い物カゴは、一人しか持っていなかった。そのカゴに、十数点商品が入っている。
 彼女も買い物カゴを腕に提げた。
「あ〜これこれ」
 お目当てのものがあったらしく、彼女は声を上げる。そこに女性特有の甲高いうるささは微塵もなく、ただ可愛げのある、自分の好きな物を自分の欲しい物を、愛でているだけだった。それを僕は愛らしいと思った。彼女だから。
 腕時計に手を伸ばそうとして、僕の方の体が引っ張られる。僕は彼女の動きに委ねた。
「白と黒色、どっちがいいと思う?」
 僕は両方の色をつける彼女を想像する。ホワイトのワントーンコーデに水色を挿している今日の彼女は、黒が似合う気がした。しかし、それとは反対に、黒で纏めた時の彼女の姿が連想された。
「白、かな」
「私が今、白着てるからそれに引っ張られてるよ」
 思考を言い当てられる。
「そうかも」
「そうかもって」彼女は言葉に笑みをのせた。「じゃあ白にするよ──?」
「うん」
 アナログ時計で縁が白、ベルトはベージュ。彼女は箱に梱包されたそれをカゴに入れる。千九百九十円。
「次は、ペンケースか──。迷っちゃうなあ」
 ペンケースのコーナーは腕時計の隣に用意されていた。少し大きい物から、小さい(細長い)ものまで、いくつもの種類があった。
 決めてよ、なんて彼女は言わない。薙はそういう女じゃない。
 手を離される。彼女は端から適当に取っていく。文字通り、適当に、デザインとかはまず置いておいて手に取った感触を確かめているようだった。
「ごめんね、ちょっと時間かかるかも」ケースに向き合っている。僕の顔も見ないで。
「全然いいよ、そのために来たんだから」
 僕は手ぶらになった両手を好きなように余しながら、彼女の動向を窺っていた。モンスターのようなシルエットのペンケースから、缶ケース、革を使っているのか無駄にシックなものまで、合う合わないを選んでいる。何がその基準にあたるのかわからないけれど、合わないやつは一瞬で元に戻され、キープは手元に置かれる。
「あ、すみません」
 女子高生の群れが彼女とぶつかる。真剣に選んでいる彼女と手がぶつかってしまった女子高生は、本当に気まずそうに謝った。大丈夫です、と彼女は返した。
「これにする」
 他にどんなアイテムを扱っているのか周りを見ていると、彼女はやや重い決断をした表情でカゴから取り出したケースを僕に見せた。
「いいじゃん」
 僕はそれしか言わなかった。彼女が選んだのは、ペンが五本ほど入りそうなペンケースだった。合成皮革が使われており、ぎゅっと握ると革がしなって気持ちがいい。
「じゃ、買ってくるね」
 僕は買い物カゴを彼女の手から奪った。不意をつかれた彼女は、するりと抜け落ちるようにカゴを手離す。
「あ。ちょっと。いいのに」
 後ろからそう強く言われる。
「私の買い物なんだよ?」
「いいって。プレゼントだよ」
 それは適当な文句だった。最近、彼女を祝うようなイベントは起きていない。
「えぇ……?」
 あまりの言い分に薙は困惑している。──プレゼントなんだから大人しく受け取っておくべきだよ、薙は前にそう言って僕に靴を買ってくれた。そのお返しだ。
 ブランドマークがあしらわれた買い物を空中にふらつかせながら、彼女は満足そうに鼻歌を歌っていた。音を外さない、鼻歌。
 僕が買い物している間も、彼女は後ろをついて回っていた。
「付き合ってくれてありがとう。ユウジは行きたいところある?」
「クレープ食べてぇー」
 店を出た瞬間から、通りの奥にあるクレープ屋の旗が目についていた。今ならなんと無料でアイスクリームがつけられるらしい。
「太るよ?」
「それは言わないお約束じゃん」
「食べ過ぎだよ」
 僕は彼女に、自分の汚いところも見せると言ってある。汚いところ、それは恥ずかしいところ、といっても過言ではなく、お互いの交際に隠し事はしない、という約束だった。だから僕は自分の食欲を偽らないし、自分の好きな物を偽らない。……というのは完璧な甘えなのだけれど──。
 彼女も──薙も、無駄に見栄を張ったり、小言を言わなくなった……と思う。単に諦めがついただけかもしれないが。
「運動するって言ってたのに」
「するよ、する」
 肩をパン、と叩かれる。「ごめん」
「で、何にするの」
 僕はメニューの中で一番高い物を頼んだ。

 *
 テクスチャ。そしてテクスチャ。至る所に貼り付けられているかのような、構造物が乱立している。あの時食べたクレープには、生地にも焼き色の模様があった。しかしここにはそこまでの画素のある物体は存在しない。
 元カノと別れて、一年以上が経っていた。薙はもう過去の女になっていた。
 僕は別れてからVRchatに入り浸っていた。彼女がいなくたったことで彼女に使うお金を、VRやゲームに使った。使い始めた。お金を持て余していたわけじゃないけれど、バイト代を少しでも自分を癒すために使いたかった。
 VRchatは、まだまだ発展途上だ。価値観の形成も、VRの住人である当人たちですらまだ追いついていない。だれが恋人でだれが友人なのか。線引きも、曖昧さを曖昧のままよしとするところがあって、その混沌としながらも周りを尊重する雰囲気が好きだった。
 僕は、そこに好きな人を作っている。唯何、という。ゆいか。ひらがなにするとありふれているのに、漢字は唯一無二な感じがして、僕は好きだった。唯何にそれを言うと、
「なんで『何』ってつけたんだろうね」
 花とかがよかった、彼女はそう僕に溢した。
「似たような言葉に、誰何って言葉があるよ」
 膝枕をしてくれている唯何の顔を僕は覗き込んだ。ここでは、僕の姿は大きいメガネをかけた幼女だった。白い髪色に、紫のインナーカラーが入っている。ちょっと知的で、しかしそれでいて男の子みがあるような中世的ではないけれど、そんな魅力を持ったアバターだった。対して、唯何は胸の大きい青髪のエルフだった。ぼんきゅっぼん、のような欲望に従順な程度ではなくあくまでも慎ましやかに、しかし、持っているものは持っている、というアバターをしていた。
 間が空く。意味を調べているらしい。僕の頭の上にディスプレイを表示しているせいで、目が合わない。
「あんまりいい言葉じゃないね」
「そうかもしれない」
「漢字の読みは好きだけれど」
 唯何は僕の両頬を触っている。
 唯何と僕は、「お砂糖」といって、現実での恋人関係のようなものだ。そこには本来、性愛の対象であるとか外見の好みとかは影響しない。するだろうが、本質ではない。
 僕たちは互いに癒しを求めて、一緒に過ごす時間を求めた。それだけだった。
 唯何との時間はひどく淡白だ。しかし、これ以上ないほどの清廉さが僕は好きだった。現実と違って動きが制限されているわけで、僕は彼女の体温も知らないけれど、心の温度はいつも一緒だったと思う。
 出会った直後は、唯何には彼氏がいた。束縛をする男だったとか、あまりデートに行きたがらないとか、そんな男のように唯何の話を聞いて思っていた。が、それは僕の憶測で、本当はどうなのか僕にはわからない。唯何の現実の話は僕には何一つわからない。
 だから、彼氏のそういう話もあって、唯何はVRchatに現実逃避をしに来ていた。僕は知り合ってすぐの頃は、唯何に何の興味も示さなかった。それは女として見れないとか失恋して恋愛に興味がなくなった、とかそういうものではなく、そもそも唯何の性別がわからなかったから、だった。知り合いはじめのお互い遠慮する感じは抜きにしても、僕は唯何にインターネットリテラシーから来るものとは違う不信感を抱いていた。唯何はボイスチェンジャーを使っていた。男の時もあれば女の時もあった。
 なんで、と訊いたら、なんとなく、と答えてくれた。
 明確な答えは後にも先にも答えてくれなかったと思う。今訊けば、答えてくれるかもしれない。
 ある時、唯何が彼氏を連れてきた。その時に初めて唯何の性別を知った。彼女はボイスチェンジャーを切っていた。偶発的な出来事だった。唯何も不測の事態だったようで、はじめて聞く彼女の本当の声に、僕はどこかよくない秘密を共有する時のような、ささやかな喜びを感じていた。
 僕はもう、ありありと耳朶に唯何の声質を焼き付けてしまった。
「じゃあいい? 他の人には秘密ですよ?」
 僕に近づくと、人差し指を口元に寄せて念を押すように、そう言った。マシュマロのような声だった。唯何の本当の声を言いふらす気は全くなかった。僕だけが独占したかった。
「わかりました。秘密です。ただ、二人の時はボイスチェンジャー、オフにしてくれませんか」
「え、何でですか?」
「だって、悲しいじゃないですか」
 唯何は考える仕草をとった。
「それもそうかもしれませんね」
 これを機に、僕と唯何は大きく関係を縮めた。

 一週間後、唯何と彼氏は別れた。
「別に悲しくはないの」
 彼氏との別れを告白したときに、唯何はそう溢した。僕は薙と別れたとき、悲しかっただろうか? 嬉しくはなかったと思う。清々した? 僕は本当は、彼女─薙─を泣かせたかったし、彼女の罪を認めさせたかった。しかし、そのどちらも満足いかずに、終わったと思う。関係の糸というのは、どうやら気持ちだけでは繋ぎ止められないらしい。
「この場所で遊んでるのが気持ち悪いんだって」
 それが別れた彼氏の、言い分だったらしい。
「私は全然そう思わないんだけど、この場所とても素敵だし、私と喋ってくれる人もいい人たちだし」
 しかし、彼氏は認めてくれなかった。そういうものだろうな、と僕は思った。
「そういえば、ユウジくんも彼女さんに振られたんですよね?」
「振ったんですよ」
「あ、ごめんなさい」
 特に、振る振られるを気にしたことはないけれど、そう言われると上限関係があるような気がして、厳しく言ってしまった。
「それはそれとして、よければ一年前に別れた彼女さんの話とか、別れ話をしてください。私を慰めると思って」
 妖しい笑みで僕を誘った。僕の話がなんの慰めになるのだろう、とは思った。しかし、どれだけVRchatに時間を溶かしても、根幹にある怨みやあのときの思いをぶつけることは出来なかった。もうあの思いは掠れてしまったけれど、それでも、いいというのなら。この摩耗した恋心で優しく撫でよう。

 僕が薙を覚えている中で、語れるものがあるとすれば、それは彼女の体温だろう。抱きしめた時の体温。手を繋いだ時の体温。それは、仮想現実ではどうにも刷新できないものだった。僕と彼女はよく手を繋いだ。それがカップルのするべきことだというように。
「私はあんまり手を繋がなかったな。機会がなかったというか」
 ワールドの広場近くの大通りにある喫茶店で、僕と唯何はお茶をしていた。飲んでいる気分を味わうお茶。
「機会、っていうより日常になるんですよ。繋ぎ始めるまでが難しいですけど」
「繋いだことがないわけじゃないよ? でも、なんか、習慣にはならなかったな。そういうところで破綻してたのかな」
「え、唯何さん何歳なんですか」と揶揄う。
「ここで年齢なんて聞かないでよ。それこそ、ユウジくんは何歳なの」
「十九です」
「言うんだ。え、思ってたより若い」
「何歳だと思ってたんですか」
「二十二とか? 落ち着いてるなあって」
「まあ無邪気にはしゃぐ年齢でもないですからね。で、唯何さんは?」
 唯何はもじもじとためらいを見せた。そして、僕に秘密を共有した時のように、マシュマロのような柔らかい声で、
「二十一」
「二個上⁉︎」
「や、だぁ……」
「……」
「なんで無言なの」
「何も浮かばなくて」
「ユウジくん、さん付しなくていいよ」
「じゃあ、くん付しなくて大丈夫です」
「ユウジくんは年下じゃん。だから、くんなの」
「それを言いますか」
 二人で笑う。こうして、言葉で心を通わせるという感覚が僕には新鮮だった。体の関係以外で心が通う感覚。ぽわぽわと、親しみを覚える。
「唯何さん、えと……唯何。お砂糖になりませんか?」
「お砂糖?」
「例のあれです。ちょうどいいじゃないですか。彼氏さんとも別れたんだし、僕は唯何と話せて楽しいので」
「もっと慰めてくれるってこと?」
「そういうことかもしれないです」
 僕はアバターの年齢を上げた。ぐっ、と身長が伸び、少年のような見た目になる。眼鏡が外れ、裸眼になった。
「いいよ」
 唯何のアバターの年齢が下がる。お互い十五歳前後の見た目をしている。青髪のエルフは、ほっそりとした体に姿を変えた。
「話の続きをして」
 唯何は続きを促す。
「じゃあ、僕がとても寂しくなった時のことを話します」

「彼女の抱き心地が好きだったんです。あ、ハグって意味の抱き心地」
 朝起きた時に、よく彼女を抱きしめた。彼女からも求めてきたように思う。僕は彼女の抱き心地を覚えている。抱いたときに匂う香水の匂いやボディーソープ、髪に触れたときに香るリンスの匂いもあいまって、柔らかさは夢に出てくるぐらい染みついた。良くも悪くも。
 ラブホだったかただのホテルだったか──、彼女がシャワーを浴びている間、僕は部屋の天井をぼーっと見つめていた。僕はその時間が好きだった。白い天井が、泊まるごとに違う部屋の照明に照らされて、妖艶な時もあればオレンジ色に照っている時もある、そういう天井を眺める時間が好きだった。遠くでシャワーの音が聞こえて、気持ち良くなるために体を動かした脱力感だとか旅行先ではしゃいだせいで溜まった足の疲れとか、そういう疲れを柔らかいベッドに沈めていく工程が好きだった。シャワーを浴びる気も、服を着る気にもなれないあの感じが。
 シャワーから出ると、彼女は決まって「寝てない?」と訊いてきた。「うん」と答えると、言い聞かすように、「シャワー浴びな」と続ける。
 彼女がガー、とドライヤーの稼働音を響かせている間、僕は散らかしていたベッドを片付ける。破り捨てたゴムの袋を捨て、彼女の後ろを縫って浴室に入る。
 風呂に入り、服を着て、寝る準備が整ったところで、一緒に布団に入る。
 自然と体を寄せ合い、抱き合う。体とベッドの接地面に手を伸ばして、引き寄せる。
「ユウジ」
「うん」
 次に紡ぐ言葉を彼女は時間をかけた。僕の瞳を見ながら、いろいろな感情を織り交ぜながら、そして言うことを迷っているような淡い憂いさえ見せながら。
「好きだよ」
「僕も好きだよ」
 そんなことか。と僕は思った。彼女は好意を口にはしてくれないけれど、お酒を飲んだり行為に夢中になったりすると、とめどなく伝えてくれる。それが、この時に限ってはその好きを絞り出すために、どうしてこんなに時間がかかったのだ? と、僕にはそれがだいぶ不思議に映った。
「好きだよ、薙」
「うん、ありがと」
 その返答もだいぶ淡白だなと僕の目には映った。自分も好きを好きで返しているし、ありがちな答えだけれど、薙の言い方はこう、当たり前、みたいに感じる。当たり前だし、あなたは私のことを好きなのが当たり前、その恋の熱は自分にとってはもう平熱で、「好き」と言われても気持ちの昂りは起こらない。愛に慣れている。慣れてしまっている。僕は、ちゃんと薙のことが好きなのに。
「薙、」
 そう言って、僕は薙に唇を差し出した。半ば押しつけるように唇をはみ、そこから舌を絡ませた。息をするために口呼吸をする。彼女の息の臭いは覚えている。舌を、唇を薙の唇に戻すと、鼻呼吸に変える。僕は薙を貪り食う。キスは止めない。いつまでも続ける。ちゅ、くちゅ、と音を立てて、それがひどくいやらしく聞こえながらも、僕はさらに吸い付いた。
「薙、好き」
「うん」
 彼女の瞳は、確かに僕を捉えていなかった。
「おやすみ」
 いつもなら興奮した薙が、薙の方から僕を求めにくるのに、その日は何もなかった。疲れていたら薙は疲れている、と言う。何故?
 どれだけ言葉を尽くしても、薙の心の内はわからない。
 それが堪らなく悲しいと同時に悔しくて、僕は寝ることもせずに照明を落としていない天井を眺め続けた。彼女のいびきを聴きながら。

 *
 僕たちは話しながら、ワールド北端のホテルへ移動していた。ちょうど僕の話と同じ状況になった。夜空のカラーコードは一体いくつだろう。月が浮かぶ真下に、ホテルはあった。現実と違って、宿泊料はかからない。お互いもとのアバターに戻り、ベッドで寝転がっている。
「本当に薙は僕のことを好きだったのかな」「僕は本当に薙のことを好きだったのかな」
 僕がそう呟くと唯何は頷いた。
「愛の誰何だね」きざったらしく唯何は言った。「それで、彼女さんの気持ちが残っていないと気づいたユウジが振ったの?」
「いや、それもあるけど、薙は浮気してた」
「ああ、それで……。兆候ってことか。話を聞くに、浮気をするタイプには聞こえなかったけど」
「………………浮気、してなかったのかな。愛はちゃんと僕に向いてたのかな。そんなこと絶対ないんだけど、証拠も誰がかも分かってるのに。薙が言ったんだ、いついつに知り合った男の家にいるって」
「なるほどね」
 唯何は僕の頭を撫でた。感触は伝わらないはずなのに、僕の手より少し小さい唯何の手の細い指が僕の頭をゆっくりと撫で触った。
「お砂糖だ」
 そう言う関係になったのだから。これはとても甘い行為だった。
 唯何の手が離れる。
「ベター・ハーフって知ってる?」
 知らない、と僕は答える。相性の良い恋人、僕はそう解釈した。それだったら僕と薙はビター・ハーフか──要らない考えが僕を襲う。
「魂の片割れって意味なんだって。外国では恋人や配偶者を意味するみたい」
「それが?」僕は彼女の真意を探った。
「私たちは……ううん、なんでもない」
「そっか」
 僕たちはお砂糖だ。そういうのは、関係ない。たぶん。きっと。
「お砂糖にも愛は、」
 唯何は既にベッドで眠りこけていた。
「……」
 僕も眠りの世界に潜ることにした。
 僕たちはそのままでいよう。いつかその愛に慣れるまで──。

 ヘッドセットが苦しくて目を覚ますと、ペンで書き置きが残されてあった。起きる時間も決めないで寝落ちしてしまったせいで、唯何はワールドを出てしまっていた。
 部屋に残された僕は一人で、天井を見つめていた。VRのワールドで天井を見ても、なんの情感も湧かなかった。凹みも、荒さも、シミュラクラ現象が起こることもない。テクスチャは一定。途端に、寂しくなる。現実のホテルのように、シーツがよれることも裏表反対で失敗したコンドームが落ちていることもない。そういう現実の煩わしさが、必要だったことに気づいた。
 僕はようやく視点を操作して、書き置きに目を通した。書き置きには一言、
「おはよう。大好きだよ、ユウジくん。また夜に会おうね」
 僕はそれを見て、なんだか愛されている気になってしまった。

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コメント



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1.100v狐々削除
とても面白かったです。_愛に慣れるってワードが凄く響きました、きっとそういう救いを求めている人はいるだろうなと。_時系列はやや混乱しました。_短い話にも関わらず物語に登場するキャラに愛着を抱かせることが出来ていると思います。見習わなければ……